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峡の宮にて

峡は、会合から宮へと戻った。

臣下達が居並ぶ中、辰起の横に立つ渡が言った。

「峡!戻ったか。どうであった?」

峡は、相変わらずの渡に顔をしかめた。

ここは、この宮の跡継ぎである辰起が先に話すべきなのだ。

峡は、言った。

「それは後ぞ。」と、辰起を見た。「戻った。留守中何もなかったか。」

辰起は、頷いた。

「は。特に問題はありませなんだ。」

とはいえ、何もなかったという空気ではない。

何やら、臣下達もピリピリとしていて、良くない空気であるのはわかった。

恐らくは、渡なのではないかと峡は思った。

何しろ、峡が居ない中で、話し掛けるとしたら辰起ぐらいしか居ないが、辰起は息子と同じ歳なので、どうせ横柄に振る舞ったのではないか。

「…関と話して参った。またこちらへ来るだろう。また主も文などで話してみるが良い。」

辰起は、それを聞いてホッとしたような顔をして頭を下げた。

「は。では早急に。」

峡は頷いて、渡を見た。

「渡、龍王どころか炎嘉殿も、それは内の事だと取り合ってはくれなんだぞ。参れ。話がある。」

渡は、みるみる顔色を赤くして、歩き出す峡について来た。

「あやつがあんな態度であったのにか?!」

峡は、頷いた。

「その通りよ。とにかく話がある。」と、チラと渡を睨んだ。「主、我に話しておらぬ事があろう?関と話して参ったぞ。我に世話になりたければ、全部隠さず主の口から話さぬか。良いな?」

渡は、ぐ、と黙った。

峡は、そんな渡を引き連れて、己の居間へと戻って行ったのだった。


居間へと入ると、峡はわらわらと出てきた侍女達に手伝われながら、袿を脱いで着替え始めた。

「…座れ。」峡は、部屋着の着物を着せ掛けられながら言う。「突っ立っておらずに。」

渡は、答えもせずに目の前の椅子に座る。

侍女達がまたわらわらと着物を持って出て行くのを見送ってから、峡は言った。

「主、何をやったのよ。関からは長年のわだかまりがあるゆえ、宮へ帰すのならまた牢に籠めると申しておったぞ。その、わだかまりの元になっておる事を今、ここで我に洗いざらい申せ。でないと、我が王座を退くか、死んだりしたらもう、主は牢に逆戻りになる。辰起と関は仲が良いのだから、辰起は関から聞いて宮に戻すと申すだろう。根本的に解決しないことには、主は結局牢で死ぬことになるのだぞ。」

渡は、むっつりと黙っていたが、言った。

「…別に、我はそこまで悪い事をしたとは思うておらぬ。我があやつの頬を張ったのも、あやつが月の宮の高瑞殿から、松を養子にと言うてきたのを受けるとか申すからぞ。そんなことをしたら、あやつの地位が上がって宮に何があるか分からぬのに。」

峡は、眉を寄せて首を傾げた。

「なに?松を高瑞殿が?何故に?娶るのではなくか?」

渡は、頷く。

峡は、怪訝な顔をしている。

そして、渡は観念したように言った。

「…話は、百年ほど前に遡る。松がまだ成人前のことぞ。あやつは、一人で勝手に宮を抜け出して、はぐれの神に(かどわ)かされたのだ。軍神達がすぐに見つけて相手を殺したが、松は子を身籠っていた。」

峡は、初めて聞く事に仰天した顔をした。

「何と?!それで、松と子は。」

渡は、床を見つめて言った。

「…そのまま宮の奥に籠めて、全てを隠した。誰にも会わせず、子が生まれてもそのままにしておった。そうしたら、松は勝手に月に助けを求めよって。蒼殿から、松を宮の侍女として子共々引き取ると言うてきたのだ。」

峡は、まさかそんなことになっていたなんて、知らなかったと呆れたように言った。

「籠めたままではそれはそうなろうが。それにしても…侍女は何をしておったのよ。皇女がたった一人で外へ出るなど、侍女が見張っておってなかろうに。眠りこけていたとかではないだろうの。死罪案件ぞ。」

