久方
維月が、維心は今夜は帰って来ないのでと、すやすやと一人で自分の部屋で眠っていると、早紀の声がした。
「王妃様!王妃様、王がお戻りになりました!」
維月は、ハッと目を開いた。
…もうそんな時間?!
慌てて飛び起きたが、外はまだ真っ暗だ。
「え…まだ夜中なのに?」
維月が困惑していると、早紀は入って来て頭を下げた。
「ああ、良かった。お起きになられましたか。義心様から先触れが参りまして、何度もお呼びしたのですけれど、王妃様はぐっすりお休みで。王が到着口に降りられたと聞いて、慌ててしまい申して。」
維月は、急いで袿を羽織りながら、言った。
「もう到着されておるの?!だったら、もう戻って来られるわ!」と急いで足を奥の間の向こうの、居間へと向けた。「何かあったのだわ。こんな時間に戻られるなんて。」
早紀は、頷いた。
「王の御気色は殊の外お悪いようで。王妃様がお起きにならなかったらどうしようかと思いました。」
機嫌が悪いのか。
維月は、頷いた。
「寝起きで頭がぼうっとしてるけど、がんばるわ。とにかく、参らねば。」
すると、居間から声がした。
「維月!帰った!」
維月は、速足で一旦奥の間へと入り、そこから居間へと出た。
「維心様。」と頭を下げてから、言った。「戻られるとは思うておりませんで、すっかり寝入っておりまして。」
見ると、綺麗に着付けて出て行った維心が、寝間着に袿を羽織ったままの状態で、しかも最近長くなって来ていた髪も、降ろしたままの状態で居た。
間違いなく、寝ていたが、起きて帰って来たのだ。
…まさか夢見が悪かったとかではないわよね。
維月が戸惑っていると、維心はどんどんと近付いて来て、維月を抱きしめた。
そして、ハア、と大きく息をつく。
後ろからついて来ていた義心が、膝をついてこちらを見上げているのと目が合って、維月は問うように義心を見た。
義心は、維心から命じられるか、維月から命じられないと話せないので、黙って維月の目を見返している。
維月は、義心に聞くよりまずは維心に聞いて、答えなかったら義心に聞こう、と思い、自分に抱き着いている維心に言った。
「維心様、何があったのですか?休んでおられたのでしょう。それを、いきなりに帰って来られるなんて、漸様もどう思われました事か。なぜにそのような礼を失した事をなさったのですか?」
維心は、言った。
「…我は我慢したのだ。義心に聞いてもろうたら分かる。もう、どうにも我慢ならなかったのだ。」
維心がそう言ったので、義心がやっと口を開いた。
「はい、維月様。王は大変に我慢強くなさっておいででした。何しろ、到着した時から、王の美しさに仕切り布の後ろで倒れ、騒ぎになりましたが、王はその時には咎めぬと仰いました。事を荒立てる事を避けようとなさったのです。」
維月は、目を丸くした。
「え、維心様を隠れて見ておったの?」
こちらの世ではタブーだ。
何しろ、維心は美しいので、見るだけで面倒が起きるので、見せないように工夫されているのだ。
義心は、頷いた。
「は。そして、その後気を取り直して宴の席に参られましたが、皆様で楽をお楽しみでありました。その折は、皆が垣間見ても王も咎められないので、それを良い事に宮の侍女達が大挙して見ておったのは我は確認して知っておりまする。それだけならまだしも、王に対して誘う気を放つ女神も多く居って。さすがの王も、かなりご機嫌をお悪くなさいました。それに気付いた志心様が、すぐに我に控えの間へと王をご案内するように仰ったので、我はそれに従い王をその場からお連れして控えの間へ戻りました。王は、その折も漸様に一言も抗議なさる事無く、部屋へと帰られたのです。」
それは、よく我慢した方だわ。
維月は、思った。
普段の維心なら、そんな事があったら維月が居ないとすぐにキレてしまって手が付けられなくなる。
止められるのは、恐らく炎嘉ぐらいのものではないだろうか。
志心が気付いて早めに対処してくれたのが良かったかもしれないが、そんな気を感じたらまず、一瞬でキレるので、維心はキレてはならないと努力していたのだろう。
維心は、言った。
「皆が楽し気にしておったゆえ。だが、口を開いたら怒鳴ってしまいそうで、黙って堪えたのだ。それ以上のことがあっては我も抑えきれぬようになると、部屋へ戻ってからは結界を張っておいたし、義心も外に夜番に立っておった。それであるのに…」
維心からは、またふつふつと怒りの気が湧き上がって来る。
義心が、続けた。
「女が五人、王のお部屋へ忍ぼうと参って、誰が先にと口論し出したのでございます。我は、戻るように再三忠告しましたが全く聴き入れようとはせず。我の隙をついて、王の結界に触れて気を放ったのでありまする。王はそこで堪忍袋の緒が切れてしまわれて…三人、斬り捨てられました。炎嘉様がすぐに出て参られて、二人は助かりました。」
