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マージナル・ピープル  作者: 篠崎京一郎
Case1.十人十色
2/8

1.モノトーン。絵筆は、心と共に折れて。

 花畑が二階から落ちてきた。



 なんてな。

 と中庭の芝生の上で、僕は静かにそう呟いた。


「やや語呂が悪いが……それはアレか、伊坂幸太郎の『重力ピエロ』のもじりか。あれは名作だった、俺もその冒頭は大好きだ」

 すかさず言うのは甲斐龍之介だ。漱石狂を自称するだけあり、こと文学の話となると直ぐに食い付いてくる。


「成程確かに、ピッタリな出来事だったな。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ」

「あぁ、そうだよな」

 昨日の雨雲はどこへやら、昼の有ヶ峰高校は雲ひとつない快晴であった。


 (とび)が一羽、青空を(まわ)る。

 それを指でぐるぐると追い掛けながら、僕は言った。


「――なんかあの絵が、忘れられなくてさ」

「ほう」

 もぐもぐとコンビニ弁当を口に頬張りながら、龍之介は横目で僕を見る。190近い背丈の上に、一般的にはイケメンと呼ばれるであろう端正な顔立ちの好青年ではあるのだが、やはり睨んでいるような鋭い目のせいで総合的には随分と威圧感がある。


「ちょっと暗い雰囲気だったけど、すげえ綺麗な絵だったよな」

「ふむ。芸術には明るくないが、素人目から見れば確かに上手く見えたな」

「だろ? なのになんで二階から投げ捨てるような真似をしたんだろうって思ってさ」

「事故だろうと、昨日の波瑠は言っていたが」

 重力ピエロの話とは打って変わって、途端に龍之介の口数が減る。無表情な癖に感情のわかりやすい男だ、と内心苦笑しながら僕は続けた。


「確かに昨日はそう思ったんだけどさ、改めて考えてみりゃ普通あんな所から絵は落ちないだろ」

「分からんぞ。スケッチしていて誤って落としたのかもしれん」

「いやいや、どう考えてもあの位置から花畑は見えねえよ」

「だったら絵の具を乾かすのに干そうとして、手が滑ったとかそんなとこじゃないか」

 そうだろうか。結果的に晴れたとはいえ、天気予報では今日は朝から雨と言っていた。下校時刻間近のあのタイミングで絵を干すとは到底思えないのだが。


「もしくは俺の見立て通り、お前の暗殺目的だったかな」

「馬鹿言え」

 相談役……もとい愚痴聞き係として、僕は去年一年だけでもそれなりには有高の人間に貢献してきたつもりである。感謝されこそすれ、恨まれる(いわ)れなどないはずだ。


「そのうち文化祭だってある訳だし。掲示しときゃ、きっといい評判を貰えただろうに勿体無い――」


「――そんな訳ありません」


 瞬間、がばりと体が反射的に跳ね起きた。


 僕に応えたその声が龍之介のそれとは全く違う、鈴とすら聴き紛うものであったからだ。


「なっ……」

 そこに立っていたのは、少女であった。

 ボブヘアーの髪は両目すら隠しつつ、毛先で軽くカールしておりその艶やかな黒はセーラー服の白に美しく映えている。一方でその袖や紺のスカートから伸びる白い肌は、やや病弱な印象すら受けるほどまでに透き通っていた。


「……誰だ?」

「二年C組の甲斐龍之介さんですよね。はじめまして」

 気弱な人間なら尻尾を巻いて逃げ出しそうな、龍之介の鋭い目と声にも彼女は物怖じすること無く答える。

 それから彼女は僕に視線を移して、こう言った。


「それから、そちらの方。A組の三世院波瑠さん。昨日はすみませんでした」

「き、君は……」

 驚きの感情を浮かべたまま、僕は凍りつく。



 昨日、()()()()()()()()()()()()()



