4.メモリー。過去の思い出は、今の私の……。
夏風を浴びながら、伊藤沙亜菜は白へ彩っていた。
そして、僕はただそれを眺め。
「すみません、黄を」
「ん」
時折彼女の求めに応じるのみである。
この部屋における主役は、間違いなく彼女であった。
「……なんか、地味」
「こら」
ごちんと、僕は傍らの少女に拳骨を落とす。彼女は小さく悲鳴を上げて、ただでさえ小さな背を更に縮めた。
「だ、だって師匠、私は人助けをするって聞いて来たのに。これじゃただの雑用じゃないですか」
「雑用言うな。それに、僕はただ彼女の相談に乗ってるだけだよ」
「そんな! もっと恋のキューピッド役を買って出たり、廃校の危機から学校を救ったり、自殺しそうな生徒を助けたり、そういうのは!」
「あるわけないだろ……」
仔犬のように、寺木音小春は騒ぐ。そんな彼女と僕を、伊藤は感情の読み取れない表情で見た。
「……元気な、彼女さんですね」
違った。感情読み取れないどころか怒ってるのが手に取るようにわかる。絶対うるさいって言外に文句言われてる。
「ええと。まずとりあえずこの子は僕の彼女じゃなくて」
「一番弟子です!」
「はぁ」
少女の言葉に返事をするも、伊藤は僕から顔を背けない。これじゃ分からないだろうと僕が補足を加えようとしたところで、彼女はいち早く口を開いた。
「つまり、相談役の噂を聞いて憧れから弟子入りしに来たと。そういうことですね?」
「……ご明察。ただ、随分と噂には尾ひれが付いているみたいで」
洞察力に舌を巻き、それを隠すため僕はおどけて拍手の仕草を見せる。
だが内心では、改めてよく分からん話だと頭を抱えていた。
追い払おうにもずっとこの調子であり、結果上手く丸め込まれた僕は彼女を今現にこうして美術室に座らせている。故に伊藤からの非難の目も、甘んじて受け入れる他なかった。
「邪魔はさせないようにしますから、ごめんなさい」
「まぁ、それなら別に――」
「これなんの絵なんですかー?」
僕の懇願を彼女が承諾するとほぼ同時に、絵の方からは元気な声が飛んでくる。
その間僅か0.2、3秒。フラグ回収にしてももう少し時間を持って欲しいものだ。
いよいよつまみ出されるか。
来たる言葉に備え身を縮こまらせていると、しかし存外彼女は普通の反応であった。
「私です。私をモチーフにしました。他に、モチーフになってくれる友人もいませんし」
伊藤沙亜菜は多分、コミュニケーションが苦手である。
その自虐もきっと、本人にとっては和ませるつもりであったのだろう。けれど、言われた側である寺木音や僕は苦笑いするしか無かった。
「えへへ……え、ええと、この花も思い出の花だったりするんですか?」
言いつつ、寺木音は絵の少女が握るラベンダーを指す。背景は紺一色でわかりにくいが、その花だけはブドウを逆さにしたような形の花がくっきりと映っていた。
「ええ」
相変わらず、瞳は見えない。長い前髪の奥に隠れたままである。だが、いやだからこそ、彼女の態度からは尚更暖かい感情が読み取れた。
「そうですね。少し、思い出話をしても聞いていただけないでしょうか」
「! 探偵っぽい! ぜひ!」
ぱぁっと、寺木音の目が輝く。流石にそこまで食いついて貰えるとは思っていなかったようで、伊藤は自分から提案したにも関わらず逡巡する姿勢を見せる。
「いいの?」
「……えぇ。この辺りで、絵の具も一度乾かせたかったので」
絵の進度は今ひとつよく分からないが、彼女がそういうのならばそうなのだろう。僕は期待にはしゃぐ寺木音を静止することなく座して待つ。伊藤がパレットをすすぐと、水に溶けた絵の具の独特の香りがぷんと漂った。
「――私の母は、フランス人なんです」
告白。
