“4”の記憶倉庫 その二
小学校よりも広くなった教室と、大きくなった机。当然そこに座る子どもも大きくなっている。
予想の通り、次の舞台は中学校。
そしてその光景を見た瞬間、やっぱり僕は身体がぶるりと震えた気がするのだった。
「よし、次。」
「四ツ谷健佑です。小学生の頃はディフェンスをしていました。」
中学校は近くの小学校の二つがくっついたようなもの。
小学校の延長で入ったサッカー部も、部員は小学校からの連れが過半数でなかなか楽しくやっていた。
……楽しくやっていた。本当にそうだっけ?
そう思ったのとほぼ同時、場面が切り替わる。
「ちょっ、ほんと、やめ、」
「ははははは、コイツおっもしれー。」
切り替わった部室裏の場面に現れたのは中学生になって少し大きくなった僕と、そんな僕をからかう男。
いや、からかうなんて言葉では生易しい。
制汗スプレーとライターで作った即席の火炎放射器で追い回される中学生の僕は、ひどく惨めな姿をしていた。
そうか、そうだ、思い出した。
この男は、人生の中で忘れもしないと思っていた男。そんなことすらも、僕は忘れてしまっていたのか。
サッカー部員の中で西小、つまりオレとは違う小学校から入学したヤツに少し、いや、あからさまな不良がサッカー部にいた。
名前はそう、秋田小太郎。
アイツは最初から騒がしかったけれど、一学期まではまだおとなしい方だった。
中学一年生の二学期、オレは品定めをしていたのか本性を現し始めた小太郎のイジメの標的となった。
「退屈だから、なんとなく。まあおまえ面白い反応するし。」
勇気を振り絞って何故こんなことをするのかと尋ねたことがある。
その答えがこれだ。あらためて聞いてもなんて馬鹿馬鹿しいものなのだろう。
「イジメる方も悪いがイジメられる方も悪い」だなんて最初に言ったヤツは何を考えていたんだ。心底腹が立つ。
「ははは、やっぱり笑える。」
ある時は部室で着替えている最中に外に追いやられ、中に入れなくさせられる。
またある時は不良お得意の犯罪技術で放置自転車のカギ一式を盗み、僕の鞄を部室の柱に繋いでロックをかけられる。
先の場面にあったように、ヤバい時は即席火炎放射器で追いかけられるような命に関わるシャレにならないコトなど、イジメのパターンは多種多様だった。
心を許した親友と呼べるようなハズだった友だちも、いつしか僕を避けるようになった。
どんなに優しいヤツでもオレと「普通に接する」だけ。イジメに対しては見てみぬふり。
なんだか失望されるような気がして親には言えないし、教師は気づいていないのか気いていないふりをしているのか何もしてくれない。
「僕がいったい何をしたっていうんだ……」
そうだった。そして家族の誰にも知られないように、風呂の中で泣くことが多くなっていったんだ。
僕には友だちが何を意味するかわからなくなっていた。
僕は人とどう関わればいいのかわからなくなっていた。
強く「止めろ」と言えなかった僕が悪いのかもしれない。
だけど当時の弱い僕は報復が怖くて強くは言えなかったし、ただただ「いつか飽きるだろう」と淡い期待を抱いて日々を過ごすだけだった。
けれどその日々にはいっこうに終わりが来ない。
「先生すいません。今日でサッカー部、辞めさせてもらいます。」
場面が切り替わる。これは二年生の二学期。
今にして考えればよくぞ一年間も耐えたものだ。
部活が終わってから一人職員室に行き、顧問の石橋先生にそう伝えた時の場面。
ここまで来ればこの後のことは、流石に思い出せる。
「なんでだ?」
石橋先生は、いや、石橋は驚いたようにそう言ったのだった。
「なんで」だと?ふざけるな、おまえが気づかないからこんなことになったんだろうが。
そもそもおまえは本当に気付いていないのか?
問題になるのが面倒でごまかしているだけじゃあないのか?
そんな本音を抑え、僕は言うのだ。
「サッカーの他に、やりたいことがあるんです。」
もちろん嘘。
やりたいことなど何もない。
「そうか。今までお疲れさま。」
数秒後にあっさりとそう返事が返ってきた時、僕は無性にやるせなさを感じた。
そして家に帰って親にも同じことを言った。
あっさりと納得した親。追及されなかったことに安心するも、気付いてくれないことに少なからず落胆する。
そしてその後の中学校生活は、勉強して、小説や漫画を読んで、また勉強して、また小説や漫画を読んで。
閉じた世界で、閉じたままの生活を送って高校へとステージを移していくのだった。