準備
維月は、鵬に仕事が入ったからと、準備を他の臣下達とやっていたのだが、維心が出掛けたらしいと侍女から連絡が入った。
どうせ、何も言わずに出かける先というと、友の神の宮ぐらいのものなので、炎嘉にでも会いに行ったのだろう、と維月は思っていた。
だが、鵬が戻って来て、血相変えて言った。
「お、王妃様!我はもう、仰天してしもうて…。」
維月は、何事だろうと鵬を見た。
「どうしたの?何かあったの?そういえば、維心様が出掛けられたとか聞いたけど、それと関係が?」
鵬は、何度も頷いた。
「はい。恐らく王に於かれましては、炎嘉様にご相談に参られたのではと。実は、たった今結界外に犬神の使者が参って…王にお目通りしたいと、犬神の王から書状を携えておったのでございます!」
「ええ?!犬神って…太古の昔に宮を閉じたっていう、あれ?!」
鵬は、何度も頷いた。
「はい。あちらは先触れのつもりで来られたようでしたが、王はいきなりだと無理だと申されて、明日の朝来て欲しいと返事を書くように仰いました。なので、そのように書いてお返し致しましたが…恐らくは、明日は炎嘉様とお二人でご面会なさるおつもりなのではないかと。」
それなら、炎嘉の所へ行くのも分かる。
維月は、思った。
犬神など、維心も見た事がないと言っていたし、そもそも初代龍王の頃に少し、記録があるぐらいなのだと聞いていた。
物凄く、レアな神なのだ。
「え、え、どうしましょう、鵬。お迎えするのに、宮を片付けねば。初めてお会いするのに、失礼があってはなりませぬし、こちらが見劣りしてはなりませぬ。」維月は、立ち上がった。「到着口からの敷き布を大至急新しい物に!焼き物の龍に申して、ここ最近で一番の花瓶を出すように申して!宮に残っておる軍神を動員して、外壁の清掃を!宮全体の拭き上げを常より力を入れて、私が人世から取り寄せたワックスを使って磨き上げるように!」
鵬は、深々と頭を下げた。
「はは!!」
維月は、急いで新しい花を選んで来なければ、と、維月は庭師の所へ急いだのだった。
そんなこんなで宮の事を指示して部屋へと帰って来ると、維心が戻っていて居間で座っていた。
維心は、維月を見てパッと嬉しそうな顔をしたのだが、その後拗ねたように言った。
「維月、月見の準備はもう良いぞ。だからこちらへ戻っておれば良かったのに、いつまでも戻って来ぬから。」
維月は、首を振った。
「違いまするの。鵬から聞いて、明日の来客のために宮の中を整えるのに指示を出しておりました。初めてお越しになる神であり、失礼があってはなりませぬし、こちらの宮が見劣りしてはと案じましたの。とりあえず、花も選んで参りましたし、内側は何とか。只今は軍神達に外壁を掃除させておりますので、夜までには何とか形になりそうですわ。」
そうだったのか、と維心は頷いて手を差し出した。
「そうであったか。すまぬな、もう必要ないのに主が戻って来ぬと思うておったから。確かに宮始まって以来…ではないが、我が王座に就いてからは無かったことであるし、主の気遣いには感謝しておる。」
維月は、維心の手を握って隣りへと座りながら、言った。
「後は、お着物ですわ。ちょうど快が謁見のお着物を仕立てて持って参ったので、それを明日着付けさせて頂きますので。草履と靴は、どちらになさいますか?」
「靴で。」維心は答えてから、続けた。「そこまで気合いを入れずでも良いぞ。あまりにこちらか構えておったらあちらも構える。炎嘉も来るが、なので他の王には知らせておらぬのだ。様子を見て、長月の会合ででも話すかと思うておって。」
維月は、顔をしかめた。
「そのような。炎嘉様もそれなりのお着物でいらっしゃるかと思いまするし、維心様が見劣りしてはなりませぬから。到着口から謁見の間までの敷き布は替えさせましたし、宮の中も侍女侍従が総出で磨いて、この間月の宮からもらった人世のワックスを使って磨いておりますの。美しくなりましたわ。」
そこまでか。
維心は、やり過ぎな気もしたが、しかし確かに太古の昔から接することが無かった神との交流であるし、あちらがどんな状態で、どれほど豊かに暮らしているのかも分からない。
維月が言う通り、最初からこちらが劣っていると思われるのも下に見られそうだし、これぐらいやるのが良いのかもしれない。
維心は、もう準備のことで疲れて来ていたが、明日の謁見が気になって、その事ばかりを考えてしまっていたのだった。
一方、炎嘉の方では、犬神と聞いて開が仰天し、初の対面ならばと炎嘉の衣装にかなりの気合いの入れようだった。
炎嘉は、面倒そうに言った。
「だから見合いに行くのではないぞ。」炎嘉は、着物を横へと押しやった。「そこまで着飾って何とする。我はそれでのうても維心に派手だ派手だと言われるのに!今少し落ち着いた柄の謁見用の物を持って参れ。あ、いや維月が仕立ててくれた物があるではないか。あれにしようぞ。」
