学校
蒼は、漸と共に応接室の一つに入って、茶を飲みながら話していた。
こうしていると、他の上位の王達と何も変わりはない。
むしろ、焔と比べたらこちらの方が礼儀を弁えているようにも見えた。
焔は知り合いの気安さで、その辺で足を投げ出して座っていたりするからだ。
もちろん、焔も公式の場ではしっかりしていたが。
一通りこちらの宮の事を話してから、蒼は言った。
「…なので、こちらには学校というものがあっての。」蒼は、漸の様子を窺いながら続けた。「今も話したように、長く神世を離れていた神が、神世に復帰するための力になる宮であるから。早くこれを話して、主らの助けになりたいと思うておったのだ。ゆえに本日、主が来るのを受けたのよ。」
漸は、目を丸くした。
「つまり…その学校とやらに我らが通うのを許してくれると?」
蒼は、頷く。
「あれらは教える事を長年やって来て、得意としておるので。主らにとり、これよりはないと思うておる。なので、幾人かこちらに寄越して、こちらで教育してまた返すというのを繰り返せば、段々にそちらで教える事ができる神も増えて、馴染んで来るのではないかと思うての。元は礼儀を弁えておるのだから、はぐれの神や人世に居た神よりずっと簡単よ。問題ない。泊まる宿舎も完備されておるし、気を遣う事はない。」
漸は、ふるふると震えた。
蒼は、はぐれの神と比べたりして悪かったかな、と思ったが、次の瞬間、がっしりと蒼の手を握った。
蒼が仰天していると、漸は言った。
「誠に!そんな都合の良い場所があるなど、誰も教えてくれぬから!なんと有り難いことよ、何故に維心はそれを教えてくれなかったのか…知っておったらもっと早くにこちらに頼みに参ったのに!」
蒼は、ブンブン腕を振り回されながら、言った。
「恐らく宮を閉じておるし、皆様我の事は面倒に巻き込まないようにと気を遣ってくださるから。思いつかなんだのだろう。元より我は面倒とは思うておらぬから。」と、立ち上がった。「学校に見学に参ろう。あちらにはもう話してあるので、校長を紹介しておく。」
蒼の手を握った状態だったので、漸も、つられて立ち上がって頷いた。
「楽しみぞ。まずは我が学びたい。何しろ臣下に指示してやれなくて、あれらも困っておったのだ。分かっておるが、我だって教えてほしいぐらいであるから。」
蒼は、苦笑した。
「では、参ろうか。主は宮を離れるわけにはいかぬだろうし、暇な時に通うがよいぞ。」
段々この話し方にも疲れて来たな。
蒼は思いながら、漸を連れて学校の方へと歩き出したのだった。
義心は、その様子を気配を隠して遠巻きに見ていた。
蒼に維心が案じて自分を寄越した事を話すと、蒼は心配性だなあと笑いながら、側近くに潜むのを許してくれた。
なので、漸と二人の応接室の隣りには、義心が入ってじっといつでも割り込めるように聞いていたのだ。
…学校か。
義心は、確かにそうだ、と思った。
思えばここは、神世から長らく離れていた神達の、復帰のための訓練を引き受けている唯一の宮なのだ。
昔から、蒼は弱いもの達に寛大で同情的だった。
どこの宮も面倒だと放置していたことを、この月の宮はやって来たのだ。
そのためのノウハウも、多く蓄積されているだろう。
宮ごと丸々教育というのは初めてかもしれないが、教師も多く抱えているので、朝飯前だろう。
癒しの気が降り注ぐ中で、神達はおっとりと学んできちんと形になっていた。
この月の宮には、元はぐれの神や、人世から戻った神達が、多く立ち働いている場所なのだ。
義心は、早く王にこの事をお知らせしたい、と思ったが、これから学校の見学だ。
そちらをしっかり見守ってから、まとめて報告しようと、二人の後を侍女達の通路を使って追って行ったのだった。
学校へと到着すると、裕馬の執務室へと直行したのだが、何と漸の臣下達が、ギッチリ詰まっていて押せ押せ状態だった。
廊下まで溢れてそこの椅子にも何人か座っており、何事かと蒼は漸の臣下と話している、裕馬を見た。
「裕馬!どうした、なんだこれは?」
裕馬が、蒼に気付いて顔をこちらに向けた。
「あ、蒼…じゃなかった王!」
と立ち上がった。
すると、回りに居た全ての軍神が膝をつき、一人の着物を着た男が膝をついたままスススと寄って来た。
「蒼様。我は漸様重臣筆頭伯と申します。恐れながら、恒様にお願いし、我らの御指南をと申しましたらこちらにご案内くださいまして。蒼様もご存知だからと申されて。」
恒か。
確かに言ったが、こっちにも知らせとけよ。
蒼は内心思ったが、頷いた。
「…それは良い。元よりそのつもりであったしの。だから漸をこちらに連れて参ったのだが、裕馬は今何をしておるのだ?見たところ、教師が全員ここに来ておるが。」
裕馬の他にも教師達が、皆一人ずつ漸の臣下を前に話していたようだった。
裕馬は答えた。
