月見の宴
その日は、晴れていた。
月見の宴は夕方からになるので、朝からバタバタと南の庭の月下美人の花が咲き乱れる事になる桟敷を準備して、そこを綺麗に飾り立てて、夜に備えた。
庭師たちは、この日のために必死に月下美人を咲かないように世話をした。
そうして、間違いなく今夜全てが花開くはずだ。
この夜のための木々なのだ。
金木犀も咲き乱れているので、それは良い香りが辺りを満たしている。
維月も、今夜はとても楽しみにしていた。
昼を過ぎると、次々に上位の宮の王達が到着し始める。
炎嘉、焔、箔炎、駿、志心、翠明、公明、樹伊、高彰、覚、加栄、英が次々に到着口に降り立った。
だが、漸はその前に、既に到着していて、訓練場の方へと維心に案内され、そこで雷嘉に対面していた。
「…雷嘉か。」
雷嘉は、膝をついて深々と頭を下げた。
「は。北の大陸にてライカという名をもらい、こちらで雷嘉という文字を龍王様から戴きました。」
漸は、屈託なく笑って頷いた。
「そうか。我は主ら犬神の王、漸。主は他の神より苦労して神となったゆえ、意識は違うだろうが間違いなく我の眷族。主のことは我が責任を持って世話してやろうぞ。だが、主の希望を聞こう。どう生きたいと望むのだ。」
雷嘉は、漸を見上げた。
漸は、思ったより快活な様子の親しみのある神だった。
何より、こちらの意思を聞いてくれる。
雷嘉は、答えた。
「はい。我の友、我の師はこちらに。なので、我は龍王様がお許しくだされば、こちらでお仕えして生きて行きたいと願っておりまする。犬である我の事も、大変に気遣って皆、いろいろと教えてくださるのです。我は、こちらで生きたいのです。」
漸は、フッと微笑んだ。
「そうか、主は大切にされておるのだな。ま、龍であるから当然か。」と、維心を見た。「維心よ、これをこちらへ預けて良いか。とはいえ、いずれはあちらへ戻って己の種族と対面はせねばならぬが、龍と生きたいと申すのなら叶えてやりたいのよ。」
維心は、頷いた。
「我は良い。世話をしておるのは臣下であるしな。これは役に立つし。だが、婚姻となると困る事になろうし、できたら一度そちらで顔合わせだけでもしておいて、その後こちらへ戻った方が良いと思うぞ。やはり、同族にその存在を知らせておった方が、後々困らぬからの。」と、雷嘉を見た。「雷嘉。なのでこちらで仕えるのは良いが、一年ほどは己の眷族と接して参れ。その後でまたこちらへ戻って来るが良い。どうしても早くこちらへ戻りたいなら、戻って参っても良いからまた、漸に言うが良いぞ。良いな。」
雷嘉は、少し困った顔をする。
漸が、苦笑した。
「知らぬ土地ゆえ不安やもしれぬが、皆が楽しみにしておるのだ。己の力で神と昇華した主のことは、皆が誇りに思うておるからの。一度戻って皆に顔を見せてやるが良い。それからまたこちらへ戻れば良かろう。」
自分を誇りに思っておるのか。
雷嘉は驚いたが、頷いた。
「はい…我の事など、受け入れてくださると申しますなら。」
漸は、頷いた。
「受け入れぬことなどあるはずがないではないか。我らは同族なのだ。皆楽しみに待っておるわ。」と、維心を見た。「では、我が明日宴から帰る時に共に連れて参るわ。世話になったの、維心。」
維心は、頷いた。
「良い。では、皆が着いておるようであるし、主も宴の席へと参ろうぞ。」と、踵を返した。「雷嘉、明日の朝犬神の宮へ行く準備をしておくが良いぞ。」
そうして、二人は並んで去って行った。
雷嘉は、戸惑いながらも自分を待っていてくれるという同族たちに、会うことを楽しみに思い始めている自分を感じていた。
月見の会場となる場所には、王達が揃っていた。
離れた隣りの場所には同じように桟敷があるが、そちらには几帳がびっしりと囲んでいて、中はよく見えない。
その中には、維月達、王の妃が居るはずだった。
維心が漸を連れて王達の方へと歩いて行くと、皆談笑していたがピタリと黙ってこちらを見つめた。
漸も、落ち着いてはいたが表情を引き締めて維心と並んで歩いて行く。
炎嘉の隣りが広く空いており、そこに二人が座るようになっているようだった。
維心は、炎嘉の隣りに漸を座らせ、その横に自分が座って二人で漸を挟む形にした。
恐らくその方が落ち着くと思ったのだ。
