着物
そうやって、酒も進んでいい具合に話も興に乗って来た頃、妃達は笑い合いながら戻って来た。
それを遠目に見て、そろそろ維心も維月に会いたいと思っていたところだったので、ホッとしながら近づいて来るのを待った。
すると、その妃達の前に、スッと碧黎が、いつの間にか現れていて桜の間から歩いて出て来た。
「まあ」維月は、驚いて頭を下げた。「お父様。」
回りの妃達も、楢以外は皆、碧黎の顔を見知っていたので、慌てて扇を上げて頭を下げる。
楢も、維月が父と言った時点で、慌てて頭を下げた。
「本日は来ると知って、宴に出ようと思うておったのだが、天黎が我に用があったようでな。手間を取ってしもうたのだ。」と、手を差し出した。「奥の桜を見て参ったのか?」
維月は、顔を上げて碧黎の手を取った。
「はい、お父様。天黎様には、聡子様と出て来られないのですか?」
碧黎は、苦笑した。
「あれらはこちらに居るし、普段からこの辺りは何度も来て歩いておった。今さらなのだ。」と、歩き出した。「維心が焦れて来ておるぞ?参ろう。」
維月は頷いて、碧黎に手を引かれて王達が待つ、毛氈の方へと歩き出した。
元より、維心がそろそろ辛抱堪らなくなる頃だと分かっていたから維月は皆を促して、戻って来たのだ。
後ろから、他の妃達はしずしずと扇を上げたまま目を伏せ気味にしてついて来る。
維月は、言った。
「聡子様は天黎様と仲良くなさっておいでですか?何しろ、あれからあまりお顔を見ないので案じておりましたの。」
碧黎は、頷いた。
「まあ、聡子が弁えておるから上手くやっておる。天黎の理解が及ばぬ事など少ないのだが、果たして神同士の事など分からぬ事が多いゆえ、そこに限っては聡子が教えてやっておるようよ。天黎も、己の事を理解できる神など居らぬ中で、聡子は見ておって知っておるから楽なようで…真実、聡子を愛しておるのではと、最近では思う事もあるぐらいぞ。あれはあれで、良いのやもしれぬと最近思うておる。」
維月は、頷いた。
「誠に。お二人がどんな形であれ幸福であるのなら良い事ですわ。お父様にも、すっかり落ち着いておられるようで安心致しましたこと。」
それを聞いて、聡子の縁は政策か何かの事情があっての事なのかと皆は思っているようだったが、碧黎は構わず、微笑んだ。
「もうあちこち乱れておる事はないからの。人に影響のあるような場所はどこも穏やかぞ。主も、そろそろ里帰りの時期なのではないか?維心に言うてしばらく戻って来るが良い。十六夜も、また温泉にでも行こうかと申しておったしな。」
維月は、苦笑した。
「はい、お父様。維心様にお聞きしてみますわ。」
ちょうどそこで維心達の前へと戻って来る事になったので、維心はきっちり二人の会話は聞いていた。
維心は、むっつりと言った。
「維月。」と、手を差し出した。「里帰りは良いが、日を改めよ。本日は、何の準備もしておらぬしの。」
維月は、別に準備などしなくても、ここにはいろいろ自分の着物もあるのだが、維心がそう言うのは分かっていたので頷いた。
「はい、分かっておりますわ。只今戻りました、王。」
維心は、そこは律儀なので頷いた。
「待っておった。」と、碧黎が維月の隣りに座るのを見て、言った。「もうすっかり良いようだの、碧黎よ。して、またどこか悪いとかなかろうな。」
碧黎は、首を振った。
「聞いておらなんだか?維月に申しておったろうが。もう人に影響するようば場所は何もないわ。しばらくは小さな地震はあっても、あれほど大きなものは来ぬ。それより、あちこち落ち着いたようではないか?今年はこのまま面倒もなく行けば良いなと思うておるところよ。」
維心は、頷いた。
「我もそのように。今年はめでたい事が多くあるようであるし、穏やかに過ぎてくれることを祈っておるよ。」
他の妃達も、それぞれの王の側へと収まり、皆が毛氈の上に集って、それぞれの着物がそれは美しく見える。
炎嘉が、言った。
「やはり妃が戻ると華やかで良いの。相変わらず維月の着物はまた、石も付けずにその美しさか。どうやって織っておるのだその布は。光の加減で龍の絵柄が見え隠れして、まるで生地の上を泳いでおるように見えるぞ。」
維心が、フフンと笑った。
「維月の着物は軽くするのがそもそもの命題での。その上でどうしたら華やかに見えるのかと染めと織りの龍達が、毎回それは試行錯誤を繰り返して布を作り上げるのだ。我の着物の布も、維月と同じ織りの色違いなのだ。」