開が、仕方なく縫製の鳥と着物をまとめながら、顔を上げた。
「維月様の?まだ袖を通しておられないアレでしょうか。」
炎嘉は、頷いた。
「そうよ、ソレよ。ようできておると主らも褒めておったの。月の気がするのは珍しいゆえ、見劣りなどせぬだろうて。何しろ、絶対にそんなものは犬神でも持ってはおらぬから。どうよ?」
言われて、それはそうだと思ったのか、開は頷いた。
「確かにそのように!では、それに合わせた重ねを出させておきまする。王、宮の沽券にもかかわって参りますので。どうか、明日は我らの言う通りに着物に袖をお通しくださいませ。」
炎嘉は、鬱陶しいなと手を振った。
「ああ、分かった分かった。もう下がれ。それより、厨子に早う詰めよ。本当は維心と共に参るところであったのに、主らがまだ準備がどうのと我を足止めしたのだろうが。今夜はあちらに泊まるのだ。今言うた着物を着てほしければ早う準備せよ!でなければもう参るぞ。」
開は、慌てて頭を下げた。
「は!では急ぎ出発口に厨子を運んでおきまする!」
面倒だわ。
炎嘉は、あれこれ煩い臣下達に、王などやるものではない、と心底思っていた。
とりあえず、炎嘉は夕方到着した。
一緒に来るという炎嘉を、開がそれならご準備がと必死に引き留めたので、今になったのだ。
本来泊まるとなると酒宴だが、今夜はあいにくそんな気分ではない。
なので、二人は居間に座って話し合う事にした。
「維月、主はもう寝ておれ。我らは明日の段取りをしてから寝る事にするゆえ。」
維月は、できたら話が聞きたいとは思ったが、聞いても自分が同席するわけでもないので、仕方なく頷いた。
「はい。では、おやすみなさいませ。」
そうは言っても、これから湯殿に行って寝る支度を始めるので、まだ寝るわけではない。
だが、維月はそう言って、奥へと下がって行った。
炎嘉が、言った。
「維月も居っても良かったがの。だが、我はもう、別に維月がどうのとは思うておらぬらしい。」
維心が、驚いたように片方の眉を上げた。
「ほう?己のことであるのにらしいとはどういうことぞ。」
炎嘉は、苦笑した。
「聡子ぞ。」維心がますます不思議そうな顔をしているので、炎嘉は続けた。「我はな、もう分かっておったのだ。今は別に、維月を愛してなどおらぬ。もちろん、前は真実愛しておったが、今は主の方をより愛しておって、維月の事は想うておらぬらしい。聡子が、そう言い当てたのだ。」
維心は、びっくりした顔をした。
どう反応したらいいのか分からない。
「それは…その、すまぬが我は、まだ主とその…褥を共にとか無理であるが。」
炎嘉は、笑って首を振った。
「それも、聡子が同じく否定しておったわ。我らの間は、お互いに愛し合っておるが、そういう欲など関係ない愛情なのだそうだ。なので、誰かを愛して傍に置いていても嫉妬もないのだそうだ。だが、お互いの危機には命を懸けて守る。そういう仲なのだそうだ。すんなりと言われて、あまりにも当たっておったので言い返すこともできなんだ。同じく志心も、己の事をよう知っておってスッキリしただの言うておったしな。分かっていても、己で己を縛っておる何かがあるものよ。それを、聡子はあっさりと解きほぐしてしまうのだ。ゆえ、何かに行き詰ると、あれと話したいと思うのだ。」
炎嘉は、遠い目をして幸福そうにそう言った。
維心は、不思議そうな顔をした。
「我には分からぬが…あれがそう申したのなら、誠によう知っておるということか。」
炎嘉は、頷いた。
「主も一度話しておいた方が良い。きっと、己の中の疑問が解決するぞ。するとそこからの生が、無駄にならぬ。維月の里帰りの時について参るのだから、その折面会を申し出てみると良い。その時、我もまた話したいと言うておったと伝えて欲しい。我は、今は天黎の守りの中におってなかなか面会を願い出るなどできぬからの。主のように月の縁者なら違うが。」
維心は、首を傾げた。
「ならば共に参るか?ちょうど維月が、神有月に帰るとか言うておったのだ。長月の月見が終わって落ち着いたら里へ帰りたいとか。だが、此度のことでしばらくごたごたしそうであるし、月見もどうなるか分かるまい。その時、主も参れば良いのよ。」
炎嘉は、パッと明るい顔をした。
「そうか。ならばその時に参るわ。」と、ため息をついた。「此度の犬神の件にしても、恐らくあれは知っておるのだろうが…未来の事は教えてくれぬと言うておったしな。己でなんとかするしかないわ。」
維心は、頷いた。
「では、明日どう進めるか考えようぞ。」
そうして、炎嘉と維心は、その夜遅くまで話し合っていたのだった。