生きてるっぽい
「結局何が起こったんだろ…。」
何度周りを見渡そうが明確な答えも環境の変化もない。
ここでうろたえているよりも体を、心を動かさねばと立ち上がる。
「不用心だといけないからこれ持っていこっと。」
足元にあった大きめの木の棒を手に取ると思った以上に軽く持ち上がる。
片手で振り回すくらいには軽い。
「えっ。軽い…。中身空洞とかじゃ…ない…よね。」
こんこんと拳で木の棒を軽く叩いてみる。
無論中身はしっかりと詰まっている。
不思議な顔をしながら勢いよく木の棒を片手で振ってみるとぶぉん。と風を切る音。
自らの身を守る鈍器としては十分すぎるくらいの威力が想像される一振り。
「何はともあれ取り敢えず水よね!水があれば数日は生きられるもんね!」
急にふんふん鼻を鳴らして目標を立てる。
自分が死んでいるのか生きているのかわからない状況ならば生きていると希望的観測をし、それにのっとって生きるための行動をしなくては。と彼女なりの決断である。
幸い先ほどから遠くで水の流れる音は聞こえている。現状向かうべきはそこしかない。
よしと軽くひざを折り気合を入れなおすと水音がする方へ歩き出す。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「―――――わぁ。綺麗…。」
木々の合間を縫ってしばらく歩くと突然視界がぱっと開ける。
空に輝く太陽を久しぶりに直視したからか眩しさに目を伏せる。
ぱちぱちと瞬きを数度すると今度はしっかりと景色をその目に映す。
透明に澄み切った一つの波もない穏やかで美しい池。
うっかり木の棒を投げ入れようものなら女神が出てきてもおかしくないほどに。
「こんなに綺麗な水なら直接飲めそうね!よし!」
木の棒を池のほとりに放り投げると彼女は池に向かって小走りする。
岸でちょこんと屈むと、水面に両手を沈める。
「んー!!気持ちいいぃー!」
掬い上げた水を口にあてがって喉に流し込むとうぅんと舌鼓。
目覚めた当初の不安はどこへやら。完全に彼女は浮かれていた。
「そうだ!体もべとべとするし、ちょっと冷たいけどここで洗い流しちゃおっと!」
緩み過ぎである。
彼女に同行する者が一人でもいるならばまず突っ込むであろう程に気の抜けた決断。
止める人間がいないのが悔やまれる。
そうと決まれば彼女は止まらない。
そそくさと服を脱いで、てきぱきと脱いだ服を綺麗に畳む。
全てを脱ぎ捨てた彼女に迷いはない。ぺたぺたと池に向かって足元から水に触れる。
ひんやりと冷たいが水浴びもせずに何日も過ごす事は彼女の乙女としてのプライドが許さない。
歩を進める彼女は次第にその身を水につからせ、最終的には腰ほどの深さの場所で止まる。
「髪も洗いたいけどタオルなんて持ってないもんなー。」
うーんとうなる彼女。
片手で掬い上げた水を肩にかけながら考えること数十秒。
「よし!洗っちゃえ!ていうかもう泳いじゃおっと!!」
高らかに宣言した途端全身を水中に沈める。
その瞬間はまさに人魚。長い茶髪の髪が風に揺れ、白い絹のような肌が透明な水に溶けていく。
「ぷはぁっ!最高っ!」
ざぶんと水の中から彼女が浮き上が―――
池から延びた川のほとりでこちらをガン見している黒髪の男が一人。
右手の小脇に抱えた木の棒を落として口をぱくぱく開け閉めしている。
彼女も端正に整った大きなその瞳が落ちんばかりに見開いて男を見る。
お互いほとんど違わぬタイミングではっと肩を持ち上げると男は両手でその目を覆い、女は両手で胸を覆い。
「ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇえええええ!!!」
「キャァァァアアアアアアアアアアア!!」
穏やかな池に波紋が広がる。
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「ごめっ!ちょっ!見てない!マジで見てない!そんなに!」
「うるさい!変態!言い訳すんな!見たくせに!近づかないで!」
池のほとり。両目を手で覆った男と池に浸かった裸の女が叫びあう。
咄嗟の事ではあるが、どこだかわからぬ森の中で声を大にして叫びあうのは不用心である。
「ちょっ!取り敢えず後ろ向いてるから服着て!!ちゃんと話そうっ!!」
「ちゃんとって何よ!変態と何話すっていうのよ!」
「ここがどこだかっ!わからないんだっ!だから!話だけでも聞いてくれっ!!」
「―――はっ」
女は突然我に返る。
森で目を覚まし、混乱の中でも水を探そうと決めたところまではよかった。
池を見つけて調子に乗った自分の無策さを呪った。
「―――わ。わかったわよ!でも振り向いたら本当にぶっ飛ばすから!」
彼女はそう言い放つと起用に左腕で胸を隠しながら男にしっしと振り向くように右手を払う。
覆った指の隙間からちゃっかり見えている彼女の動作にはいはい。と聞こえないよう呟くといそいそと彼女に背を向けた。
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「で。何。」
濡れたままデニムとパーカーを纏った彼女は両手で長い茶髪を絞りながら、じとっとした目でトウヤに呟く。
随分と嫌われたものだ。現に裸をガン見したのだ。最悪の第一印象を抱かれて当然だろう。
ただ、トウヤが見惚れるの無理はない。
大きすぎず小さすぎない白く美しい胸。栗色の背中にかかった長い髪。髪と同じ栗色をした大きな瞳。整った小さな顔立ち。
いうなれば美少女。否、高校生のトウヤと同じくらいの年であるならば少女は合っているのか。
問いかけたいことは山ほどあるのだが先ほどの光景が頭から離れない。
トウヤを見つめる彼女は小首を傾げるとトウヤの瞳の奥にある考えに気付いてしまったようだ。
「いい加減忘れろ!変態っ!!」
座った彼女の傍らに置かれていた木の棒が次の瞬間には彼女の手に握られている。
トウヤの思考が切り替わる頃には、その木の棒は眼前に迫っていた。
「――――ちょ、ぶ」
ぼごっと鈍い音が響くとトウヤの頭が跳ねあがった。
薄れるトウヤの視界にはちかちかと虫のようなものが浮いている。
ああ。生きてるっぽいな…俺…。
生を実感するには大きすぎる衝撃に、トウヤは大の字に倒れこみぷつんとその視界がブラックアウトした。