炎嘉が、言った。
「…待たせたが、紹介しようぞ。」と、炎嘉は皆に向けて言った。「かなり前世の我と維心の友である、犬神の漸ぞ。」
漸は、皆に会釈した。
「初めて対面する。犬神の王、漸ぞ。」
皆が、焔でさえも黙って会釈を返した。
維心が言った。
「我は前世の記憶を見たのでもう他神だと思えぬ感じであるが、主らには見知らぬ神であろうし、何より先に、まずは志心と駿であろう。」と、炎嘉を見た。「主、上手いことやらぬか。」
炎嘉は、目を丸くした。
丸投げか。
しかし仕方なく言った。
「…仕方のない。ええっと、まずは端から先に紹介しよう。」と、自分の隣りを見た。「これは焔。鷲の王ぞ。その隣りは箔炎、鷹の王よ。」
二人が次々に会釈する。
漸は、まじまじと二人を見つめた。
「…全て主の眷属ではないのか?鳥の中で分かれておると?」
炎嘉は、頷く。
「そうか知らぬわな。そうなのだ、主からしたら少し前ということになろうが、その時に分化して独立したのだ。なので、同族ではあるがそれぞれ違う。」
漸は、興味深げに頷いた。
炎嘉は、続けた。
「その隣りは翠明、西の島南西の宮の王。次が公明、西の島中央の宮の王。そして、高彰、ここから北西に少しの所の王よ。それから覚、加栄、英は今少し西の…もう説明しづらいわ。とにかく後で地図でも見よ。渡すゆえ。」
漸は、頷く。
円を描いて向かい合って座っているので、ぐるりと回って来て樹伊を見た。
「あ、次は樹伊。西の島の手前の小さな島の王よ。あそこは説明しやすいわ。」
淡路島のことだ。
漸は、いちいち律儀に頷く。
そして遂に、駿まで回って来た。
「次が只今の獅子の王。駿ぞ。」
漸は、少し表情を固くした。
そして、維心の隣りまで来た。
「維心の隣りが、白虎の王志心ぞ。これで今、神世の会合でメインのテーブルに座る王は全てであるな。」
漸は、黙って頷く。
維心も黙っている。
炎嘉が、ため息をついて仕方なく先を続けようとすると、駿が口を開いた。
「うちの始祖がすまぬな。何分、我も我が祖先達には迷惑を掛けられたクチで、腹が立って仕方がないのよ。主は知らぬだろうが、獅子は滅んだのだ。最後まで愚かにも龍に逆らっておったゆえ、宮ごと滅しられてな。我が父の観が弟と共に逃げ延びておって、はぐれの神の中で精進しておったゆえ、復帰することが叶ったが、かなり苦労をさせられて、獅子は今、我ら王族しか残っておらぬ。そんなわけで許されるなら謝って欲しい心地なのは同じ。我が謝ることで主の気が済むならいくらでも謝りたい心地ぞ。」
漸は、驚いた顔をした。
「え、獅子は滅んだのか。」
駿は、頷く。
「うちの最後の王は志心ほど賢くなかったゆえな。いつまでも始祖を殺されたと恨んでおったらしい。愚かなことよ。」
志心も、口を開いた。
「…我もな。幼い頃から龍が始祖を殺して首を晒したと教わっておったが、我らは生きておるし恨むのは筋違いだと思うておった。根絶やしにされなんだわけであるからの。ゆえ、維心の話を聞いて我の代で共に戦う事を選んだ。我が謝るのは違うとは思うが、我が遠い祖先の事であるし悪かったと言うておこうぞ。」
漸は、二人に確かに志真と羽矢の面影があるものの、そこまで腹も立たない事に気がついた。
何しろ、本神ではないし、本神はとっくに死んでいるのだ。
維翔の手によって。
漸は、頷いた。
「…我は、維翔の記憶を見て、もうそこまで主らに恨みなどないのだ。何しろあれらは死んだ。それで我に対する事は消えたと思うておる。実はこれまで何も知らぬでな。あやつは黄泉でも己が仇を討ったとは、一言も言わずでいて。籠ってからの事は何も知らぬのだ。今は、知っておる。なので、主らの気持ちだけで十分よ。我こそ長らく恨んでおってすまぬな。その子や子孫には罪はない。維翔が昔、ずっとそう申しておったのに。」
炎嘉が、笑って言った。
「ならばこれで終いぞ。ここからは新しい関係を築いて参れば良かろう。ささ、月見ぞ。」と、杯を上げた。「飲むぞ。楽などやらぬか。楽器も揃えてあることだし。」
維心は、頷いた。
「ならば維月に申してあちらに先に弾かせようぞ。我らはこちらでゆるりと演目など考えようではないか。」
月は見ている。
その下で、月見の宴が始まった。