絵の具の匂いに意識を向けていた僅かな隙に、まるでボディーブローの如くその告白は響いた。
それは、決して罪では無いはずなのに。
だけども懺悔のように、彼女はそう告白した。
「ですから、私はいわゆるハーフになる訳です。驚きましたか?」
「……」
僕達は無言で頷く。その反応に、伊藤はやや安心したような表情を見せた。
「まぁ、日本人である父の血が色濃く受け継がれたのか、黒髪ですし背も標準より小さい程度とそこまで一般的に想起されるようなハーフに近い容姿ではありません。しかし……」
表情が陰る。偶然か、窓から射す光も同時に少しだけ弱まった気がした。
「それでも異質な存在は、排斥の対象として見えたのでしょう。幼少の頃は虐められたりもしました。おかげさまで隠すのもすっかり手慣れたものです」
安心の感情はそれか。僕は納得する。
隠す理由については、全くもって納得出来なかったけれど。
「きっと、ずっと負い目があったのでしょう。虐めに耐えきれず、泣きながら帰ってきたある日、母は私を見るや否や外に連れ出しました。丁度、今くらいの時期のことです」
童話を語るように、伊藤は記憶を紡いでゆく。
彼女は何も持ってはいなかったけれど、その両手は本のようにピタリ、彼女の前でくっついていた。
「車に揺られ、着いた先は花畑でした」
その言葉で、僕達の目の前には絵の光景が広がる。心地よい風がなびき、柔らかな匂いが鼻腔をくすぐった。
「移動の合間に涙はすっかり止まり、私はただただその光景に魅せられていました。そんな私に、母は――」
彼女は一瞬、息を潜める。僕はそれを、時が止まったかのように錯覚した。
「ごめんねと、私を抱いて謝りました」
今度は僕達が息を呑む。対して彼女は照れ臭そうに、少し口角を上げた。
「結構私は母と抱き合って、また一緒に泣いてしまいました。悔しくて、なにより……羨ましくて」
羨ましい。
その感情は彼女の口から、突拍子もなく現れた。けれど同時に、なんとなく僕達はその感情を理解できた気がした。
「母の瞳と、花畑は同じ色だったのに。なのに、私達は泣いていて、花畑は太陽に照らされていて。それが悔しくて、羨ましかったのです」
ああ、と僕は思わず声を漏らした。ようやく納得したのである。
彼女が趣味である絵において、ここまで賞に固執していた理由を。
彼女は、太陽に憧れていたのだ。
明るい舞台に憧れて、だから。
だから、伊藤沙亜菜は。
ずびび、と隣から音が聞こえた。
直後、ちーんと高い音が鳴る。どうやら寺木音は感涙の極地にいるらしい。なんというか、イメージ通りの反応である。
「それからこの花は、私と母の思い出の花になりました。今でも私の誕生日には、毎年庭に球根を植えるのですが……と」
もう少し聞いていたい思いもあったが、時計はそれを許してくれないらしい。いつの間にか最終下校時刻数分前である。彼女はこほんと空咳をすると、話を締めた。
「すっかり話し込んでしまいました……あと二分、これはもう下校時刻に間に合いませんね。先生に怒られてしまいます。ごめんなさい」
「いや、全然。むしろいい話をありがとう」
「ぞうでずよ!!!!ぜっだい、じょうどりまじょうね!!!!」
鼻水を垂らしながら、寺木音も僕に被さる。流石にその反応はややオーバーな気もしたけれど、きっと本人は真剣なのだろう。実際、伊藤も彼女の言葉に笑みと共に首肯した。
ぱんぱんっ、と寺木音は絵に向け掌を合わせ念じる。むむむと言う声も聞こえてきそうなほど力が入り丸まった背を見て、それから。
僕も目を閉じて、祈ることにした。
恥ずかしそうに小さく手を合わせていた伊藤が、せめて堂々と祈れるように。
カイリューもそこそこ好きなんですが冠で解禁されたりしないんですかね。ダイマとマルスケと弱保は流石に壊れすぎるから難しいのかな。