宴の終わり
ひとしきり遊んだ後、炎嘉は足を投げ出して畳の上に座った。
「あー!こんな調子の速い曲など知らぬわ!誠に疲れた!」
漸は、笑いながら言った。
「それでも主は最後まで踊り切ったではないか。我の演奏で、やり切った奴は初めてぞ。」と、維心と高彰、志心を見た。「主らは誠に優れた奏者なのだな。この曲がこんなに華やかに美しくなるなど思いもせなんだわ。宮の者達にも聞かせたかったもの。」
高彰が、扇で己を煽ぎながら言った。
「いや、誠に必死であった。侮っておったわ、ここまで速い調子も初めてであったし。それより志心ぞ。主は己で編成したのだろう?大したものよ、よく曲の意味を掴んだの。」
志心は、苦笑した。
「まあ、人が我の結界内で演奏するのに似ておったし。だったらそれと同じようにするかと、見様見真似よ。」
それにしても、急にそれができるのが凄い。
維心は、笑った。
「この宮で、ここまで華やかな催しなどついぞなかったわ。楽しかった。」と、妃達の桟敷の方を見た。「お。あれらは退出する時間になったようぞ。」
思えば、月が高く昇っている。
色とりどりの着物に身を包んだ妃達が、扇で顔の大半を隠しながら、侍女達に囲まれて桟敷からの通路を、維月を先頭に宮の方角へと戻って行くのが見えた。
漸が、そちらへ目をやった。
そして、目を丸くした。
「…なぜに隠すのだ?なかなかに美しい女ばかりのようなのに。こちらへ視線を送りもせぬの。」
炎嘉が、言った。
「だからの、横恋慕でもされたら略奪に来る輩も居るやもしれぬしな。王の妃ともなれば、ああして姿のほとんどを隠すのが倣いぞ。あれらも、他の男に略奪でもされたら今の生活が崩れるし、ああして隠すのよ。美しいのは確かよ、何しろここには力のある王しか居らぬし、その妃であるからの。」
漸は、顔をしかめた。
「維月は外宮の侍女の通路に居ったのに?」
維心が、困ったように言った。
「あれは、元は人であった記憶が抜けぬ月であるから。月の宮は価値観が違っての。時々に表に出てそんな事にもなるのだ。あの後、叱責してあれは反省しておった。主であったから良かったが、攫われでもしておったら何とする。だからぞ。」
漸は、不思議そうな顔をした。
「ふーん…よう分からぬが…つまりは妃というものは、主ら以外に色目を使う事は無いのだの。」
あったら大変だ。
皆がドン引きしていると、炎嘉は諭すように言った。
「そんなことをするような妃は居らぬ。居ったら問題なのだ。咎められて、離縁となろうの。そんな女をこれを一人と世話して傍に置く意味が無いしな。あちらも脇見をするぐらいだから王のことを想うておらぬだろうし、離縁した方がお互いのためなのだ。」
漸は、何となく分かって来たのか、頷いた。
「そうか。女とはほとんどが、より良い男をとあちこち見ておるのだとばかり思うておって。そういうわけではないのだの。こちらは良いなあ、それなら安心して己の寝室へも共に入れそうだし。」
それは聞き捨てならない。
焔が、言った。
「え、主ら娶るのに己の寝室へ入らぬのか?」
漸は、はあ?という顔をした。
「共に寝るなどできると思うか?ポッと会ったばかりの女と。」
だからポッと会ったばかりの女とどうしてそういう事をしようとするのよ。
炎嘉が、言った。
「いや、焔が言うのはそう言う事では無くて、我らはよく吟味せねばそういう仲にはならぬのよ。何しろそこから生涯世話をせねばならぬやもしれぬ女になるわけであるから。絶対大丈夫だと思わねば、手を付けぬのだ。ゆえ、寝室へも連れて参れるわけよ。」
漸が、うーんと眉を寄せた。
「なんとのう分かるが、それでそっちの相性が悪かったらどうするのだ?気立てが良くてもそっちの事は合わぬこともあるぞ。我が言うのも何だが。」
そんなことを言われても。
皆が困った顔をして視線を合わせたが、漸を責めることはできない。
とにかく価値観が破壊的に違うのだ。
「…ま、誰かを愛したら分かることであるのだが。」維心が、苦笑して言った。「それまでは分からぬだろうの。主はまだ、誰かを本気で愛したことが無いのだな。」
漸は、肩をすくめた。
