非日常の中の日常
慌ただしく階段を駆け下りる音。
「取り敢えず食糧だっ。徹夜でやるぞっ!」
樹と直人の二人とオンラインゲームで別れるや否や、薄手のフリースを羽織り、勢いよく部屋を飛び出ては階段を駆け下りる。
徹夜でゲームをプレイするには、体力の維持が必要不可欠。故に食料調達に奔走している訳だ。
帰宅したときに居間に放った財布を脇に抱えて、そそくさと靴を履く。
玄関口を出ると、夏の夜にしては冷たい風が斗也の頬を撫でた。
「昼間はあんなに暑かったのにな…。」
年々気候の変化が激しくなる今日この頃に溜息をつきながら夜の住宅街を小走りする。
とはいえ、この空気管は嫌いじゃない。
人気のない暗がりの世界で一人駆ける自分に酔った気になれるから。
こんな自分はあの二人には知られたくないものだと顔をしかめ、なお走る。
街灯の灯りと民家の灯りだけがちらほらと灯る住宅街にひときわ眩しい光を放つ建物。
自動ドアのボタンを押して両掌をこすり合わせる。
さながらお宝を前にした泥棒である。
「取り敢えずジュースとカップ麺はマストだよな…っと。」
慣れた手つきで棚から商品をかごに収める。
お決まりの飲み物と食べ物。
休日の前の日、ゲームに耽ると決めた日に買うものは決まって同じ。有体に言えばルーティーン。
アスリートのそれほど大した意味はないのだが。
「いらっしゃいませー。」
レジ前でホットスナックを物色する斗也を呼ぶのはこれまたいつもの店員。
特に言葉を交わすこともないが、これでいつものルーティーンの完成である。
いつもとはプレイするゲームも状況もまるで違うのだが、変わらない日常にふと戻ることに安心感を覚える。
そんな些細な高揚感からかホットスナックを指さし呟く。
「メンチカツも一つお願いします。」
「かしこまりましたー。」
こんな日だ。何に勝つのかはさておきゲンを担いでおいて悪いことはないだろう。
少し驚いた顔をした店員を尻目に下唇を少し突き出し、うんうんと頷く斗也。
非日常に訪れるささやかな日常。その日常にふとした気まぐれで生み出されたちょっとしたほつれ。
それが捻れ、絡まり、いずれ非日常へと繋がることも知らずに。
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「ただいまー。っと。まぁ誰もいないよな。」
斗也本人も気付いていないであろう口癖と共に帰宅。
慌ただしく階段を駆け上がって部屋の扉を開く。
落とされたパソコンを立ち上げ、時間を確認。
22時30分。
約束の時間まであと凡そ1時間半。
買ってきた食料たちが入った袋をどさっとテーブルに置いて広げる。
「さて、何から食べるかな。」
困ったふりをしてはいるものの答えは既に決まっている。
炭酸飲料とツナマヨのおにぎり。
樹と直人の二人から、それはありえないと言われる最悪の食べ合わせ。
食べるたびに思い出す苦虫を噛んだような二人の顔。
今日に限っては思い出すことはない。
「あ。メンチカツ買ってきたんだったな。」
せせこましく袋をまさぐってメンチカツを取り出すと、手の平で温度を確かめる。
まだ温かいことにほっとすると封を切って一口。
溢れる肉汁に舌鼓を打ちながら、片手間にパソコンをいじりだす。
画面に現れたのは斗也が日課としてみている動画サイト。
あらゆる個人が自身のチャンネルに動画をアップロードして視聴者と楽しむコンテンツ。
斗也はゲームの合間によくお気に入りのチャンネルへアクセスしては最新動画を片っ端からチェックするのだ。
「―――ん。」
目に留まったのは動画サイトのトピックに上がっている所謂その日その時間のホットな動画。
[最悪の未解決事件から17年。]
斗也が目を引くのも無理もない。
これからその渦中のゲームをプレイしようというのだ。
そんな正体不明のゲームについての情報を知りたいと思うのは人間の防衛本能に準ずる。
おもむろにカーソルを合わせてクリック。
軽快な語り口の男が身振り手振り、時折テロップを交えて当たり障りのない事件の概要を話している。
また一つ、斗也の日常が「THE GAME」に塗りつぶされていくことに当の本人は気付く余地もない。
「なんだ。そんなの俺でもわかってるっつーの。」
