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月の宮

天黎は、窓辺で月を見上げる聡子の肩を抱いた。

「…主には何も見えておらぬだろう?そんな能力はないしの。」

聡子は、苦笑した。

「はい。ただ月を眺めておっただけですわ。」と、天黎を見た。「そろそろ、犬神が戻って参った頃かと思うておりました。雷嘉は本来、イゴール様が見出してこちらへ連れて来て、維心様が預かって神格化する予定でありましたが、此度の捜索に加わったせいで、神格化が早まったようですわね。ならば、流れから行くと漸が現れる頃かと。」

天黎は、頷いた。

「その通りよ。維心の最初の生が誰だか知っておるな?」

聡子は、頷いた。

「はい。維翔ですわね。維翔、炎郷、樂の三人はとても仲の良い友でありましたから。樂のわだかまりは、漸となった今払拭できましたかしら。樂は大変に素直な神で、我としては明るく今生を生きて欲しいと望んでおりますわ。流れから言うと、必ず和解致しますが、それが早ければ早いほどあれにとって早く幸福であろうと思うて、案じておりましたの。」

天黎は、クックと笑った。

「主に掛かったらあれらも全て赤子扱いであるな。」と、頷いた。「大丈夫よ。今も見ておったが、あれの素直な様子が功を奏したように見える。維心が維翔の玉をあれに見せたのが良かった。維翔が己のためを思って志真と羽矢を討ったのをその目で見たのだ。ゆえ、今は大変にすっきりした顔をしておるわ。次の月見の宴で志心と駿に会うようだ。恐らく和解しようぞ。」

聡子は、ホッとしたような顔をした。

「良かったこと。それに気付いてくれるのがいつかと案じておって。維翔は黄泉でも己が二人を討った事を言わずでおりましたから。恐らく恩に感じるだろうと思うたのでしょうが、言うてやったらここまで引きずらずで済んだものをと我は思いますわ。」

天黎は、フフと笑った。

「何事も、こちらの思う通りにはならぬもの。」と、空を見上げた。「我らは傍観するしかできぬ。先を教えて進ませるのは簡単ぞ。だがそれをしては、あれらが成長する機会を奪う事になる。主もそう思うからこそ、何も言わぬで黙っておるのだろう?」

聡子は、天黎を見上げて頷いた。

「はい。不思議なことに、我はあなた様の妃となって落ち着いた心地ですの。なぜなら、何を言うてもあなた様なら問題がありませぬから。こうなって、良かったのだと最近では思うておりますわ。」

天黎は、少し驚いた顔をしたが、微笑んだ。

「そうか。我も同じぞ。これまで、何を言うても皆が大袈裟に取るゆえ発言には気を遣うし、会話をするにも気を遣っておったのだが、主には何を言うても良いという安心感があっての。何しろ、主は我と同じく何でも知っておる。話が通じる上、何事にも動じぬ。こんなことは初めてぞ。」

聡子は、フフと笑った。

「本来ならば、天媛様とそうなれるはずでありましたものを。いくら優秀な命とはいえ、全くの独りきりでは生きるのが難しいものなのですわ。なので、複数、最低でも二つを用意して存在させるものですの。ですが、発祥する時にその性質までは誰にも分かりませぬから。いくら命をあてがわれても、合わぬ時もございます。というか、合わない方が多いのやもしれませぬわね。」

天黎は、眉を上げた。

聡子は、そんなことまで知っておるのか。

「…では、我はいったい何のために存在しておるのだ?どこから生まれた。」

聡子は、顔をしかめた。

「いくら我でも知らぬこともございます。とはいえ、あなた様は自然発祥であられます。エネルギーが凝り固まって命となったと申すか…それが誰かの意思だとは、我は見た事はありませぬ。何のためかと、それはあなた様が常申されておるように、皆と同じですわ。学ぶためでありますわ。何もかもを。命は全て同じであり、ただその学びの量で違っておるだけ。全てが大きく、全てを空を埋めるほどに育てば、何もかもが一つとなり大きな一つの命となる…と見た事しか、我には分かりませぬ。ただ、そこまで行くにはまだまだ…。小さな命が多過ぎますゆえ。」