「愛か。分からぬ。その時楽しければ良いと思うておった。だが、確かに維翔もそんなことを言うておったな…出海を愛しておるのだ、と。よう分からなんだが、我にもそれがある事を願っておるよ。」
漸は素直だ。
理解はできなくても、それがこちらの考え方ならと受け入れる。
だが、自分には適用するつもりはないように聴こえた。
志心が、言った。
「…さて、我らももう控えに戻るか。」と、笛を袋に片付けた。「久方ぶりに心地よく疲れたわ。もう月も高い。主らも、妃が戻ったし戻りたいであろう?今夜は、誠に楽しんだわ。」
維心が、頷いた。
「ならばこれまで。」と立ち上がった。「誠に面白い物を見せてもろうたわ。漸とはこれからも共に教え合って行けそうであるな。価値観が合わぬところは、上手く擦り合わせて参れば良いのだ。それこそ、炎嘉が言うようにこちらとは婚姻はせぬとかの。大丈夫、我らは上手くやれる。」
皆が、頷いて立ち上がる。
「我らには問題ないのだからこれだけ楽しいのなら良いわ。」志心は、言った。「ただ、皇女が居る者達は気が気でないだろうから、婚姻だけせねば良い。これから共に楽しめると思うと、そちらの方が懸念より勝るものよ。」
皆がウンウンとそれに頷いて、そうして皆が立ち上がって、己の控えへと引き揚げて行った。
その道で、お互いにお互いの演奏やら舞いやらに冗談を言い合って、それは楽し気だった。
その夜は、そうやって過ぎて行った。
もちろんのこと、月は満月でしかも晴れていたので、十六夜からはその様子は丸見えだったが、水を差したりしなかった。
その代わり、蒼を訪ねて、言った。
「蒼。あいつらどんちゃん騒ぎして部屋に帰ってったぞ。お前も呼ばれたんだろ?行けば良かったのに。」
蒼は、苦笑した。
「オレは落ち着いてからでいいよ。オレが居ると、月は特殊だしこの宮の話ばかりになりそうだから、やめたんだ。オレも見えたから知ってるけど、上手く行ったみたいだな?」
十六夜は、首を傾げた。
「あれは上手く行ったって言うのか?なんか価値観がびっくりするほど違うけど。オレはむしろ、これからだなって思って見てたけど。」
蒼は、それには顔をしかめた。
確かに婚姻制度がないと言うのが気に掛かる。
あちこちで手を付けて知らぬ存ぜぬとなりそうで、炎嘉が婚姻を禁じる気持ちもわかった。
「…まあ、雷嘉が上手くやってくれるのを信じよう。多分大丈夫だよ、漸って素直そうだったし。」
十六夜は、頷いた。
だといいが。
「…ま、様子を見るしかないもんなんな。維月も心配してたみたいだし、オレも気になってさ。いくら男女平等ったってあれはやり過ぎだ。あっちこっち大変だもんなあ。男も女も。」
蒼は、苦笑した。
確かに同じように男女平等の人世でも、あちこちとっかえひっかえの人は居ても、一応責任ぐらいは取るし、そう法律で定められている。
婚姻制度は、導入することを勧めた方がいいのではないかと思った。
「まあ…価値観を変えようと思ったら、恐らく百年単位で時間が掛かるし。ゆっくり変えて行ったらいいんじゃないかな。男女平等自体は良いことだし、とはいえ犬神は、女性も力があるんだよなあ。まんまこっちには当てはまらないかも。」
十六夜も、それは思った。
弱い者は死ぬしかない世の中で誰にも庇われず、死んでいって残った血筋ばかりだからだと漸は言っていた。
こちらにそれは、とてもではないが無理だった。
女神のほとんどが淘汰されることになるからだ。
「難しいな。」十六夜は言った。「どっちが良いとはオレには言えねぇよ。維月も同じように思ってるんだろう。あいつは、男女平等を目指してたからさ。でも、この現実を突き付けられたら、それが必ずしもこちらの女神のためにはならねぇわけだし。」
蒼は、頷いた。
「そうだね。システムがそうなってるからさ。昔から弱い者を強い者が守って生きて来た。漸の所は守らなかった。その結末だから、何とも言えないよ。今さらって感じだね。」
どちらがどう変わって行くのか、恐らく天黎と聡子は知っているだろう。
だが、蒼はそれを聞こうとは思わなかった。
なるようになるだろうからだ。




