婚姻の
月の宮には、漸が来訪すると連絡があった。
いつなりいきなり来るのだが、こう言って来るからには、恐らく瑞花との縁談の件だろうと蒼は思っていた。
こちらも、数か月も放置だったので、どういう事だろうと焦ってはいたのだ。
高瑞も、すぐに嫁にやる娘だからという事で、養子にしてくれたのだろうと思うので、長く世話を掛けるのも、蒼は気が退けていた。
何しろ、自分の提案でこういうことになっているからだった。
とはいえ、天媛は毎日楽しそうにしているし、高瑞も瑞花に不満があるわけではないようだ。
それでも、高瑞から漸は誠に娶るのかと、たまに聞かれていたので蒼も気にしていたのだ。
だが、これで瑞花も高瑞の対を出て、漸の宮へと旅立つ日取りが決まるだろう。
蒼は、ホッとしながら高瑞に漸の来訪を知らせに向かった。
高瑞の対へと到着すると、天媛と瑞花はそこに居なかった。
蒼がそこへ入って行くと、高瑞が言った。
「蒼。漸のことであろう?」
蒼は、知っているのか、と頷いた。
「そう。知ってるのか?」
高瑞は、苦笑した。
「こちらへ挨拶に来るのだから、こちらにも先触れはある。天媛と瑞花は、準備のために場を外しておるのだ。」と、椅子を示した。「座ったらどうか。」
蒼は、頷いて高瑞の前の椅子へと座った。
「ほんとに良かったよ。すぐにでも娶りたいと言っていたのに、地震が終わっても今まで何も言って来ないから、気が変わったのかと思って。」
高瑞は、苦笑した。
「そんなはずはあるまいが。毎日瑞花宛てに文が届いておったし、後始末が終わるのを待っておるのだなと思うておった。だが…」と、声を落とした。「それでも、もしこのまま漸が娶らぬと申すなら、我も少し、考えねばと思うておったところよ。我があれを養子にしたのは、漸が娶りたいと申しておったし、このままでは松という女神があまりに哀れだと思うたゆえのこと。無抵抗なか弱い女が被害にあったという事実は、同情するしな。我とて、無抵抗な幼い頃に被害にあったのだからの。それゆえのことで、特にあれが気に入ったとか、そんな事で養子にしたのではない。あくまでも、同情からすぐに嫁ぐゆえの事であると思うておった。」
蒼が、驚いた顔をした。
天媛はあまりにも嬉しそうにしているし、高瑞もそれを微笑ましく見ていたので、すっかり許しているのだと思っていたのだ。
「え…じゃあ、ずっと娘というのは、否と?」
高瑞は、苦笑した。
「そも、同情したのは被害にあったからと申したが、我とあれは根本的に違う。もし、あれが宮の中で忍んで来た男にかどわかされたのならこの限りではないが、あれは己で侍女が居らぬ時をついて出て参ったのだろう。女神は、か弱いのだから己の身を守ってもらわねばならぬ。その守りの中から出るからには、どんな男に襲われても良いと申しておることに、神世ではなるのだ。つまり、奔放でたしなみの無い女であると評価される。ゆえ、宮では恥と言われたのだろう。それは分かるが、さりとてあれがこちらへ来てからしっかりと考えて嗜み深く励んでおったのを評価して良いと思うた。地位を持って、当然の事と隠したがった父王を貶めようとする気持ちもないと確認したし、それで我は養子としたのだ。主は分かっておって我に頼みに来たのだと思うたのに。」
蒼は、驚いて高瑞を見た。
まさか、そこまで評価が低いと思っていなかったのだ。
「…だとしたら、無理を申したみたいだ。オレとしては、松は気立てが良い皇女だったし、それが籠められているとなると、哀れだなと。」
高瑞は、困ったように蒼を見て微笑んだ。
「主はそれで良いのよ。確かに同情する身の上ではあった。ゆえに我も、主の意を汲んで、養子にしたのではないか。だがの、仮にこれが未来永劫という事ならば、我は断った。なぜなら、やはり宮を出ておるとはいえ、我が宮に関わって来るからぞ。名を変えたのも、過去を消すため。別に何も問題がないなら、名を変える必要などないのよ。仮に高彰が瑞花を娶ると言うておったなら、我は反対した。恐らく臣下も反対しただろう。最上位の誰一人として、あれだけ美しいのに娶ろうとは言わぬだろうが。蒼、神世はの、主が思うておる以上に対面を気にするものなのだ。上位になればなるほど、品位を保たねばならぬのだ。言い方は悪いが、誰とでも寝るような女と思われておる者を、皇女とはできぬのだ。なので、皇女は重々気を付けて育てねばならぬ。どこの宮も、だからこそ成人するまで奥から出た事すらない皇女も居るぐらいなのだ。」
