犬神の宮
漸は、龍の宮から飛び立ちながら、空に向かって叫んだ。
「月よ!我は犬神の王漸ぞ!維心から話を聞いておると聞いておる。我と話さぬか!」
叫びながら飛んでいるので、通りすがりの神が驚いた顔をしてついて来ていた貫がバツが悪そうにしていたが、漸は意に介さない。
すると、月から声が返って来た。
《おう。オレは陽の月の十六夜だ。ってか叫ばなくても聴こえるっての。お前うるせぇぞ。》
漸は、その口の利き方に驚いたが、言った。
「十六夜殿。その、月の宮へ行っても良いか。」
十六夜は、呆れたように言った。
《なんだよいきなり。神ってのはみんな、先に今から行くけど良いかって、王に先触れを送るんじゃねぇのか。礼儀を習ってるんだって聞いたぞ?オレだって礼儀にはからきしだが、お前は神の宮の王なんだから、ちょっとはそれに倣って蒼に書状でも送ったらどうだ?それで駄目だったら諦めな。あいつもオレもそんなに暇じゃねぇんだよ。》
漸は、宙で止まって空を仰いで言った。
「我だって、いきなり言いたくはないが、前から思うておったが一向に維心が紹介してくれぬから。話ぐらい聞いてくれても良いではないか。それとも主が、このまま我と話してくれるのか、十六夜殿。」
十六夜は、ため息をついた。
《オレの事は十六夜でいい。そうだなあ、オレは別にいつでも聴こえてるから暇な時は答えてやるけどよ…》と、ふと黙った。そして、また話し出した。《…ふーん。蒼が聞いてて、別に話してもいいって言ってるぞ。》
漸は、パッと明るい顔をした。
「え、良いのか?」
十六夜の声は、あまり気が進まないように言った。
《いいってよ。明日の朝に来いってさ。》と、漸ではなく誰かに言った。《ほんとに良いのかよ、維心も居ないのに。》
恐らく、蒼に言っているのだろう。
漸は、言った。
「大丈夫ぞ、我だって宮では王をやっておるし、常こんな感じではないのよ。維心や炎嘉を見ると、昔を思い出してつい、奔放になるが、普段は堅苦しい地位にうんざりしておるぐらい。蒼殿には、きちんと礼を尽くす。明日の朝、月の宮の結界へと参る。」
十六夜の声は、仕方ないという風に頷いた。
《まあいいさ。蒼がここの王だし、会うって言ってるんだしな。じゃあ明日来い。待ってるってよ。》
漸は、満足そうに頷いた。
「蒼殿によろしく申してくれ。ではの、十六夜。」
漸は、上機嫌で帰りを急ぐ。
貫は、そんなに安易に月に会いに行って大丈夫なのかと、案じながら後ろをついて飛んで行ったのだった。
漸は、広い敷地に余裕を持って円形にドン、ドンと建っている自分の宮へと向かった。
その真ん中に大きくそびえ立つのが、本宮だ。
回りにあるのは、執務の宮、職人の宮々、侍女侍従の宮、来客用の宮と、皆中央の本宮とは回廊で繋がっている。
ちなみに軍神の宮はそれらの回りの更に外側をぐるりと囲むように平たく円形になっていて、砦のようになっていた。
その中に、臣下達は収まっており、宮を形成していた。
その外側には臣下達の屋敷があちこちに建ち並んで町のようになっていて、それでもそれは森の中なので、上空からはよく見えない設計になっていた。
つまりは木々は残して合間に屋敷を建ててあるので、真ん中の本宮以外は外から目視しづらかった。
本宮の到着口に降り立った漸は、慌てて出て来る臣下達に叫んだ。
「明日、月の宮へ行く!手土産を準備せよ!」
「ええ?!」
皆が、仰天した顔をした。
「お、王!」重臣筆頭の伯が言った。「そのような、明日など!外の方々がどんなものを好むのか、まだしっかり学んでもおりませぬのに!これから龍の宮に問い合わせてそれを揃えるのに、時がありませぬ!」
漸は、奥へと歩きだしながら言った。
「雷嘉に聞け。あやつなら何を持って行けばとりあえず良いのか知っておろう。」
伯は、急いで漸について歩きながら言った。
「そのような。雷嘉は軍神としての訓練を受けておっただけで内向きの事までまだ習っておりませぬのに。あれはあちらの神として、一般的に知っておることしか知らぬと申しておりました!何もかも雷嘉になど、あれにも荷が重いのです。」
