月の宮
「何と申した?明日?」維心は、目の前で膝をつく義心に言った。「あやつは月の宮へ参るのか。」
義心は、困ったように頷いた。
「は。貫に聞いたところによると、帰り道で十六夜に話し掛けて蒼様がご承諾なさったのだとか。十六夜は渋っておったようですが。」
維心は、ため息をついた。
明日…明日は謁見があるので自分はここを出られない。
蒼が一人で漸と対面することになるのだ。
「…困ったものよ。とはいえ、荷を聞いて来たということは、あちらはとりあえず最低限の礼儀だけは既に弁えておるということよな。手ぶらで行けぬと知っておるわけだから。」
義心は、頷いた。
「は。漸様が指示なさったとのことですので、そこは弁えていらっしゃるご様子かと。何を待って参るのかは、臣下に丸投げであるようですが。」
維心は、答えた。
「まあ、蒼はそんな細かい事にごちゃごちゃ言わぬ性質であるし、余程変なものを持って行かぬ限りは大丈夫だが、問題は漸ぞ。蒼に何を申すか案じられる。」と、義心を見た。「主、明日は密かに月の宮へ参って様子を見て参れ。表向き軍の指南だとかで良いから。蒼が困っておったら主が助けよ。他宮のことであるから難しかろうが…蒼なら少々強引に割り込んだところで咎める事もあるまい。とにかく、蒼が案じられるのだ。」
義心は、頭を下げた。
「は!では、明日は夜明けに月の宮に向かいまする。」
維心は、頷いた。
「頼んだぞ。」
何でも義心に丸投げなのは自分も同じだな。
維心は内心思って苦笑したが、義心のほかに自分の代わりを務められる神がいない。
維明や維斗を行かせても良いが、仰々しくなるのでそれもできないのだ。
そんな維心の気持ちも知らず、義心はさっさと頭を下げて、そこを離れて行ったのだった。
次の日の朝早く、月の宮では、結界まで漸が来たと聞いて、蒼は到着口まで迎えに出た。
初めてこちらに来る、その昔から居る力の大きな神なので、謁見の間で待つのは失礼だと思ったのだ。
そもそもまだ漸の序列は最上位の中で定まっていないが、元からあの中に居たら間違いなくNo.3にはなるだろう神だ。
なので、蒼はそこで待つ事にしたのだ。
すると、漸は仰々しく列を成した軍神達と、それに守られた輿という正式な形で降りて来た。
どうやらきっちり神世のことは学んでいて、それが公式に最上位の王が訪問する形なのだと理解しているようだった。
先頭の軍神達が次々に降り立って膝をついて行く中で、真ん中の輿が下ろされ、そこから漸が降り立つ。
その背後では、まだたくさんの軍神と、それに運ばれた厨子が降りて来ていた。
「漸殿。よう来られた。我がこの宮の王、蒼ぞ。」
蒼が言うと、漸は会釈した。
「月の宮王、蒼殿か。我が犬神の王、漸。この度は急な訪問に応えて頂き感謝する。」と、チラとまだまだ降りて来る厨子の数々を振り返った。「あれは此度のご挨拶の品ぞ。お納め戴きたい。」
蒼は、驚いた。
かなりの量だからだ。
というか、持って来るとは思っていなかったので、返礼品がまだ準備できていない。
蒼が恒に頷きかけると、恒は頭を下げて、その厨子達の確認に向かった。
恐らく恒も内心では、急いで返礼品を選んで詰めないとと思っているはずだった。
蒼は、言った。
「わざわざすまぬな、漸殿。」と、足を奥へと向けた。「応接室へご案内しよう。初めてお目にかかるしいろいろ話を聞きたいと思うておって。謁見の間では堅苦しいしな。そちらも月に興味があるので参ったのだろう?」
漸は、蒼に並んで歩き出しながら頷く。
「話が分かる王で良かったことよ。参ろう。」
そうして、二人は歩き出した。
それを見送りながら、貫がホッとしていると、恒が言った。
「…誠に見事な品々、御礼を申し上げます。つきましてはこちらから返礼のお品をお持ち致しますので、臣下の皆様にはそちらの、控えの間でお待ちくださいませ。」
すると、厨子の脇に立っていた、神が深々と頭を下げた。
「我は、王漸様の重臣筆頭の伯と申しまする。」
恒は、仰天した。
筆頭重臣が来たのか?!
「我は、月の宮重臣筆頭の恒でございます。伯殿、知らぬでご挨拶が遅れまして申し訳ありませぬ。」
恒が外向きの様で言うと、伯は首を振った。
「いえ、この度は王が案じられて無理を申してついて参りました。本来名乗らずおとなしゅうしておれと王には言われておりましたが、どうあってもこちらの臣下のかたに、いろいろお聞きしたいと思いまして。恥を忍んで参った次第でございます。」
聞きたいこと?
