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癒し

瑞花は、漸がけなげに我慢している様子を見て、何とかしてやれないかと考えていた。

昨夜も今少し、今少しと己に言い聞かせるように言っていたのが気に掛かる。

侍女侍従はもう、己がやるべき事が分かったので、一息ついて普段通りに生活している。

だが、漸はその日が終わるまで、気が休まらないようだ。

瑞花は、伯に相談してみることにした。


伯は、思ったより皆ができると瑞花に太鼓判を捺されて落ち着いた様子だった。

執務室に入って行くと、伯は立ち上がって頭を下げた。

「王妃様。何か?もしや不都合でも。」

瑞花は、首を振った。

「いいえ、何もかも順調で喜ばしい限りですけれど、王のことで。宮が騒がしいので落ち着かぬご様子で。鬱々とされておるようですの。どうしたら良いものかと相談に参ったのです。」

伯は、答えた。

「王におかれましては、昔から面倒をお嫌いになるご性質で。宮でも頻繁に楽やら舞いやらと、宴を開いて臣下と楽しむのを良しとされるのですが、今月はご存知の通り、臣下の宿舎や執務室も移動され、それぞれが慣れるまではと中止にさせて頂いておりまして。もしかしたら、そのせいやも知れませぬな。」

楽か。

瑞花は、確か蒼がそんなことを言っていたなと思い当たった。

漸は楽しい事が好きで面倒を嫌うらしいから、どこまで真面目に励むか分からないと、最初担当する時に話してくれていたのだ。

だが、漸は思いの外真面目で、覚えも早いし素直だった。

なのでそんなことは忘れていたが、確かにそんな性格なのだ。

「…まあ。王は月の宮でお教えしておる時も、大変に真面目で勤勉なご様子でしたので、すっかり忘れておりましたわ。」

伯は、苦笑した。

「それは我らも安堵しておった次第でありますが、こちらの宮で雷嘉という、あちらの世で育った犬神が教えておりました時には、全くで。その気になられたら、すぐにご習得なさるのは分かっておりますのに、真面目に励まれなくて困っておりましたほど。王妃様があちらでご担当になってから、我らも驚くほど変わられたのです。」

そうなのか。

瑞花は、驚いた。

毎日真面目に励んでいたので、そんなことは思いもしなかった。

「…ならば、今は大変にお疲れでしょう。どうしたものかしら…宴はまだ開けぬ感じですか。」

伯は、渋い顔をした。

「はい。我はこちらの重臣筆頭の執務室でありまして、変わらぬので落ち着いておりますが、皆は政務の傍ら引っ越した荷物を片付けておるので、その暇がないのですよ。まさか臣下の部屋まで確認はなさらないかもしれませぬが、部屋が乱れたままでは落ち着きませぬから。」

大移動したものね。

瑞花は、頷いた。

「…分かりましたわ。ならば、我が。居間に、楽器を持って来てもらえませぬか。琵琶があれば良いのですけど。」

伯は、頷いた。

「楽器ならば、何でもございまする。では、運ぶように指示致しましょう。王妃様には、あちらの曲をご存知なのですか。」

瑞花は、苦笑した。

「我はそこまで多くを知るわけではありませぬけれど、いくらかは。とりあえずは、我がお相手をして王をお慰め致しましょう。侍女達も、もしや楽器ができますか?」

伯は、何度も頷いた。

「この宮に、楽器ができぬ神などおりませぬ。王妃様の侍女達も、皆たしなみますのでご安心を。何かお手伝いさせますか?」

瑞花は、首を振った。

「いえ、もしも手が必要ならばと思うただけですの。そこは我が侍女達と話しますわ。では、楽器をお願いしますね。」

伯は、頭を下げた。

「は。早速に運ぶように指示致します。」

瑞花は頷いて、伯の執務室を出た。

少しでも、漸の気持ちを楽にしてやりたい、と、それだけだった。


漸は、瑞花が居ないのでどこへ行ったと宮の中を気を使って探した。

すると、瑞花は伯の執務室に居るようだ。

…何故に伯ぞ。もう落ち着いたのではないのか。

漸は、顔を険しくした。

何しろ、こちらの宮には婚姻制度などなく、お互いに自由で新しい男が気に入ったら、今の男とは切ってその男と通じるようになるのは日常茶飯事だ。

罪ではないし、現に漸の母もそうやって漸、貫、伯を生んだ。

全員父親は違っていた。

それでも誰に咎められる事なく、母は相変わらずいろいろな男に言い寄られながらも、最後は若くして病で逝った。

漸から見たら、瑞花とて同じようでも咎める事ができないのだ。

もちろん、婚姻という形で繋がっているので、あちらの王ではあり得ない心配なのだが、長年の習慣は抜けない。

もちろん、伯は臣下なので王妃の瑞花が話をするのはおかしな事ではない。

それでもイライラとしながら待っていると、部屋にいきなりたくさんの楽器が運び込まれて来た。

「…なんぞ?我は何も命じておらぬぞ。」

瑞が知ったら己だけ遊び呆けようとしている、と咎められるのではと強めに言うと、侍従が行った。

「王妃様からのご命令だと、伯殿から。詳細は存じ上げませぬ。」

瑞が?