漸は、はあとため息をついた。
「だったら主、龍の宮に学びに行って参れ。」伯がえ、と驚いた顔をする。漸は続けた。「雷嘉の試験に真っ先に通ったと聞いておるぞ。此度はとりあえず雷嘉に聞いて適当に持って行くゆえ、後の付き合いは主が学んで参れ。我にそんな細かい事を聞くでないわ。」
伯は、仰天して言った。
「そんな、適当になど!」漸は、奥宮の中へと引っ込んだ。「王!」
閉じた扉の前で、伯が困惑していると、貫が言った。
「…仕方がない。とりあえず我は、もう一度龍の宮に引き返して義心殿に聞いて参る。義心殿は軍神だが内向きの事もそれは良く知っておるのだ。待っておれ。」
伯は、頷いた。
「月に会いに参るのに、その初めが適当では示しがつかぬからの。すまぬが頼む。我も、王があのようにおっしゃるゆえまた、龍の宮に問い合わせて学びに行かせてもらうわ。己でなんとかせねば、王があのご様子であるし宮が神世でどのように扱われるのか恐ろしいのよ。」
貫は、神妙な顔で頷く。
「主は賢しいし、任せて良いか。我も折に触れていろいろ聞いては来ておるが、何しろいろいろ細かい礼儀があっての。下々の者ならいざ知らず、我らのような立場の者は、宮の評判に関わるゆえ。」
伯も、深刻そうな顔をした。
この宮では、とにかく臣下が優秀なので、それが漸が向こう見ずな動きをしても補佐してなんとかやって来た。
なのにその臣下も知らない事の中に行こうとしているのに、不安でたまらないのだ。
貫は、早速また宮を飛び立ち、伯は龍の宮へと失礼のないようにと慎重に文言を考えて、書状を書き始めたのだった。
一方、月の宮ではそこまで大層に考えてはいなかった。
そもそもここはそこまで礼儀にうるさくない。
蒼がおっとりとしているからだ。
月の宮は人世からの帰還者や、はぐれの神を受け入れて運営しているので、今さら礼儀云々なかった。
全部一から教える事に慣れているからだった。
思えば、真っ先に月の宮と懇意になっておいた方があちらにとっても良いのかもしれない。
蒼は、前々からそう思っていたのだ。
なので、漸が十六夜に月の宮に行きたいと言っているのを聞いた時、だったら来たらいいと思った。
十六夜は渋っていたが、元々たくさんのそういった神ばかりを教育して来たのだから、蒼にとっては今さらだった。
むしろ、早めに会いたいとずっと思っていたのだ。
蒼の考えを聞いて十六夜は、確かに、と思った。
はぐれの神のように思って対応したら良いのだ。
「そうか、お前賢いな。確かにここは礼儀知らずばかりだったもんな。今はみんな分かってて上手くやってる。ここが一番あいつを理解してるといえばそうだよな。」
蒼は、頷いた。
「そうなんだよ。でも、維心様が教えるって言ってたし、あちらは気を遣ってオレに面倒を掛けないでいようとしてくださるんだけど、こういうのはオレ達の専門なんだよね。困ってるんなら手助けするよ。教師だって居る。みんなそういうのに慣れてる神ばかりだから、何を教えたら良いのかまでしっかりカリキュラム組まれてるからね。」
十六夜は、感心して蒼を見た。
「確かになあ。お前を見直したよ。むしろはぐれの神より行儀が良いから教えやすいぞ。ちょっとずつ預かって教育したら数年で全員分かるようになるんじゃないか。」
蒼は、頷いた。
「うん。漸に提案してみるつもり。とにかく十六夜も、あんまり心配しなくていいって。確かに価値観の違いは埋められないけど、そういう仲にならなきゃいいんだから。むしろ維心様がたの力になれるなって、良かったと思ってるんだ。」
維心も困っているようだったので、それは助けになるだろう。
そんなわけで、蒼は漸に会うのを楽しみにしていた。
別に手土産などは期待していなかった…持ってくるとも思っていなかったのだ。
伯や貫の心配を余所に、なので月の宮は落ち着いて漸を待っていたのだった。




