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来訪

維心は、維月に手伝われて犬神の宮の訪問のための着物を着た。

当然のことそれは万華で仕立てられた着物だったが、他ならぬ維心の身からそれを剥ぎ取れる神はこの世に居ない。

その、濃い藍色の着物を着付けた維心を、維月は満足げに見た。

「誠に何を纏われてもお美しいこと。いつお見上げしても心が洗われるようですわ。」

維心は、苦笑した。

「本来なら主もとなるところだが、此度は初めてあちらへ参るし、妃までとなると負担も大きかろうと誰も妃を同行しない事になったゆえ。留守中、気を付けるのだぞ。まあ、維明が居るから問題ないだろうが。」

維月は、苦笑した。

「まあ。私は問題ありませぬ。地であり月であるのですから。それに、万華は着ておりませんわ。」

未だに万華の盗難騒ぎは後を絶たない。

とはいえ、龍の軍神達が見張っているので、全て未遂で終わっていた。

「着物一つに大騒ぎであるからの。またどうするのかは考えようとは思うが、そのうち飽きるだろうというのが我の考えなのだ。どうせ龍達は新しい布をまた生み出しよるし、そうなった時に同じことの繰り返しではな。」

維月は、頷いた。

「あれからあちこち万華の着物を贈りましたので、目新しくもありませんし。段々に落ち着くのではと、私も思うておりまする。」

維心は頷いて、足を扉へ向けた。

「では、行って参る。主も油断せぬでな。結界外には参るでないぞ。すぐふらふら出て参ったりするゆえ。」

いったいいつの話をなさっておるのか。

維月は思ったが、頭を下げた。

「はい。行っていらっしゃいませ。恙無くお帰りを。」

維心は頷いて、居間を出て行った。

維月はいろいろと難しい維心相手に、瑞花も皆を躾けるのは大変だろうなと思いながらそれを見送ったのだった。


楽の宴を開いてから、漸は前向きな気を発するようになった。

外と関わった事を後悔するような心を感じていた瑞花は、漸が何より元気になってくれたのでホッとしていた。

あの後、いろいろな曲を皆に弾いて聞かせて、この宮の臣下達はそれは楽に堪能なので、すぐに覚えて己のものとし、それは素晴らしい演奏になった。

物悲しい曲も弾いてみたのだが、それもどこか希望のあるような明るい曲になってしまうのは、犬神達の明るく前向きな性質のせいだろうと思えた。

舞いも見事で、新しい曲なのに、合わせて舞ってしまうのに感服然りだ。

瑞花は、こちらの楽しい事を王も含めた全員でめい一杯楽しむというスタンスに、己まで染まって行く心地だった。

本当に、楽しい宮だった。

漸が、元のように明るい気を発するようになったので、宮も落ち着いて訪問の日を迎える事ができた。

もちろん、事前に通しでもう一度実演してみたが、全員が完璧に動く事ができた。

後は、上位の王達の到着を待つばかりだった。


真っ先に到着したのは、炎嘉だった。

到着口に降り立った輿の中から、炎嘉が下りて来るのを、漸と臣下は固唾を飲んで見守った。

炎嘉は、遠慮なくあちこち見回してから、言った。

「皆が来る前に何か不都合があったら先に言うてやろうと思うたが、何もかも完璧だの、漸。我は本来維心と同じくらいに来るのだが、これなら常と一緒で良かったわ。全く、主の宮は変わった形をしておるよなあ。ど真ん中に奥宮とはの。」

漸は、答えた。

「我から見たら主らの方が驚いたわ。奥はがっつり守るのが我の考えでな。主らの形では、手前からは確かに奥は遠いが、後ろから来られたら真ん前ではないか?」

炎嘉は、顔をしかめた。

「だから背後は山だったり海だったりするのよ。それにしてもこれも美しい宮ぞ。ここらの石は赤っぽいのだな。これは焔が真似したがるぞ。あれも山にへばりつくように建っておるから、そう高い建物ではないのだ。なので形で装飾しておるのだが、色が良いよなあ。」

漸は、笑った。

「そうか。考えたこともなかったが、確かにの。」と、傍に控える伯を見た。「我の重臣筆頭の伯ぞ。」

伯は、緊張気味に膝をついて頭を下げている。

炎嘉は、言った。

「己の王以外にそこまで膝をつかぬで良いぞ。」と、背後の厨子を振り返った。「あれは此度の訪問の礼ぞ。」

漸は、頷いた。

「気を遣わせてすまぬな。」

伯が、傍の侍従達に頷き掛け、侍従達はもう慣れたようにササと厨子の方へと移動して、それを予め準備しておいた厨子を一旦納める場所へと移動させて行く。

軍神達が、炎嘉の軍神に会釈して、輿を置く場所へと案内して行った。

炎嘉は、まるで毎回やっておるようよとそれを見て感心した。

恐らく何度も練習したのだろうと思われた。

炎嘉は、言った。

「…文句のつけようがない様ぞ。ひと月やそこらでようやったの、漸。とはいえ、序列はそう簡単ではないゆえの。あちこち見させてもらうが、皆が揃うのを待つか。」

漸は、頷いた。

「とりあえずは、控えに案内させようぞ。」侍女が、伏し目がちにススと寄って来て、頭を下げる。漸は続けた。「皆が揃ったら連絡するゆえ。これらについて、控えの間で待っておってくれ。」

