美女の名は
誰かの泣き叫ぶ声が聞こえる。
縋るような、喉の奥から絞り出されるような嗚咽とともに。
「――――――返してっ…。」
失われたものを求めている。
視界は両膝をついて乞うように虚空に叫ぶ誰かを捉えている。
「-----。」
言葉とも取れないような声が泣き叫ぶ誰かの耳に届く。
振り返る誰かはこちらに向き直るとその目を潤ませてさらに泣いた。
おもむろに近づいて抱き寄せられる。
どくんどくんと胸の鼓動が鳴り響く。
「そうね…。そうよね…。ごめんね…。ごめんね。」
許しを請うような涙声が自分に向けられたものだとは、気付かない。気付けない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「―ぇ。―――い―ょ―ぶ―。」
「-ぇ。おー――。」
「――おーい。」
「―――だぅっ!!」
額にぺちぺちと何かが当たる感触がその意識を現実へと引き戻す。
「あ、起きた。大丈夫?」
ぼやけた視界は青々とした空を映す。不意に右からひょっこりとこちらを覗く美女が一人。
栗色の大きな目をぱちくりさせて怪訝そうに問いかける。
「あ、あぁ。大丈夫。」
何ともないと右手を上げてトウヤはアピール。
ほっと胸を撫で下ろす美女は腰を折って頭を下げた。
「ごめんなさい!まさか気絶するほどいいのが入るとは思わなくてっ!」
本当にその通りだ。咄嗟の一撃とはいえ打ちどころが悪ければ死さえあり得る一撃。
テンプルに容赦なく硬い木で殴りつける暴力性にさっと血の気が引いた。
ただ、よからぬことを考えていたのも事実であり、あまり掘り返すともう一撃喰らいそうな予感がトウヤの頭をかすめる。
「あー。いや。気にしてないよ。ダイジョブダイジョブ。」
気丈に振舞って見せたが流石に苦しいか。苦い顔でちらりと美少女にその目をやる。
美女はふぅーっと安心した顔を見せるとスイッチを切り替えたようにトウヤに向き直る。
「で、何が聞きたいの?というか私も聞きたいことだらけなんだけど…。思いきり殴っちゃった罪悪感もあるしそっちから話していいよ。」
見事な頭の切り替え。
お互いさまではあるものの女のこういうところがたまに恐ろしい。
ゲーム浸りで現実にあまり目を向けて来なかったトウヤが抱く女性への認識は怖いものだと凝り固まっている。
「まずはこの場所だな。ここに来るまでの記憶とかはある?ていうかどこだかわかる?ここ。」
話す順序はてんでバラバラ。当然だろう。なにせ事態が事態だ。考えが纏まらないのも無理はない。
一息で話し終えると、彼女は両腕を前に突き出し手の平をこちらに向けふるふるとジェスチャー。
「ちょ、ちょっと!まずは落ち着こ!別に逃げないからっ。」
戸惑う彼女を見てはっと我に返る。
見ず知らずの男に質問攻めにされる彼女の身になって考えると確かに酷な話だ。
ごめんごめんと頭を軽く下げると、トウヤは少しばかり頭の中を整理して話しかける。
「俺、気が付いたらこの森の中にいてさ、川の流れる音を辿ってきたら君を見つけたんだ。
ここがどこなのかもさっぱりわからないから色々教えてほしい。君はこの辺に住んでる人なの?」
真剣な眼差しで、なるだけ丁寧な言葉で彼女に問う。
「え!?あなたもおんなじ!?」
驚いた彼女はその顔をトウヤに近づけて叫ぶ。近い。うるさい。
近い近い、と彼女の肩をゆっくり押し戻すと彼女も落ち着きを取り戻したようだ。
「私は家でゲームしてたらいつの間にか森の中にいた…感じ…。」
徐々に自信を無くすようにトーンダウンしていく彼女の声。
話す内容に自信を無くすかのようにしょぼくれていく彼女の姿がいやに愛らしい。
ただ、トウヤの顔は彼女の一言で陰りを帯びる。
「―ゲーム…?」