渡は、渋い顔をした。何やら、言おうか言おまいか悩んでいるような様子だ。

峡は、眉を寄せて言った。

「…何ぞ。この際皆申せ。どうせ後で分かる。」

渡は、息をついて思いきったように言った。

「それが…その時の松の侍女は、見目の良いもの達ばかりで。中でもあの日夜番であった女は、それは美しゅうてな。初もあの夜珍しく早う休んでおったし、この機を逃してはと、そやつに忍んだ。その隙に、松は抜け出しおって。」

峡は、心底呆れた。

つまりは、その時当番であった侍女を手篭めにしていたので、松は誰も居ない中で抜け出し放題だったのだ。

峡は、額に手をついた。

「…誠に…何をやっておるのだ主は。松も悪い。外へ夜に出てはならぬと、その上昼であっても地位のある女が一人で出歩いてはならぬと強くしつけられておるはずなのに、これ幸いと出て参ったのだからの。だが、主も主ぞ。外に興味を持っておる子供の娘を、侍女も側に置かずに放置していたのだから責められて然るべきぞ。そも、初にバレたら大変なことになるのだろうが。」

渡は、言った。

「なったわ!あやつは我が侍女に忍んでおったのをその時知り、散々罵倒して一月口を利いてくれなんだ。侍女はバレてはとすぐに務めを怠ったと牢に入れたのに…関が逃したらしく、その際侍女から話を聞いたとか申して。何故にバレたと思うておったが、最近知った。初にバレたのは、あやつのせいだったのだ!」

峡は、手を振った。

「黙れ。渡、何の罪もない侍女を籠めて、それが公になるのを恐れて松と子まで籠めて、それは恨みもしようぞ。誠に…関は妹が哀れで助けたかったのではないのか。なのに、王座についてからも主を野放しにしておったのに、松が日の当たる場所に出ようとしたらそれを阻止しようなど、関が怒るのも道理ぞ!ゆえに辛抱堪らなくなって、主を牢に繋いだのだ!」渡が黙るのに、峡はため息をついた。「誠に…どうしたものか。長年の蓄積で確かに一筋縄では行きそうにない。楢とて…金星で樹伊殿に嫁いだらしいが、あやつも恨んでおるのでは?」

渡は、首を振った。

「いいや。あやつは何も知らぬ。模範的な皇女で、関のように反抗的でもなかったしの。現に樹伊殿は大変に楢を気に入って大切にしておるようだが、宮と宮との関係は良好ぞ。あれは恨みなどない。」

知っておっても言わぬだけやも知れぬがな。

峡は思ったが、その事については何も言わなかった。

「…とはいえ、もう松は高瑞殿の養子になっておるだろう。あれから時は経った。関が代理で認めておるだろうからな。となると、これからは上位の元王の子であるし、最上位の王に嫁ぐ事もあるやも知れぬぞ。養子にとまで言うのなら、恐らくあの出来事も調べて知っておろう。己の子にするのに、過去を調べぬ道理はないからな。それでも嫁がせるとなると、相手は相当に気に入っておるわけであるし、主の行いは皆に知れることになる。ここは、早々に公にして、謝罪した方が良い。でなければ、関は主を斬るぞ。宮のためにな。」

渡も、それを分かっていたのだろう。

深刻な顔になった。

「…分かっておる。己が松にしたことが、返ってきておるのだ。だが、我だけが悪いのか。謝れと申すならば謝ろうぞ。しかし誰にぞ?関にか。あやつは跡目として育てたし、王座も譲って謝れと言われる理由はない。松だって、あれだけ初に外は野蛮な神が多いゆえ、決して一人では出てはならぬと何度も言われておったのに、一夜侍女が居らぬだけで外へふらふら出て行ったのに、謝る謂れはない。あやつは宮の恥で、初ですら籠めておる松に会いに行こうとはしなかったのだぞ。」

峡は、そう言われて言葉に詰まった。

確かにそうなのだが、あちらから見たらそうではないのだろう。

峡は、頭を抱えた。

「…全く…我の知らぬところで。」

峡は、もう隠居しようという歳になって、他の宮の事で頭を痛めることになろうとはと、己を憐れんだのだった。

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