そうだったのか。
蒼は、思っていた以上に高瑞が、蒼のためにと今回の事を飲んでくれたのだと思った。
蒼から見たら、別に松の過去など、今がああして淑やかに頑張って生きているのだから、いいのではないかと思う。
だが、これまでも維心は言っていた。
皇女は、重々気を付けて育てねばならないと。
それで、厳しくし過ぎて維月と教育の事で対立した過去もあったぐらいだ。
前世は、維月が育てた気ままな皇女が、宮をフラフラと出て行って大騒ぎになった事もあったのだ。
あの時、龍王の娘となれば、殺されるだろうと維心は早々に諦めていた。
あれは、仮に生きて帰って来たとしても、到底身が無事だとは思えないので、死んだほうが本神もましだろうとも考えていたからなのかもしれない。
神世は、価値観が違うので、蒼は未だに驚かされる。
高瑞は長く蒼の補佐をしてくれているので、そんな蒼の事を良く知っていて、蒼の気持ちを慮ってくれたのだろう。
そう思うと、安易に自分で決めてしまわずに、しっかり考えてから頼んだ方が良かったと蒼は後悔した。
とはいえ、漸は恐らく、今日瑞花を娶ろうと高瑞に口上を述べるのだろう。
そうしたら、これ以上高瑞を悩ませずに済む。
蒼は、大きなため息をついたのだった。
漸は、久しぶりに松に会うために月の宮へと降り立った。
伯がしっかり着物も選んでくれ、最近ではこちらの事情にも詳しくなって来て頼もしい限りだ。
臣下達も、松が来たら宮が外へ向けて恥をかかずに済むととても喜んでいて、漸は松を迎えると決めて良かったと心底思っていた。
こちらの神が渋い顔をするはぐれの神との間に比呂を生んでいるという事実も、漸にはそれがいったいなんだというのだと思えていた。
それが松を避ける理由になど、皆目分からなかった。
とはいえ、そのお蔭で美しく優秀な松が、こうしてどこにも娶られずに残っていたという事なのだ。
だとしたら、そのシステムには感謝せねばならないだろう。
漸は、真っ直ぐに高瑞の対へと赴いた。
そこに、蒼も待っていると、出迎えた恒から聞いたからだった。
漸がそこへ入って行くと、高瑞と天媛、そしてその隣りに松…今は瑞花が立っており、こちらを見ていた。
蒼は、高瑞の隣りに置かれた椅子へと腰かけている。
漸は、まず蒼に言った。
「蒼。数か月振りであるな。此度は立ち会ってくれるのか。」
蒼は、頷いた。
「よう来たの、漸。そう、オレは立会人だ。遠慮なく高瑞と話せばよいぞ。」
漸は、頷いて高瑞を見た。
「高瑞殿。」と、炎嘉に嫌になるほど仕込まれた、口上を述べた。「我は、犬神の宮第10代王、漸ぞ。父は伯史、母は比佐。妃は、そういう制度が無かったゆえ居らぬ。子は皇子が一人。名は柊。主の娘の瑞花を、我の妃に戴きたい。」
全く噛んでないし、完璧だ。
蒼は、思って聞いていた。
高瑞は、あっさり頷いた。
「良い。連れて参るが良いぞ。いつ頃迎えるのだ。」
漸は、答えた。
「すぐにでもと言いたいが、機を待っておってな。皐月の一日にこちらへ迎えを寄越すゆえ、その折引き渡してもらいたい。」
蒼は、言った。
「それは、卯月の始めに花見があるからか?」
漸は、頷いた。
「その通りよ。こちらの宮も騒がしかろうし、臣下達が考えた結果、ならば皐月にと取り決めた。あちらの準備はもう出来ておるが、なので来月に迎えを寄越すことにした。」
婚約から婚姻まで五年は待つ事がある神世なので、ひと月ならば十分に早い。
高瑞は、頷いた。
「ならばそのように。荷は、我は隠居の身であるから我が宮からは出せぬが、蒼がいくらか準備してくれておるようよ。それを持たせて参るゆえ、当面の暮らしは問題ない。主の宮の財力は知らぬが、娘一人ぐらいは養って行けるであろう?」
漸は、少しむっとした顔をした。
「外との交流がなかったゆえ、蔵から溢れておるわ。では、瑞花。こちらへ。これで婚姻は約したし、庭にでも参ろう。」
瑞花は頷いて、差し出された漸の手を取った。
「はい、漸様。」
そうして、二人は出て行った。
価値観の違う漸だからこそ、瑞花はきっと、幸せになれる。
名と居場所を新しく与えられて、昔の過ちなど誰も気にしない場所で、幸福になるのだ。
蒼は、やっとホッとしてそれを見送ったのだった。