漸が戸惑っていると、瑞花が入って来て頭を下げた。

「王。」

漸は、瑞花を見た。

「瑞、どういうことぞ?それどころではないのではないのか。」

伯と何か謀っておるのではないだろうの。

漸が怪訝な顔をしているのに、瑞花は答えた。

「はい。王が毎日鬱々となさっておるので、どうしたら良いのか伯に相談しましたの。確かに臣下は引っ越しの片付けなどで、楽を嗜む暇もありませぬが、引っ越していない臣下は落ち着いておって。こちらで我らが楽を楽しんでおっても、誰も咎めませぬわ。我が琵琶をお弾きしますので。王には琵琶はお嫌いですか?」

そういえば、楢が姉から教わったと言うて。

漸は、それを思い出した。

あの頃、果たして松はどれ程の腕だろうと胸を熱くしていたものだった。

「…主が琵琶を弾いてくれるのか?そういえば、楢が主に習ったと申して…良い音色であった。」

瑞花は、微笑んだ。

「はい。我は琵琶が得意でありまして。」と、わらわらと入って来た、瑞花の侍女達が楽器を袋から出して準備を始めた。「これらも弾いてくれるそうなので。あちらの曲を習いたいと申すので、王もいかがでしょうか。我も、久方ぶりに弾いてみとうございます。」

あくまでも、瑞花が弾きたいのだというように持って行ってくれる。

漸は、やっとホッとして、頷いた。

「良い。我もあちらの曲には興味があるのよ。弾いてみてくれぬか。」

瑞花は、漸が肩の力を抜いたように見えたので、安堵して琵琶を手に、居間の一部に敷き詰められている、畳の方へと移った。

そこは本来板の間だったようだが、外へ出るようになって畳の良さを知り、維心から分けてもらったものだった。

漸が楽を好むので、王の居間にもこんな場所があるのだ。

瑞花は、琵琶を手にバチを持って、侍女達に言った。

「では、我があちらの曲を弾きますので、あなた達も覚えてね。あちらでは良く弾くものを選んで弾きますわ。」

侍女達は、嬉しそうに目を輝かせて頷く。

漸も、畳の上へと移動して来て、座った。

「では、始めよ。」

瑞花は頭を下げて、琵琶の調子を整えるために何度か弾くと、弾き始めた。

…漸様は明るい曲を好まれるらしいから。

瑞花は、あちらの曲の中でも、明るく早い曲調の初夏の舞いと言う曲を弾いた。

これは本来、琴で演奏するのだが、琵琶でも頑張ればいける。

瑞花は、一生懸命感覚を思い出しながら、漸のためにと心を込めて弾いた。


漸は、その心を瑞花の音に感じていた。

こちらを明るい心地にしようと、懸命に弦を弾いている瑞花が愛おしい。

その腕前は、確かに名手だった。

聞いたことのない曲だったが、自然と心が浮き立つ心地がする。

途中、漸は傍の琴を引き寄せて、瑞花に合わせて音を紡ぐと、一気に華やかな音になった。

瑞花は微笑んで、何度もサビの部分を繰り返し、漸が覚えて弾きやすいようにと気遣った。

「…主らも。」漸は、侍女達に言った。「適当にそこらの楽器で加わってみよ。」

侍女達は嬉しげにあちこちの楽器を手にして、笛まで入って来てまるでお祭りだ。

瑞花は、こんなアレンジの仕方があるなんてと、こちらの楽の華やかな様に驚いた。

そのまま何度も何度も繋げて弾いて、やっと瑞花は演奏を終えた。

思えばあれから、どれぐらい時が過ぎたのかも分からない。

気がつくと、伯が音色に引き寄せられたのか、他の臣下達と居間の入り口へ来ていた。

「素晴らしい!」伯は、言った。「王、あちらの曲も良いものですな。耳に新しくて、思わず皆と聴きに参ってしまい申した。軍神達も遠く聴こえるので、手を止めて聞き入っておりました。」

漸は、笑った。

「なんだ、忙しいと申しておったのに。」と、伯に琴を押しやった。「そら、主も。息抜きも必要ぞ。もう覚えたであろう?弾いてみよ。」

伯は、笑って答えた。

「息抜きと申すのならば、本日夕刻から大広間に手が空いた臣下を集めて楽の宴を開きましょうか。いつものように皆は無理でありましょうが、片付けが終わっておる者もおりますし。もっと瑞花様にはあちらの曲をお教え頂きたいもの。」

漸は、ハッハと声を立てて笑った。

「しようがない。今夜は息抜きぞ。主がそう申すのなら、手が空いておる者だけで宴を催そう。」

伯は、頭を下げた。

「お許し頂きましてありがとうございまする。では、急ぎ準備を。数が足りぬのでいつものように派手な事はできませぬが、酒だけは運ばせましょう。」

漸はそれは明るい顔で頷いた。

「そうせよ。貫にも、少し気分転換せよと申せ。」

そうして、漸が上機嫌なのにホッとしたような顔をした伯は、頭を下げてそこを出て行った。

瑞花は、これで漸が元のように明るい神に戻ってくれたなら、と思っていたのだった。


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