二話
異界への入口を発見した後、黒須はその詳細と依頼の完了を報告するために警察に行った。これでもう警察が無駄な捜索をすることはないだろう。
それにしても、何も知らない一般の警察官には何と説明しているのだろうか?ちょっと気になるので今度黒須に聞いてみることにしよう。
そして俺は、事務所に帰って異界に行くための準備を始めた。
事務所の一番奥には俺の寝室がある。ベッド、テレビ、本棚、机とイスぐらいしか家具はないが、本や衣類は割と多い。俺は片付けが苦手なので、当然の如く散らかっている。
黒須が見たら目を背けるような状態でも、俺には慣れたものだ・・・だが自室の扉を開けた瞬間、俺は絶句した。
これは、ひどい。
もはや散らかってるとかそういうレベルの次元じゃない。俺の部屋に局地的なハリケーンでも上陸したのか?とか真剣に思った。
本棚が倒れて本が散乱している。イスどころか机が転がってる。蒲団が無残にも切り裂かれている。テレビが台から落ちて横倒しに・・・あれ?画面割れてねえか?
しばらく呆然としていたが、ベッドの下で何やら震えているものを発見して我に返った。
どうにも身覚えがある物のようなのでベッドに近づいて、その前に座ってみた。ベッドの下にいる物体はさらに震えを大きくし、縮こまっているようだ。
「何か言うことは?」
俺はニッコリと笑って言った。それも究極に優しい声で。
だがベッドの下にいる物体は、それが最も危険な兆候であると知っているので震えを増すばかりだ。しかも奥の壁に頭を押し付けているのか、ミシミシと妙な音がしている。
いかん、言葉攻めする余裕はなさそうだ。壁に穴が開いてしまうかもしれない。
とりあえず俺はこいつの片足をひっつかみ、割と乱暴に引きずり出した。
「きゃん!きゃん!」
「暴れるなよ?今度はベッドを破壊して、これ以上俺を怒らせたいのか?」
慌ててベッドの下にハウスしようとするクソでかい毛の塊を、俺は両腕できつく締め上げて拘束する。
そうすると、毛の塊は諦めたのか俺の言葉が聞いたのかおとなしくなって、潤んだ目でこっちを見てきた。しかも切なげにクーンとか鳴いてくる。
それに対する俺の返答は、小揺るぎもしない満面の笑みだった。俺がこの顔で何年通してきたと思ってる?片腹痛いわ。それに俺は猫派だ。
このデカ犬の名前はシロ。俺の飼い犬にして、魔犬の一種だ。
以前俺がある異世界で調査をしていた時、この犬はなぜだか俺に懐き、付いてきてしまった。
その時の黒須の顔といったら思い出すだけで床を笑い転げまわれるほどのものだったが、当時はとてもそんなことができる状況ではなかった。俺の役目とは要するに、この世と異世界が関わらない状態にすることだ。その俺が異分子である魔犬を連れてくるなんて論外もいいとで、あやうく解雇されるところだった。
いろいろと思い出してみると余計に腹が立ってきたので、シロの頬か首のあたりの皮を摘んで引っ張ってみた。
おお、案外よく伸びるんだな。ちょっと感心してしまった。
しかも変な顔のくせになぜか癒される。
その後結局、シロに危険はないこと(魔犬は主人の命令に絶対服従らしい)、異界で誰かを探す上で実に有能であることを理由に、特例として俺がシロを所有することが認められた。
シロは普段ただの大型犬にしか見えないが、本来の姿は俺を軽々と乗せれるくらいの巨体であり、その爪と牙は岩すら砕けるのではないかと思えるほど力強い。
その移動能力と戦闘力は、もはや俺にとってなくてはならないものだ。異界では危険な生物や人間に遭遇することが珍しくない。
しかたない。今日のところは変な癒し顔と過去の功績に免じて許してやろう。
それにしてもなんでこんなに散らかしたのやら・・・。「散らかすな」と言っておいたはずなのに。
頬の皮を引っ張るのをやめて頭をなでてやると、俺が許したことが分かったのか目を細めて気持ちよさそうにしている。
ふとシロの足元に目をやると、そこにはでかいネズミが転がっていた。もしかしてこれを捕まえようとしたために部屋がこんな有様になったのだろうか。猫じゃあるまいし・・・。
そう思ってから気がついたが、俺はシロに「俺が留守の間、侵入者がいたら撃退しろ」と言ってある。もちろん優先事項で。
・・・なんだか叱ったのがちょっと申し訳ないような気がしたが、俺のせいなのか?
部屋を最低限片づけた後、俺は異界へ行くための準備をし始めた。基本的に待っていくものは、武器、食糧、身分証だ。身分証は、神隠しの被害者に俺がこちらの世界から来た人間であること、連れ戻しに来た事を証明するものだ。(信じるかどうかは結局その人次第だが)武器はもちろん護身用で、黒須から渡された小型の銃と匕首、刀である。
ほとんどの『異界』は、こちらの世界ほど文明が発達していない。そのかわり、いわゆる魔法といえるものがあったり、魔物のような生き物がいたりする。
銃は知らなければ武器に見えないという点で便利だ。万が一誰かに捕まっても、取り上げられる可能性が低い。
匕首や刀は、俺には分からないが何らかのお清めが施されているらしい。意外にもこれが異界の魔物に効いたりするのだ。
何百年も昔は異界とこの世を隔てる壁が薄く、多くの国に影響を与えていたらしい。つまり今この世に残っているお祓いや魔術は、もともと異界の魔物に効果のあるように作られたということだ。
当然、神話や伝説にも異界が関わっていることが多い。以前俺は異界で、ケンタウロスとしか思えない生き物を見たことがある。
服装はスーツだ。もっと動きやすいものにしろとさんざん黒須に言われたが、これは譲るつもりはない。こちらの世界の人間だとすぐに分かるからという理由もあるが、スーツの内側に銃を仕込むのは探偵のロマンだと俺は思う。そんな探偵は普通いないが。
「さて、そろそろ行くか」
部屋の片づけで思わぬ時間を食ってしまった。携帯で黒須に迎えに来るよう連絡する。(武器の所持を見咎められたら面倒なので距離が近くても車だ)
黒須と共に現場に行くと、道はすでに封鎖され、一般人は立ち入れなくなっていた。そんな中を俺と、黒須と、シロが進んでいく。
常に笑顔の俺と、仏頂面の黒須と、犬。
はたから見ればさぞ奇妙な光景だろうなと思って笑ってしまう。まあ、最初から笑っているのだが。
見つけておいた異界への『門』の前で、俺は立ち止まった。
「じゃあ、行ってきます。」
「幸運を、祈る」
短い別れの挨拶を済まして、俺とシロはこの世から消えた。