天黎は、壮大な事に気が遠くなると思った。

空を埋めるとなると、自分と同じ大きさの命が集まっても無理だ。

もっともっと大きくなり、他も同じだけ追いついて来て、全てはその後。

その後にならなければ、その先が分からないのだ。

「…やはり学ぶしかないのだの。」天黎は、まだまだかとため息をついた。「共に励もうぞ、聡子よ。空の広さは知っておろう。あれを埋めるなど、気が遠くなるわ。」

聡子は、笑った。

「ホホホ、気が遠くなるほどですので、我には埋めようとも思いませぬのに。あなた様は埋めようと思われるのですわね。ならば我も励みますわ。」

二人は、笑い合いながら、並んで月を眺めた。

天黎の目には、犬神が無事に月見の宴に出る準備を始めているのが見えていた。


雷嘉は、戸惑っていた。

義心から、犬神の王が訪問して来て、自分を世話してくれている、龍王に礼を言ったというのだ。

だが、自分は自分であって、犬神の王からそんな風に思ってもらう謂れは無い。

それでも、あちらはイゴールの下に居た時から、こちらの存在は知っていたのだという。

雷嘉は、やはり眷族として生まれたらしい。

本来は、犬神の王に仕えるための犬として、修行を重ねて神格化を目指すはずが、龍と接していていきなりその気に影響されて神格化したのが雷嘉であるらしい。

犬神の王は全ての眷族に責任があるらしく、龍王が全ての龍に責任を持っているのと同じということらしかった。

だが、あちらは雷嘉をそんな風に思ってくれていても、雷嘉からしたら飼い主であるイヴァンやイシードや、自分を世話してくれている義心や他、龍達にならいざ知らず、会った事も無い犬神の王に特別な感情などない。

なので、次の月見の時に王に対面をと言われても、戸惑うよりなかったのだ。


雷嘉が、暗い顔をして訓練場の隅に座っていると、辰が汗をぬぐいながら寄って来て、顔を覗き込んだ。

「雷嘉?どうした。立ち合いにも気が入っておらぬし。」

雷嘉は、辰を見た。

「…我には、王が居ったらしゅうて。」

辰は、ああ、と雷嘉の隣りに座った。

「聞いておる。数千年ぶりに出て参ったとかで、他の龍達も何やら騒いでおったわ。何でも次の月見の宴に来られるのだろう?主は、対面するのか。」

雷嘉は、頷いた。

「義心様から、そのように。龍王様が、己の王に会っておかねばならぬと申されたとかで。だが…我は、ピンと来ぬで。」

辰は、神妙な顔で頷いた。

「そうだの。我らは生まれた時から王は王であったが、主は違うものな。だが、会うてみたら違うやもしれぬぞ。これから先のこともあるし…主だって、そのうちに婚姻もしたいと思うようになるやもしれぬだろうが。ここに居たら龍しか居らぬし、龍は龍しか生まぬから、主が後に続かぬのだ。やはり、同じ種族と交流はあった方が良いとは思う。」

雷嘉は、言われてそうか、と思った。

言われてみたらそうなのだ。

雷嘉は、なぜか同じ時に生まれた兄弟たちが、発情した雌犬たちに盛っていても、全く興味も示さない方だった。

イヴァンはいつも、優秀な雷嘉の血を残したいからと雌を連れて来たが、雷嘉がそっぽを向くので遂に諦めていたものだ。

そんなこんなで長生きをして来て、未だにそんな気にはならないが、もしかしたら神は200歳で成人なので、そろそろやっと自分は成人するのかもしれない。

だからこそ、これまでは興味はなくて、だがこれから先は、あり得るかもしれないのだ。

その時に、龍では確かに龍しか生まないし、そもそもが龍であるここの女が、犬神である自分を相手に選ぶだろうか。

…ない、と思う方が正解な気がした。

神はあまり、他と混じるのを好まないからだ。

「…そうか。」雷嘉は、辰を見た。「言われてみたらそうだの。我は、同じ種族と交流をしておかねばならぬ。とはいえ…あちらの宮には、知っておる神も居ないし、できたらここで生きたいとは思うのだがの。」

辰は、苦笑して雷嘉の肩をぽんと叩いた。

「ならば、そう願ってはどうか。そうしたら、きっと聞いてくださると思うぞ。王は、どこも臣下の事を思うてくれておるもの。まだ会った事もないのに、主を気遣ってくださるような王であるなら尚更ぞ。案じるな。」

雷嘉は、頷いて辰が友であって良かった、と思った。

一人で悩んでいたら、きっと答えは出なかったし、複雑な気持ちで王に対面することになったと思うからだ。

だが、確かに会った事も無い雷嘉を知って、気遣ってくれる有難い存在、それが犬神の王なのだ。

雷嘉は、少し王に会うのが、楽しみになって来たのだった。

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