「雷嘉に一応、いろいろ基本的なことは教わってるみたいなんで、どこまで知ってるのか進捗状況を確認しているんですよ。それによって組分けをして、講義を始めようと思っています。ここに居る方々は皆、雷嘉の試験に合格したもの達ばかりだということで、話してみるとかなりの事は理解されていて。細かいところを埋めて行けば、すぐに宮でも教えられるようになるでしょう。」
漸が、頷く。
「今はあの試験に合格せねば宮の結界を出てはならぬと皆に申し渡しておるからの。これらはなので、全員基本的なことは分かっておるはずなのだ。」と、伯を見た。「特に伯は誰より早く理解したので、こやつは賢しい。とにかくこれを徹底的に教育してくれたら、それが一番早いだろうし後は我が宮で何とかできると思うのだが。」
頭が柔軟で賢いんだろうな。
蒼は、思って頷いた。
「とりあえず、皆合格しているということは、それだけやる気のあるもの達ということだし、こちらも教育しやすいのだ。どうする?これらを全部一度預かって、教育してから帰す方法もあるが、宮の政務は回るのか。」
漸は、顔をしかめた。
「…確かに全部は無理ぞ。何しろ頭の良いもの達ばかりが集まっておるからの。宮での地位も高い。」と、皆に号令を掛けた。「全員整列!」
すると、廊下に居たもの達もわらわらと集まって来て、サッと一列に並んだ。
良く見ると、女の軍神も結構な数居る。
何しろ狭いので、列は何重にもなったが、漸は言った。
「序列順よ。」漸は蒼に説明した。「貫を始めとして奇数の序列の者、そして伯、本日からこちらに残って励め。偶数の者、我と共に一旦宮に帰るのだ。これらが終わったら次は主ら。それで行く。」
全員が、狭い中で頭を下げた。
「は!」
蒼は、頭数を必死に数えた。
この数だと半分でも五十ぐらい。
何とかなりそうだ。
「…となると裕馬は漸につく事になるのか。」
裕馬が頷こうとすると、漸は首を振った。
「我より伯をとにかく育ててくれぬか。何しろこやつは頭の回転が速くて我でも敵わぬ時があるほどぞ。実はこれの母と我の母は同じでな。父が王であったかそうでなかったかの違いなだけなのだ。ちなみに母は、軍神で序列も一桁から動いた事がなかったほどの強く賢い女であった。」
母が同じ?
蒼は一瞬躊躇った。
が、よく考えたら婚姻制度がないので、そんなこともあり得るのだ。
「…そうか。ならばそれが良いのか…?」
蒼が、どうしたものかと思ってあちこち見ていると、伯が言った。
「蒼様、こちらではそれが奇異なことなのは我らもう存じておりまする。その、でしたら王、貫も。」
漸は、頷く。
「そうであるな。貫も母が同じだからの。我ら三人は父は違うが母は同じであるからの。ちなみに貫はその頃の筆頭軍神と母の子、伯は筆頭重臣と母の子なのだ。」
ややこしい。
蒼は頭を抱えたくなったが、何とか頷いた。
「あー、つまりは主だけ父が王なのだな。」
漸は、頷く。
「その通りよ。父の子の中で我が一番優秀であったから父は我を跡に決めた。貫と伯も同じ。父が誰を己の跡目にするのか決めるのだ。まあ、我が母は優秀であったからの。我を産んで死んだのが惜しいぐらいよ。聞いたところによると、姿もかなり美しかったようよ。」
つまり、その母親はもう居ないのだ。
いろいろ混乱しそうだったが、蒼は無理やり頷いた。
「…そうか。会ってみたかったの。」
漸は、苦笑した。
「主なら言い寄られたやも知れぬぞ?その大きな気なのに穏やかな様子、そんな様はなかなか見ないからの。その上ここは、癒しの気がこれでもかと降り注ぐ桃源郷ぞ。我が母は…まあ、相手が多かったらしいから。生んだのは我ら三人だけだが。」
男好きだったのか。
蒼は、不謹慎だが居なくて良かった、と思ってしまった。
そっち関係の面倒は抱えたくない。
蒼は、慌てて話題を変えた。
「では、主の教師だが…」と、見回した。「どうするかの。王族であるしなあ。」
裕馬が、ぽんと手を打った。
「そうだ、王族なら元王族の品の良い女神を、侍女にはもったいないって蒼…王がこちらへ寄越したでしょう。最近、授業も始めて良い教師なんですよ。彼女にしましょう。王族の嗜みも知っておるし。何より子も居るので落ち着いていて我慢強いんです。」
我慢強いって。
蒼は思ったが、恐らくそれは松だ。
松は、侍女として立ち働いていたが、樹伊が松の妹の楢を娶ったので、こちらへも恐らく頻繁に来ることになる可能性が高い。
その時に主従関係になって顔を合わせる事になったら気まずいだろうと考えて、蒼は教師として働いたらと勧めたのだ。
松は務まるのだろうかと案じていたが、どうやら上手くやっているようだった。
「…ならばそれで。主に任せよう。」
松なら漸のことも上手く扱いそうだ。
蒼は思って、教師の人選は裕馬に任せる事にしたのだった。




