En37033世界 ヒューマンドーム 【逃走】
偵察からさらに一週間後。
ヒューマンドームの外、遠くから雄たけびのような、響くような声が聞こえた。
その声はおそらく敵性侵略体のものであろうということは容易に想像がついたが、その意図は不明。
人々の中に不安が渦巻く中、ヒューマンドーム内では警戒態勢が敷かれていた。
「僕たちをもう一度、偵察として向かわせてください。」
その中でいち早く動いたのは僕とアイ。
理由は簡単。僕たち二人だけにしか予想のつかない、響く声の思い当たる理由があるから。
おそらく敵性侵略体は、あの別種の化け物との戦争に勝利したのだろう。
あの声は勝利の雄たけびだと考えれば、納得がいった。
「その理由は?」
「……言えません。」
もしも僕たちの予想が正しければ、近日中に敵性侵略体はヒューマンドームへと攻め込んでくるだろう。
ヒューマンドームはもう、沈むことの決まっている泥船のようなものだ。
一刻も早く、ここから逃げ出さなければならない。
だが、ソネムラ司令官を納得させるだけの真っ当な理由がない。
「君たちには、前回の遠征で報告していないことがありますね。」
「っ!」
不意に核心を突かれ、アイが動揺する。
全てを見透かしたような目でありながら、しかし咎めるような色は含まれない。
「いいでしょう。許可します。
きっと、できる限り早くがいいのでしょう。
なんなら、今からでも出ますか?」
「はい。そうさせていただけると助かります。
……何も聞かないんですか。」
「聞きませんよ。分かっていますから。」
ありがとうございます。
ふっと、疲れたような笑みを見せた司令官に礼を伝えてから、僕らはその場を後にする。
「……ヒューマンドームでの生活がいつまでも続かないこと、最初から分かっていたってことなんですかね。」
「あくまでも可能性として考えていたのか、それとも実情を正確に把握していたのかは分からないけれど、そういうことなんだろうね。」
夕方。ヒューマンドーム外。灰色と茶色の機体が二つ。
司令官は、すでに人類の辿る道が見えていたのだろう。
それでも腐ることなく狂うことなく、ヒューマンドーム内の残された人々に絶望を与えないように、さも希望があるかのように振る舞っていたのだとしたら。
ソネムラ司令官という男は強く、そして悲しい人物だ。
「さて、アイ。このまま僕たちは滞在猶予期間が切れるまで逃げ続ければいいと思っていたわけだけど。」
「はい、先生。
どうも、そう簡単には行かせてくれないみたいですね。」
どういう経緯かは分からない。
分からないが、僕らの前には黒い機体が立ちふさがっていた。
「……貴様らの思惑は分からん。
ただ、よからぬことを考えているのだろうということは分かる。
言い分があれば聞こう。無ければここで切る。」
転生者キムラトウジ。
最後の障壁を前に、僕たちは無言で構える。
「よしわかった。
貴様らは俺の人生のやり直しにとって、ただの障害だ。今ここで死ね。」
黒色の機体が、振動剣を起動させた。
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「どうしたブラウン、防戦一方か!!」
ブラックと相対するのは茶色の機体。
機会を伺うように、間合いの外で構えるのが灰色の機体だ。
振動剣は一撃必殺。
防御する術はなく、また技量が相手の方が上である以上、こちらは全身全霊をもって避け続けるしかない。
「無様だなグレイ!貴様はそこでブラウンが切られるのを、ただ黙って見ているがいい!」
二対一とはいえ決して有利ではなく、むしろ分が悪いことは自分たちがよく分かっている。
星屑はロボットではなく、あくまでもパワードスーツ。
敵の攻撃を避けることだけに神経を使えば、それはかろうじて不可能ではないが、おそらくいつか限界が来る。
特にアイはともかく僕の実力はブラックには遠く及ばず、ブラックと直接相対するには実力が不足している。
いつか限界を迎える前にこちらが攻勢に出なければならないが、下手に攻勢に出ればその瞬間にこちらが真っ二つだろう。
「!!」
一瞬の隙。
それを突いたのは僕たちの方ではなく、ブラックの方だった。
振動剣をかろうじて避けた茶色の機体は無様にも膝をつき、無防備な体制で黒い機体を見上げる。
「死ね。」
そして振り下ろされた振動剣は、ブラウンを両断するはずだった。
おそらくキムラトウジは勝ち誇った顔をしていたのだろう。
しかし実際に両断されたのは黒い機体、キムラトウジの機体だった。
「は?」
たったの一言、いや、一文字。それが彼の最期の言葉。
なんともあっけない最期の言葉を残して、上下に分かれた体は機体ごとその場に崩れ落ちる。
「うまくいきましたね。」
「うん、惚れ惚れするほどの一刀両断だったよ。」
僕に向かって、「灰色の機体から」アイの声が聞こえる。
簡単な話だ。
対敵性侵略体兵器【星屑】は、量産品。
全ての機体が同じ性能であり、判別のためにそれぞれの機体をカラーリングをしている。
つまり僕でも茶色の機体に乗れるし、アイも灰色の機体に乗ることができる。
なんてことはない、万が一のためにあらかじめ搭乗者を逆にしておき、戦闘に向いていない僕に見せかけたアイが、キムラトウジの不意を突いた。
戦闘に難のある僕ならば、あの距離・あの状況での介入は不可能だろうと彼は判断したのだろう。
その判断は正しい。
正しいが、実際にはまんまと僕らの策にはまってしまった。それだけ。
「しかし避け続けるだけにもかかわらず、案の定一分ももたなかった自分が情けないな。」
「結果がすべてだと教えてくれたのは先生じゃないですか。」
転生者を屠り、アイは軽口をたたく。
無理をしていることはすぐに分かったが、それ以上追及する気は無かった。
「……あ、あの群れ。」
「やっぱり、来たんだね。」
逃げ出すタイミングが良かったのか悪かったのか、沈む夕日をバックに、遠目に敵性侵略体の大群が視認できた。
ただでさえ勝ち目のない戦いに、主力であるブラックを抜いた人類は、もはや蹂躙されるのみであろう。
そしてあの場に暮らす人々の命は、一つとして助かることはないはずだ。
「行こう、アイ。」
「……はい。」
襲われるヒューマンドームを背にして。
すなわちこの世界の人類を見殺しにして。
僕たちはただただ、この世界の残りの時間を逃げ回った。