「あの絵の……!」

「二年F組の伊藤沙亜菜(いとうさあな)です。危ない目に遭わせてしまって、本当にごめんなさい」

 彼女はゆっくりと頭を下げる。

 思わぬ展開に僕が戸惑っていると、その横で龍之介が使い終えた割り箸を折りながら呟いた。


「伊藤……波瑠よ、確か『オーデュボンの祈り』の主人公もそんな苗字だったな」

「龍之介、頼むから空気を読んでくれ」

 伊坂幸太郎の話はもういい、と僕は慌てて静止する。だが龍之介は俺を無視して続けた。


「それはそうとお前、どうして絵を落とした? 丁度その話を波瑠としていた所でな」

「それは……」

 ふっ、と彼女の顔に陰が差す。だがそれは高圧的な龍之介に臆した訳ではなく、どうやら問いそのものが答え辛いようであった。


 訪れる、しばしの沈黙。


「手が、滑ったから」

「嘘だな」

 彼のバリトンはよく通る。

 決して大きくはないその声は、しかし凄みにも似た迫力があった。


「……嘘じゃありません。さっき、あなただってそう言っていたじゃないですか」

「そんなところから聞いていたのか。だがな、俺が嘘と断じたのは内容が理由ではない」

 龍之介は皮肉げに口角を上げ、半ば芝居がかった態度で己の喉元に親指を当てた。


「――お前、随分と嘘が下手だな。先程から声が震えっぱなしだ」

「……」

 慌てたように彼女は顔を背ける。それを好機を言わんばかりに、龍之介は急かすような口調で言った。


「さて、改めて問う。理由は?」

「……」

「本当の理由を話せと言っている。絵を落として、それでもって、慌ててあの場から逃げ出した理由を――」

「――うるさい!!!!」

 ピリリ、空気が裂ける。

 その時垣間見えた彼女の感情は、怒りのようでありながら、どこか強い悲しみを孕んでいるように感じられた。


 一瞬見える、叫んだことを後悔するように歪む口元。

 それは彼女がそっぽを向いたことで、僕達からは見えなくなった。


「……うるさい。私の悩みなんて何も、知らないくせに」

「……」

 今度は龍之介が黙る。とは言っても、彼女の声に怯んだ訳ではないらしい。

 ただ、まるでここからはお前の役目だと言わんばかりに龍之介は僕の方を見ていて――



 ……僕?



 自分の胸に指を向け確認すると、龍之介は肯定するように薄く笑う。


 僕は刹那、彼女の言葉を反芻して――



『私の悩みなんて、何も知らないくせに』


 ――そして、理解してしまった。


 全く、無茶苦茶だ。

 無茶苦茶過ぎて、笑いすら込み上げてくる。


「……伊藤さん」

「なに」

 随分と怒らせてしまったようだ。彼女は鋭い声で僕を牽制する。


「確かに、あなたの事情は何も知りません」


 僕は、精一杯慣れない笑顔で言った。

 龍之介の放り投げるような乱暴なバトンパスを、せめて優しく受け取ることにしたのだ。


「だから、僕に教えてくれませんかね?」


 **


 放課後の寒さは、いつの間にか夏を感じさせる涼しさに変わっている。


 扉を開けるとがらんとした部屋には伊藤さんただ一人が座っていた。


「電気、点けますね」

「どうぞ」

 パチンパチン、と中指でボタンを弾く。数度の点滅の後、彼女の表情を僕はようやく認めた。


 だが感情は読めない。

 正直、伊藤さんが僕の提案に乗ったこと自体が意外であった。尋ねておいてなんだが、嘘をついてまで隠したがった秘密をこうも簡単に教えて貰えることになるとは思わなかったのだ。


「相談役の噂は、本当だったんですね」

「うん、まぁね。ちなみに龍之介は相談には参加しないから安心していいよ」

 冗談交じりに曖昧な笑みを浮かべると、彼女はややほっとした表情をする。僕は彼女と机を挟んだ位置に座り、それから少しだけ気取ったセリフを吐いた。


「じゃ、始めよう。いつでもどうぞ」

「……」

 返事はない。

 だけど僕からも話し掛けることは無い。


 彼女はたぶん、目を(つぶ)った。前髪に隠れて見えなかったけれど、それでも僕はそう直感した。

 それはまるで眠りにつくかのように落ち着いていて。

 だけど同時に、内から湧き上がる感情を押し留めているようにも見えた。


 二度、三度。呼吸と共に、セーラー服のリボンが上下する。


 四度目で、それはようやく音になった。


「……私、絵を辞めようと思うんです」

「へぇ」

 僕は努めて、感情を押し殺す。

 驚きの感情も、勿体ないという感想も。今はまだ胸の内に隠す。


「私、絵がずっと好きだったんです。子供の頃から画塾にも通わせてもらって、沢山描いて」

「うん」

「――なのに私、一度も賞を貰えたことがないんです」

 声が湿る。

 僕への罪悪感か、或いは龍之介とのやり取りの反動か。あの時の(かたく)なさが嘘のように、彼女はその感情を溢れさせていた。


「分かってるんです、自分に才能が無いことくらい。頭では分かってるんです」

 でも、と彼女は続ける。


「でも、どうしても認められなくて。そんな自分が大嫌いで。いつしか、大好きだったはずの絵までもが憎くなって」

 それで、衝動的に絵を捨てたということか。俺は窓へ目を遣る。


 昇降口の真上に位置する、小さな美術室。

 僕達はそこに居る。生乾きの絵の具の独特な匂いが、鼻腔を柔く撫でていた。


「……これ以上絵を嫌いになりたくないのに、それでもどこかで諦めきれない自分がいて」



 開いた窓から流れる風が、凪ぐ。




「だから、波瑠さん」

 その声に涙は無い。

 代わりに覚悟が宿っていた。



 ――僕に来る相談の九割は、吐き出すことが目的の愚痴である。




 して、残る一割は。


「私を、諦めさせてください」



 聞き流すことなど許されない、叫びと呼ぶには余りにか細すぎる悲鳴だ。

ポケモンではサーナイトが好きなのですが、この子の見た目はどっちかってっとラルトスですね。

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