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内情

樹伊は、表向き穏やかに過ごしていた。

臣下は楢を大層気に入っていて、楢はそれなのに控えめで出過ぎる事もなく、綺麗に宮を回してついでに礼儀の指導もやんわりとしてくれる。

そんなわけで表面上は、樹伊の宮は落ち着いていたが、樹伊は樹佐のことが気になって仕方がなかったのだ。

まだ幼く、遊んでばかりだったが自分だってあの頃はそうだった。

それでも臣下は玉貴が気に入らないので、あれではまともな教育もできようはずがないと考えて、跡目と認められぬと申し入れて来たのだ。

確かに、玉貴は学ぶ気もないどちらかと言うと怠惰な性質の女だった。

だが、娶って共に過ごして、愛らしい所もあったのだ。

なので守ろうとしたが、玉貴にはそれが分からなかったのだろう。

先に説明して我慢するようにと言えば良かった、と、未だに後悔していた。

とはいえ、楢が入った今となっては、玉貴が今、ここに居たなら、恐らくもっとつらい事になっていただろう。

何しろ、楢は出来すぎるほど出来た妃なのだ。

玉貴と正式に離縁していないのを知って、戻る時のためにと樹伊の部屋の真横の、本来正妃が入る部屋に玉貴が居た事を知り、そこを空けて自分は少し離れた位置に部屋を設えさせた。

王の部屋からは離れれば離れるほど部屋の質が低くなるのに、楢は真横ではあちらも気分を害されるでしょうと言って、わざわざ離れた部屋を選んだ。

臣下は今も反対しているが、楢は絶対に譲ろうとはしなかった。

今時珍しいほど古風で、控えめな皇女なのだ。

そんな空気の中で、玉貴を戻す事はもう出来なかった。

楢は恐らく玉貴と上手くやろうとするだろうが、玉貴も臣下もそれを良しとはしないだろうからだ。

なので今は、とにかく樹佐だけでもと、樹伊は思っていた。

楢ならば、樹佐を立派に育ててくれるだろう。

寧は、恐らく無理だろうとあきらめていた。

玉貴から、子を全て奪うことは、さすがに樹伊も心に重く、言い出せそうになかった。


そこへ、臣下が入って来て、言った。

「王。甲斐様から、書状が参っております。」

樹伊は、考えていた折りも折りだと急いで手を差し出した。

「これへ。」

急いで目を通すと、甲斐からの言葉は今までとは全く違い、樹伊へのこれまでの労いと、玉貴はこちらへ引き取るが、樹佐は帰りたいと言っているのでそちらへ帰したい、という事が書かれてあった。

これまであれだけ罵倒していたのに一変、甲斐はとても落ち着いているようだった。

「…我にこれまで玉貴を世話して守った労いが書かれてある。」臣下が驚いていると、樹伊は続けた。「ついては樹佐は帰りたいと申しておるから帰したいと。」

臣下は、顔をしかめた。

「どうせ皇子という肩書きがなくなるのを恐れてのことなのでは。樹佐様ご本人がそんなことを言えるはずなどありませぬ。」

樹伊は、そのトゲのある言い様に、臣下を睨んだ。

大居(おおい)。言葉が過ぎるぞ。あれは我の子、後を継いで王となれば主の子々孫々まで宮に上がれぬようになるが良いのか。」

大居と呼ばれた臣下は、ビクと体を震わせて、下を向いた。

偉そうな事を言っているが、宮で要職につけているのは王である樹伊であって、樹伊がそれを許さなければその地位に留まることはできない。

口が過ぎた、と思ったのだろう。

「も、申し訳ありませぬ。つい、長らく玉貴様には悩まされておりましたので…。」

それは、樹伊も分かっていた。

臣下も父王も渋るのに押し切って甲斐の宮から玉貴を娶ると決めたのは、自分だ。

一度は正妃にしようとまで思っていた…何しろ、若くして見初めていたし全く回りが見えていなかったのだ。

父王にも臣下にも止められたが、それでも樹伊は玉貴を正妃に据えた。

思えば他の王達にどんな目で見られていたのだろう。

今なら、父王が言っていた事も分かるのだ。

思えば、父の樹藤はこれらをしっかり治めていた。

自分に代を譲ると言われた時、これらは同時に退職して己も息子に跡を譲る事もできたがそれをしなかった。

まだ歳若い王が、頼りないと思っていたのは確かだろう。

何しろ政務も父に助言をもらいながらだったのだ。

そんな時に、この宮では考えられない位置からの妃を迎えたいとごね、果ては正妃にしたいなどと言い出したのだから、これらがあの王に従って居ては宮は危ういと考えてもおかしくはない。