恒は、伯のかなり礼儀に通じた様子から、いったい何を聞きたいのか分からなかった。
何も知らぬから教えて欲しい、なら分かるが、恒から見て伯は完璧だ。
目は鋭いが、控えめな様も重臣らしい。
恒は、言った。
「我に分かる事なら何なりと。ですがいったい何を?」
伯は、恥ずかしそうにした。
「その…我ら、全てが初めての事でありまして。」と、皆を見回す。良く見ると、軍神達も全員がこちらを縋るように見ている。伯は続けた。「礼儀も何も弁えず、宮の雷嘉という人世で育ち、龍の宮で教育を受けた神と、昨日そちらの貫が義心殿に聞いて参った事だけで、何とか表面上取り繕っておる状態で。これよりどのようにすれば良いのか、細かい事が全く分からぬのでございます。」
昨日義心に聞いて来ただけ?!
恒は、逆に驚いた。
それでこれだけできるのなら、恐らく教えればすぐにそつなくできるだろう。
「…問題ありませぬ。では、我がお教えしても良いのですが、こちらは人世で育った神や、結界外で不遇に育った性質の良い神などが、神世に復帰するために受け入れている宮。なので、教師が多数居るのですよ。皆、教えることを務めとしておるので、大変に上手いのです。それらに教わってはどうでしょう。とりあえず、短い講義だけでも。もし漸様が許されたら、通ってくだされるか、滞在するなら部屋もご準備できます。ここは、そういう事に特化した宮なのです。何も恥じる事などないのですよ。」
それを聞いた伯は、パアッと明るい顔になった。
もちろん、回りの軍神達もだ。
まさかそんなに便利なものが、世にあるとは思ってもいなかったらしい。
「おお!おお恒様、何と有り難い事であります事か!少しでも教わることができるのなら、これ程心強いことはありませぬ!蒼様には、お許しくださいますでしょうか。」
恒は、頷いた。
「もちろんです。王は、本日それを漸様にお伝えしようと仰っておりました。こちらは皆、学校と申す所で学んでから、宮の仕事などに振り分けられて仕えておりますから。珍しい事ではないのですよ。ましてあなた方は大変に賢い神。すぐに学ばれるでしょう。」と、歩き出した。「こちらです。学校にご案内致しましょう。」
蒼が話すまでもなかったかもな。
恒は思いながらも、とにかく王が承諾しなければならないので、そこは蒼に頼もうと、大勢の軍神達と伯を連れて、学校の方へと向かったのだった。
学校では、いきなり大勢の神を恒が連れて来たので驚いた。
裕馬は、蒼から聞いて漸が見学したいだろうと、その準備に忙しくしていたところだったのだ。
裕馬は、例によって丁寧な伯の挨拶を受けてから、言った。
「私はこちらの校長を任されております、裕馬と申します。本日、王からは恐らく漸様がご見学に来ると聞いておりましたが…臣下の方々に講義をと。」
伯は、頷いた。
「はい。何しろ雷嘉からしか教わる事ができず、龍の宮にも書状は書いてみましたが、もし何か失礼があったらと出せておらずで。恒様から、学校というものがあると伺って、藁にも縋る思いで参りました。」
裕馬は、頷いた。
「私はそれを仕事にしておりますので、いくらでもお教え致します。何より王がそのおつもりでありますしね。ただ、あなた方は見たところ問題のないご様子。礼儀も弁えていらっしゃるし、私がこれまで見てきたどの神よりも洗練されたご様子ですが、逆にお教えするのがおこがましいのではないかと。」
伯は、ブンブンと首を振った。
「昨日義心殿からこのように振る舞うのだと貫が聞いて参って、それを何とか演じておるだけなのです。誠に分かっておるわけではありませぬ。我らは、どこに出ても恥ずかしくない様にならねばなりませぬ。王は雷嘉に教われとそればかり…ですが、雷嘉もそこまで詳しいわけでは。」
雷嘉はあの、この前の騒ぎで神格化したって奴だな。
裕馬は思った。
何より宮のためにと必死な伯や軍神達には、どうあっても助けてやりたい気持ちになった。
裕馬は、頷いた。
「…分かりました。では、皆様に合うテキスト…教科書を選びましょう。そこから段階別に組に分けて、それぞれの教師が教えます。大丈夫、任せてください。まずは一人ずつ面談を。何がわからないのか、そこから調べましょう。」
伯は、頭を下げた。
「ありがとうございます!よろしくお願いいたします。」
そうして、恒は皆を裕馬に任せてそこを出た。
返礼品の選定をしなければならないのだ。
一気に忙しくなった学校では、他の教師達も呼ばれて大騒ぎになったのだった。