「そう。「THE GAME」っていうゲーム。ニュースでやってたゲームなの。昔大きな事件になったゲームらしいの。」
点と点が線で繋がるような。合点がいくとはまさにこのこと。
「まさか…。ゲームの中に…入った…のか…?」
一見荒唐無稽に聞こえる一言。だがもしそうならば全てに納得できる。
お互いの共通点である「THE GAME」を直前にプレイしていたという事実。
気が付くと見知らぬ場所で目覚めたという事実。
判断材料こそ乏しいものの、現時点でこの仮定を有り得ないと断言できる物証が一切ない。
「俺も「THE GAME」をプレイしてたんだ!あらすじを見て、ステータスを割り振って…。
ゲームが始まると思ったら黒い影みたいなのが近づいてきて…!」
「あなたも!?そう…!そう!ゲームが始まる瞬間に靄みたいなのが迫ってきて…!」
完全にお互いの経験が合致する。
はっと息を呑みお互いを見つめ合った。
そして二人に芽生えたのは同じ境遇の仲間に出会えたことによる小さな喜びと、途方もない絶望だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「はぁ…。これからどうすればいいのよ。私たち…。」
美女ががっくりと肩を落として項垂れる。
その落胆ぶりは目の前のトウヤにも伝播する。
「プレイした人間が失踪するっていうのはそういう意味だったんだな…。」
お互いの境遇の一致からの絶望。
しばらくの間欠けた部分の埋め合わせをした二人はさらに重く伸し掛かる現実を知った。
「こんなゲームだって知ってたら私絶対にやらなかったのに…。」
「まぁ、知らないからあんな大事件が起こったわけだよな…。」
「そうだけど…。」
後悔と落胆。
死ぬかもしれないと再三の警告を重く受け止めプレイを始めたトウヤの面持ちは、沈んでこそいるがある意味納得したように見える。
対して、割と興味半分だった彼女の表情は重い。
愁いを帯びた美女は絵になるなどと軽口を走れば半狂乱で殴られそうなほどに。
「取り敢えずさ!俺達以外にも人がいないか探してみないか?」
無論。トウヤも元気など残ってはいないのだが、今にも泣きだしそうな彼女を尻目に男がめそめそと泣くわけにはいかない。
精一杯の空元気を振り絞って励ましの言葉をかける。
うん…。とトウヤの空元気に返ってきたのは彼女の空返事。
こりゃ重症だとがしがし頭を掻くトウヤはそれでも励ましをやめない。
その場凌ぎの慰めであろうと、希望を捨ててしまえば未来は無い。
「きっと元の世界に戻る方法だってあるって!諦めたそこで試合終了だろ?」
とってつけたお馴染みの名台詞。完全なる受け売り。この言葉しか出てこなかった自分のボキャブラリーの無さが悔やまれる。
「ふふっ。なにそれ。もっとかっこいいの無かったの?」
初めて見せる唐突な彼女の笑顔。
涙を溜めて潤んだ瞳を瞑ってくしゃっと浮かべた笑みにトウヤは不覚にもその目を奪われる。
「ほっとけ。女慰めるなんて今までの人生で一回も経験してこなかったんだよっ。」
急に恥ずかしくなって、トウヤは顔を逸らしてその口を右手で擦る。
「ん。でも、ありがと。ちょっと元気出た。」
ぐしぐしと袖で涙を拭うと彼女はへらっと柔らかく笑う。
この表情はこの表情でドキッと来る。
よし。と腿を叩いて彼女は立ち上がると―――。
「葵。東条葵。私の名前よ。あなたは?」
顔を逸らしたままのトウヤに向かってアオイは自分の名を名乗る。
ようやっと彼女に向き直って、栗色の瞳をまっすぐ見つめる。
「佐野斗也。よろしく。アオイ。」
アオイがそっと差し出した手をぐっと握ってトウヤが立ち上がる。
並んだ二人が見つめる池に映った太陽は、いつの間にか橙色に輝いていた。