結局最後まで目を引く話題が出なかったことに落胆しながら低評価のボタンをクリック。
大方、ニュースでやっていたから話題の種になるだろうと碌に調べもせずに作った動画なのだろう。
事実斗也もその話題の種に目を引かれた一人なのだが、上手く思惑に嵌ったような気がして腹が立った。
動画への低評価はそんな斗也の投稿者に対するせめてもの嫌がらせだ。
買い込んだ食料で腹が膨れる頃。
モニターの右下が示す時刻は23時過ぎ。
いつもならば、腹が満たされた瞬間にオンラインゲームの世界へと身を投じるのだが、如何せん今日は勝手が違う。
プレイしたら死ぬ(かもしれない)ゲーム。おまけに24時にプレイを始めようという約束付き。
本来余すことのない時間。完全に持て余したというやつだ。
動画サイトは事件に関係する動画を見たことで完全に興が削がれたために見ることをやめた。
かっこよく別れたが故に今更二人に連絡もできない。これは完全に斗也の見栄なのだが、二人からの連絡もない以上二人にも同じ思いがあるのだろう。
別に何事もなくプレイができたのであれば、明日学校で会えるだろうし、特に心配もない。
「―――そう。なんの心配も…ない…。」
口から心の声が漏れる。
一瞬驚いた表情をしたものの自分の声だと気付くと息をついて心を落ち着かせる。
音のない、静寂の時間だけが流れる。
胸の中で思い返す。
「THE GAME」を知ったあの日の事。
母の言葉。
泣き崩れる母の背中。
床に放られた一枚の便せん。
遠い記憶に残された父の背中。
二人との出会い。
あらゆる記憶が斗也の中で駆け巡る。
「走馬灯かよ。死んでもいないのに大袈裟だな。俺。」
否。走馬灯を見るのも頷ける。
事実として「THE GAME」により多くの人間が失踪し、国はその失踪者すべてを死亡と判断した。
死の瞬間でこそないにしろ。「THE GAME」に挑むということは限りなく死に近い行動なのだ。
頭では理解できなていないものの、斗也の心は理解している。
故に思い返すのだ。これまでの人生を。
ただ一瞬で生前の自分を振り返る走馬灯と違い、時間は動く。
パソコンが指し示す時刻は現在23時54分。
約束の時刻まで10分もない。
静寂の中で斗也の心臓は力強く、急速に動く。
その音の衝撃が部屋中に響くのではないかと馬鹿げた想像をしてしまうほどに。
「そろそろだな…。」
4分前。迫るプレッシャーに耐え切れずダウンロードしたファイルを開く。
ファイルの中には「THE GAME」.exeという名のアプリケーションがたった一つ。
妙な期待感がある。興奮が血の巡りを早めているような気さえする。
それと同時に恐怖がある。今までの自分の人生で出会った人間に二度と出会えないのではないかという一抹の不安。
圧倒的な肯定力で自分に突き付けられた死という未知の概念。
2分前。苛立ちか焦りか不安か、震えだす膝を押さえパソコンの前に胡坐をかく。
震える指先がマウスを押してしまわないかと余計な心配にばかり気を取られる。
―――――ピコンッ!
びくっと体が跳ね上がる。
心臓を針でつつかれたような胸の痛み。
「…なんだよ!ケータイかよっ!」
ふーっと息を吐き左手で目頭を押さえる。
[ソッコーでクリアして明日自慢してやっからな!]
三人で作ったグループチャットのチャット欄にはえっへんと胸を張ったキャラクターのスタンプと共に樹からのメッセージが届いていた。
[罰ゲームは受けたくないからね。僕も負けるつもりはないよ!]
すかさず直人が珍しく強気なメッセージ。
本心か、緊張から己を鼓舞するためか。柄にもなくぎらつかせた目の直人が目に浮かぶ。
やれやれ。敵わないな。というかのように座ったまま上半身を伸ばす。
のしかかる錘やら幽霊やらが吹き飛んだように体が軽い。
[二人のおかげで吹っ切れた。ありがとう。頑張ろう!]
返信はない。いや、いらない。今生の別れでもないのだから。
吹っ切れた以上は攻略するのみ。
「―――よし!」
指先の震えは既に止まった。
視界も冴えている。今までの人生の中で最高なくらいに。
斗也は「THE GAME」のアプリケーションソフトにマウスカーソルを合わせると、迷わず2回。クリックした。
0時を丁度回った頃のことだった。