自分も政務に関して助けられる事が多かったので、強くは治めて来なかった。

だが、今は何もかも自分でできるし、父も安心して離宮に隠居している。

何も、臣下に媚びる必要などないのだ。

「…玉貴同様、主らの事も甘やかせ過ぎたのやもしれぬ。此度のことは我にも非がある。何より玉貴をしっかり躾られなかったのは我の責ぞ。だが、それにより我が子まで主らに某か言われる謂れはない。これより同じような事があれば、樹佐の即位を待たずに主らの家系は宮より追放する。次代の王に歯向かう輩など養う謂れはないからの。領地の結界から出すかどうかは、王になった樹佐の判断に委ねる事にするが、左様心得ておくがよい。次の会合で主らには正式にそのように申し渡す。次は覚悟しておくが良い。」

大居は、まさかそこまで樹伊が怒ると思わなかったので、慌てて言った。

「そのような!王に歯向かうつもりなどなかったのでございます!我は宮のためにと…。」

樹伊は、冷たく大居を見下ろした。

「今の一度で断罪しても良いのだぞ。寛大な我に感謝するが良いわ。下がれ。これの対応は我がやる。」

大居は、樹伊が本気で怒っている、と、震えながら頭を下げると、その場を出て行った。

…どうせまた、父上にでも話に行くのだろうて。

樹伊は思いながら、甲斐に向けてあちらの求め通り玉貴を正式に離縁する手続きをすること、樹佐の迎えを送る事を書状にしたためて送ったのだった。


次の日甲斐は、それを受け取ってホッとした。

樹伊は、甲斐が頭に血が上って現実から目を背けていたことを、責めることはなかった。

玉貴が嫁ぐことにより、時々送ってくれていた品々がなくなるのは痛いが、それでも公明がいつでも困ると支援してくれる傘下であるこの宮は、滅ぶ心配もなく困ることはない。

贅沢はできないが、甲斐はそれで満足していた。

何しろこれは、自分が選んだ道なのだ。


甲斐が書状を手に玉貴を訪れると、玉貴は泣き叫ぶ寧を腕に泣きそうな顔をしていた。

乳母はそこには居ない。

どうやら、甲斐が昨日、玉貴に言った事を聞いて、お役を下りるとあれから玉貴に寧を渡してそれきりのようだった。

樹佐は昨日甲斐が己の部屋へ連れて戻ったので、あちらの奥で乳母が世話している。

樹佐が言ったように、乳母が居れば何の問題もないようだった。

「お父様…」玉貴は、涙を浮かべながら言った。「寧が昨夜から泣いて、一向に泣き止まぬのですわ。少し眠ってもまた目覚めて…休む間もありませぬ。」

甲斐は、ため息をついた。

「赤子と言うてももう二年、そこまで聞き分けのない子でもないようなのに。主、昨日から着物は替えたのか?」

玉貴は、首を振った。

「着替える暇もありませぬ!昨日から同じ着物で、寝る間もなかったので…」

「違う。」甲斐は嗜めるように言った。「主の事ではない、寧ぞ。何か問題があるのではないのか。一度着物を替えてみよ。赤子のこと、何か気に入らぬ事があるのやも知れぬ。」

玉貴は、困った顔をした。

「そうは申しても…どうやって着替えさせたら。」

甲斐は、ため息をついた。

思えば己で着替える事もできないのだから、子を着替えさせるなどできぬわな。

「…ならば侍女に教えさせるゆえ、己でやってみよ。」甲斐は、背後に控える己の侍女に頷きかけた。侍女が進み出る。「侍女は乳母ではないから子の世話はせぬ。自立できるようになったら主の子にも侍女はつけよう。それまで、母がやっておったように主がやるのだ。分かったの。」

玉貴は、首を振った。

「無理ですわ!この子が育つまでなど…」

「無理でも母はそれをやって主らを育てたのだぞ?」甲斐はそれを遮って言う。「主が己で育てると言うたのだ、言うたことには責任を持て。さあ、侍女から学ぶのだ。」

思っていた以上に、玉貴は誰かの助け無しでは生きるのが難しそうだ。

甲斐は、己の教育を反省していた。

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