維月の着物は乳白色で下へ行くほど薄紅色に桜に合わせた色合いだが、維心の着物は白で下へ行くほど紺色に変化する染めの布で作られている。
そして、炎嘉が言うように、光の加減で龍が生地の上を泳いで動いているように見えるのだ。
龍達が、必死に考えて他と比べて遜色ないように、金糸銀糸、石に頼らない美しさを出そうと励んだ結果だった。
「うちもそんな着物を作らせようか。」炎嘉が、自分の袖を上げた。「何しろ、あやつらは派手なものばかりを好んで。今の流行りは、龍がそういうシンプルに品の良い物を作るゆえ、そっちに流れておるであろう。もう時代遅れだぞと申すのだが、我にはこれが良いのだとか申して。」
志心が、笑った。
「それは炎嘉は、華やかな方が似合うのは確かだからぞ。昔から維心は、あまり派手ではないが品の良い着物を着ておったからのう。龍は慣れておるのだ。」
維心が言った。
「我は派手な物は性に合わぬからの。しかし、維月には目立つ物を着せたいと思うて、やり過ぎてしもうたから反省したのだ。今では着物が軽くなったゆえ、これの着物を運ぶ侍女も要らぬようになってこの方が良かったと思っておる。」
しかし、焔が言った。
「主らが着る物が流行るのは神世の常ぞ。我が宮の職人も、必死に考えておるがまだそこまでの物はできておらぬ。いっそ教えてやって欲しいわ。これまでは形さえ真似たら何とかそれらしゅうなったが、今は技術であるからな。到底追い付かぬ。」
翠明が、それには頷いた。
「そう、それよ。」と、綾を見た。「此度、綾に着せておるのは維月殿が綾に贈ってくれた物であるから、このように並んでも見劣りせぬがこの着物を見て宮のもの達が震撼した。布自体がこれほどに美しい物など、なかなかにないからの。さりとて、どう織っておるのか見たくても、龍王妃が仕立てた物をほどく事もできぬし、この着物を前に焦れておったわ。」
綾の着物は、深い紫色で綾の瞳の色に合わせてあって、端が白くぼかしてあって、鷲が光の加減で見える美しい布でできていた。
綾が、維月に月と龍を彫り込んだ琴を贈ってくれたので、その礼にと職人達に言って、鷲をデザインして織らせた布を使って維月が縫ったのだ。
「だからか。主の宮の職人がやたらと腕を上げたのかと思うたわ。主の妃は美しいのに、そこまで美しい物を着せたら目立って仕方がないのに。」
そう言ったのは、意外にも志心だ。
焔が唸った。
「我もそれが欲しい。維心、欲しい物があれば何でもやるゆえ、何か作らせぬか。」
維心は、困ったように言った。
「欲しい物とてないが、それほど申すなら綾の着物を仕立てるのに、考えた図案があるゆえ鷲の布はすぐ織れようの。また送らせるわ。」
炎嘉が、言った。
「我も!我も欲しい!鷲がいけるなら鳥とて同じであろうが。」
「ならば我も。」箔炎が言う。「鷹とて同じであろう。」
維月は、皆が流行りの着物を着たがるのに驚いたが、確かにこの布は美しいのだ。
碧黎が、言った。
「…我は言われてみれば維月が仕立てて寄越した着物しか着ないゆえ、深く考えた事もなかったが、この着物に織り込まれておるのは風景であるな。山やら川やら木々やらと、やたらと絵画のようだと思うたが、流行りであったのか?」
碧黎が着ているのは、当然のことながら維月が縫って贈った着物だ。
一度維月が縫って贈ってからは、維月が縫った物しか着ないから、今回も先に考えて仕立てて贈った物だった。
「それこそ大変だったのだぞ。」維心が、盛大に顔をしかめて言った。「主は何でも維月が関わりさえしていたら気にせぬと言うておるのに、職人達が宮の威信に関わるとか言うて。その図案が一番大騒ぎであったのだ。ようよう皆に見せておいてくれぬと、あれらが報われぬ。」
確かに、碧黎の着物は壮大な図案だった。
大きな一枚の絵のような、そんな美術品のような柄なのだ。
当の碧黎はそんなものだと思っているようだったが、他にはない大した代物だった。
「ほう。しらなんだわ。礼を言うておいてくれ。」
碧黎はあっさり言う。
何しろ、そこまで着物の質には拘りがないのだから仕方がない。
炎嘉が、ため息をついた。
「仕方のない。せっかくの着物であるのにの。価値がここまで分からぬと、いっそ清々しいわ。」
それから、碧黎はさすがに龍達に悪いと思ったのか、立ち上がって見せて欲しいと言われても、文句も言わずに皆に着物を披露して、そうして花より着物のことで、場は盛り上がって行ったのだった。