斬ったのか。
維月は、体の力が抜けるのを感じた。
維心は、最近では滅多にそんな事をしなくなっていたのだ。
維心自身が我慢強くなったのもあるが、回りが分かっていてそれを避けるように、そんな場面にならないようにと動いているので、起きていなかったのだ。
それが、何も知らない犬神の宮の女神達が、維心の美しさに惹かれて、そして殺された。
維月が悲しみの気を発したので、維心は怒りの感情が湧き上がって来ていたのだが、ハッと我に返って、必死に言い訳した。
「我は、間違った事をしたとは思うておらぬ。龍王である我の部屋へ忍んで来ようなど、許される事ではない。見ることすら許されぬと、あれらは瑞花から教えられて知っておったはずぞ。漸も、我に詫びておった。ゆえ、我は事をこれ以上荒立てぬと言うて戻って参った。あれ以上、あんな女が寄って来る場で休みたくなかったからぞ。一刻も早く、主の気を感じて癒されたかった。だから、戻って参ったのだ。」
維月は、自分が悪かった、と思っていた。
無理にでもついて行っていたら、こんなことにはならなかった。
自分が居るので、忍んで来る女神も居なかったはずで、犠牲は出なかったのだ。
だが、ここは維心を落ち着かせて休ませるしかない。
維月は、維心を見上げて言った。
「とにかく、もう月が傾いて来ております。休みましょう。」と、義心を見た。「あなたも。ご苦労でしたね。今は休んで。明日から、またいろいろ考えましょう。」
義心は、頭を下げた。
「は!」
そうして、義心は出て行った。
維月は、維心の頬を手の平で包んで、言った。
「我慢なさったのは分かりました。とにかく、休みましょう。私がお側におりますから。」
維心は、頷いて維月の手を握り、自分の頬を擦り付けた。
「主が共でないと我はイライラしてばかりぞ。愛している、維月。」
それは嬉しいけれど、本当に困ったかただこと…。
維月は内心思いながら維心に口付けて安心させ、そうして奥の間へと向かったのだった。
それから、維月を腕に抱いてひとしきり愛した維心は、落ち着いたようで眠りについた。
維月はホッとして、同じく隣りで眠りについたが、次の日の朝、居間に気配を感じて目を覚ました。
…鵬が来ている。
維月は、珍しくまだよく眠っている維心を起こさないように寝台を抜け出して、袿を羽織って居間へと出た。
「鵬。」
維月が声を掛けると、鵬は顔を上げた。
「王妃様。義心から聞きました。王に忍ぼうとした女神が居たとか。斬り殺されて戻られたのですね。」
維月は、頷いた。
「ええ。何も知らぬ宮だからと、維心様にも普段よりかなり我慢なさったようで。私もお咎めすることはできませなんだ。」
鵬は、頷いた。
「王がお悪いことなどあるはずはございませぬ!ですが…漸様の責任の件で。こちらとしてはどのように対処すべきかと。我らは義心から、王が女を斬り殺したことで手打ちと仰ったのだと聞いておりますが、我が王にそんなご心労をお掛けした宮の臣下には一言申さずではいられないのでございます。」
鵬は、怒っているのだ。
維心が面倒を起こした事に対してではなく、自分達の王に対しての向こうの臣下の扱いに憤っている。
維月は、ため息をついた。
「あなたの気持ちは分かりますよ。ですが、維心様がお決めになること。漸様とのご関係を、悪くしようとは思うておられぬのです。だからこそ、最後の最後まで我慢なさったのだと思います。王同士で決められた事なのですから、気持ちを抑えて。」
「ですが王妃様…!」
そこで、後ろから声がした。
「もう良い。」振り返ると、維心が袿を引っかけただけの姿で、そこに立っていた。「斬った事で手打ちとすると取り決めた。漸が悪いのではないし、これからまた教育すると申しておる。大半の臣下は守っておったのだ。昔はようあったこと。これ以上あちらの宮を責めるでないぞ。」
鵬は、まだ何か言いたげだったが、頭を下げた。
「は…。王がそのように申されるのなら。」
維心は、ため息をついて椅子に座った。
「…やはり維月無しで他の宮に参るのはまずいの。特にあの宮は維月が必要だったのに。あちらが大層かと遠慮したばかりに、こんなことに。我も辛抱堪らなかった。」
維月は、頷いた。
「これからはご一緒致します。私が共ならば、誰も近寄っては来られぬはずでしたのに。」
維心が答えようとすると、そこへ公沙が入って来て膝をついた。
「炎嘉様、志心様、焔様、箔炎様が、宮へ帰る前にこちらに立ち寄られると先触れが参りました。」
維心は、眉を寄せた。
恐らく、文句の一つも言いたいのだろう。
「…わかった。」維心は、立ち上がった。「着替える。」
維月は慌てて立ち上がって、そうして維。を着替えさせようと急いだのだった。