炎嘉は、頷いた。

「分かった。我は良いが、特に維心は気をつけよ。あれは難しいからの。主は良いが、臣下ぞ。」

漸は、頷いた。

「分かっておる。案じるな。」

やっぱり龍王か。

伯は、横でそれを聞きながら思った。

瑞花が、とにかく龍王様には、龍王様にはと口を酸っぱくして皆に言うて聞かせた気持ちが今、分かる。

全ては、この日のために励んで行なった事ばかりだ。

伯は、気持ちを引き締めて、次々に到着し始めた、上位の王達を迎える覚悟をしていた。


それから英、覚、加栄、翠明、公明、駿、樹伊、高彰と来て志心、箔炎、焔も到着し、残るは維心だけとなった。

瑞花が言っていた通り、他の王達は特に炎嘉と変わりなく、皆機嫌良く見送ることができて、伯も他の臣下達もホッとしていた。

上位の王達だと聞いていたので、気難しい神達ばかりかと思ったが、皆漸と親し気に話していておっとりと美しく表情も豊かで、見ていて幸せになるような様子だ。

侍女達も、他の王は大丈夫だと聞いていたので、仕切り布から王達を垣間見て、あまりに美しい王ばかりなので、密かに色めき立っていた。

だが、最後に龍王が残っている。

龍王だけは、影から見ることすら許されないと聞いていたので、その到着を告げる貫の声に、皆が一気に緊張することとなった。

「…え…。」

伯は、近付いて来る輿から、尋常でない大きさの気を感じて身を硬くした。

他の王も、大概気が大きかったが、漸も同じぐらい気が大きいので、そこまで威圧は感じなかった。

だが、今降りて来る輿の中からは、感じた事もないほど大きな圧力を感じて自然、体が緊張して来る。

全員が同じように感じているのか、一気に緊張した空気になった所に、その輿は降り立った。

そして、軍神にしては気が大き過ぎるのではないか、と思う龍の軍神が、輿の前に膝をついて、その布を開いた。

中からは、こちらが圧倒されるほど大きな気の神が降りて来て、漸の前に立つのを感じた。

伯は、恐ろし過ぎて顔を上げて顔を見ることもできない。

漸が、言った。

「維心。よう来たの。」

その神は答えた。

「…義心から聞いておったが、面白い形の宮であるな、漸よ。」その声は、低くそれは美しい。伯が驚いていると、声は続けた。「皆着いておるな。」

漸は、頷いた。

「主で最後ぞ。皆控えで待っておるが、主は我と共に応接間へ行こうぞ。そちらへ来るように連絡を入れさせる。それとも、先に宮の中を見て回るか?」

維心は答えた。

「皆、一度集まって主に案内されて宮の中を案内してもらおうぞ。」と、足元で体を硬くしている伯をチラと見た。「…主の重臣筆頭か?」

漸は、頷く。

「そう。伯ぞ。母が同じなので我の弟になるのだ。」と、伯を見た。「伯。龍王維心ぞ。」

伯は、顔を見たい心地だったが、ガン見してはいけないと思っていたので、深々と頭を下げた。

「犬神の宮重臣筆頭の伯と申します。龍王様にはわざわざのお越し、誠に恐縮致しておりまする。」

維心は、頷いた。

「来ぬ事には見て回れぬしの。」と、少し苦笑した。「伯。我は別に、他の宮の臣下が顔を上げるぐらいでは咎めぬから。そのようにずっと床に平伏しておる事はないのだ。」

そう言われても。

伯は思ったが、龍王本神が言うので顔を上げないわけにはいかない。

なので、仕方なく顔を上げた。

「はい。何事も弁えぬので、よろしくお導きくださいませ。」

そして、維心の顔を見て驚いた。

これほどに周囲を威圧するような気を発しているのに、見た事もないほど美しいのだ。

維心は、そんな伯の気持ちに気付かず、伯を見て言った。

「ほう。主と似たところと言うと、輪郭ぐらいか?弟とな。」

漸は、苦笑した。

「我は母に似ておって、これは父に似ておるからぞ。貫も母ではなく父だった。我だけ母親に似たゆえ、顔が違うのよ。我が父から継いだのは、体と気の大きさぐらいではないかのう。」

それを聞いて、伯は思わず漸を見て言った。

「また王は。父が申しておりましたが、王は前王怜(れい)様にそっくりだとか。母上に似ておるのは目元だけだと聞いておりまする。我も幼い頃の事でありましたが、覚えておる事ではそのように。」

漸は、ジトッと伯を見た。

「維心は知らぬのだから適当に合わせておけば良いのよ。生真面目なのだから主はもう。」

維心は、それを聞いてフッと笑った。

「主はいい加減だの。さあ、参ろうぞ。」

伯は、少し笑っただけでもあまりの美しさに眩暈がしそうな龍王に、案外に恐ろしい神でもないかもしれない、とふと、思った。

漸が頷いて歩き出そうとしたその時、何かがバタバタと倒れる音がした。

居並ぶ臣下が何事か、とそちらを振り返ると、仕切り布が膨らんで何やら中で声がしたので、どうやら何かが倒れたらしい。

厨子でも倒したのかと漸が顔をしかめると、維心が途端にムッとした顔になって、フンと横を向いた。

「…礼儀がなっておらぬ輩が居るようよ。とはいえ、今は咎める事はせぬでおく。」

何の事かと漸は思ったが、維心がせっつくので、伯に目で何が起こったのか見て来いと指示をしてから、急いで維心を案内して歩いて行ったのだった。

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