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44話 誘惑

 


「お願い、私の気持ちを受け止めてくださらないかしら?」


 ジェニファー・ルイスはイザークに美しい顔でこう迫った。




 ・・・




 ジェニファーは来客室でそっと自身の口紅をソファの隙間に隠した。ある考えがあったのだ。



 彼女は人間界では人気ナンバーワン、歌唱力と演技力があり美しいと評判の女優だ。子役のころから芸能の世界に身を置き周りからは可愛いね、美しいねと言われ育ってきた。

 気になるブランドの新商品は全て発売前に手にすることができる。予約困難なレストランもジェニファーの名前を出すと予約がなくても食事ができる。共演俳優も少し甘い言葉をかけるだけでなびいてくれる。何不自由なく欲しいものは手にしてきた。

 しかし、だんだんと周りからは女優としては最高だけれども、人としては最低の女性だなどと噂され最近では人気俳優のNGリストにジェニファーの名前が入っているなんて噂まで聞こえてきた。


「信じられない!私と共演できて、しかも一夜を過ごせるなんてありがたいと思って欲しいわ!」


 楽屋に入り一人になるなり彼女はゴシップ紙を破り捨てた!「私は人気ナンバーワン女優よ!バカにしないで!」心の中で何度もそう叫んだ。

 ソファに座りタバコに火をつけゆっくりと煙を吸い込む。何とかしてこの噂を揉み消し"ジェニファーはやはり素晴らしい女優だ!"と認めさせなくては…。そう考えていたジェニファーに一つの考えが浮かんだ。

 今度魔界で公演する人気舞台のポスターを見上げた。


「人間界でなく魔界でならまだまだ私の活躍の余地はあるわよね…」


 タバコの火を消すと嬉しそうに一人で笑い、ご機嫌な様子で衣装に着替え始めた。




 魔界での公演を前にジェニファーはあらゆる魔界の芸能情報を取り寄せた。今度公演する舞台は魔界でも一番大きいとされている劇場で行われる。ならば人気の舞台監督や俳優も見に来るだろう。ここで大きな成功を収めれば魔界での仕事の懸け橋になるはずだ。国外での成功をものにすれば人間界での女優としての地位は確固たるものとなるはず。

 そのためには有力なパトロンを捕まえておきたい!ジェニファーは興行主に問い合わせて特別に招待される有名な芸能関係者や貴族の名前が書かれたリストを指でなぞって考えていた。


「公演初日に来る有名監督と食事の予定を取り付けてもらって…、この人気俳優は楽屋に招待すればいいわね…あとは貴族の誰かをホテルにでも招待して」


 すると、リストに載っていたある名前のところで指が止まり口元に怪しげな笑みをこぼした。


「確か、魔界の王様はまだ独身だったわよね」



 ・・・



「あら、口紅を落としたみたいですわ」


 適当な言い訳をつくってジェニファーは急いで来客室へ引き返し、引き留められないよう急いで離れた。

 角を曲がったところで走り出し、先ほどまで通されていた来客室の扉を開ける。

すると魔界の王であるイザークが彼女の口紅を手にしながら足を組みソファに座っていた。


「お忘れ物ですか?」


「ええ、気づいてくださっていたのですね。ありがとうございます」


 ジェニファーは急いで部屋に入ると扉を閉めこっそりと鍵をかけた。イザークは口紅を持ったまま立ち上がりジェニファーへ近づくと金色のケースに入った口紅を差しだした。


 ───と、ジェニファーはイザークの手を両手でとり瞳を潤ませうっとりとした表情で口を開いた。


「お願い、私の気持ちを受け止めてくださらないかしら?」


「どのような?」


 二人は見つめあう。イザークが何を考えているのかその表情は女優であるジェニファーにも読み取れない。しかし、こうやってジェニファーに迫られて落ちなかった男はいないのだ。ここぞとばかりにジェニファーは渾身の演技で追い込む。


「公演で一目見てからお慕いしておりました…。婚約者様がいらっしゃるのは百も承知です。こっそりでいいですから、私も可愛がってくださらないかしら?」


 この魔界で一番のパトロンを手に入れたいと考えたジェニファーは独身であるイザークに目を付けたのだった。もちろんジェニファーは本気ではない。愛人として側に置いてくれたらそれだけで強力な後ろ盾を手にすることができるのだ。魔族の男と付き合ったことはないがどうせ人間の男と同じでこうやっていい女に言い寄られたらすぐになびくだろうとも思った。


「貴女の視線には気づいていましたよ。チョコレートも…」


「嫌だ、分かっていて召し上がらなかったの?あの一粒は特別に気分を高揚させるものなの。イザーク様も一口食べたらもっと私の虜になってくれるはずですわ…」


 切札はまだある。バッグの中に例のチョコレートが一粒忍ばせてある。「楽しみましょう」言いながらジェニファーはイザークをじりじりとソファまで追い込むと、ぐっとつま先立ちになりイザークの唇に自身の唇を近づけた。





「イザーク!?」





 バンッ!!!と来客室のドアが魔法により無理やりこじ開けられた!

 あけ放たれた部屋で目にしたのはジェニファーの首を掴み、凍った表情でソファに押し付けるイザークの姿だった。


「王に媚薬を盛ろうなど大した度胸だな?それなりの覚悟はできているんだろうな?」


 静かに、でも大きな怒りを秘めた言葉を放つとジェニファーは事の重大さに気づいたのか顔が真っ青になった。来客室に続く隣の部屋の扉から騎士が入ってきてジェニファーを捕らえた。顔面蒼白のジェニファーに向かって「忘れ物だ」と口紅を投げ捨てるとジェニファーは立っていられなくなったのかその場で座り込み騎士にひきずられるようにして連行されてしまった。




「え、あの…何が起こったの?」


 事態がのみこめず立ちすくむ私を見るとイザークはぱっと笑顔を取り戻した。


「どうした?あぁ、ドアまで壊して」


「えっと…あの ジェニファーさんがおかしな様子だったから、イザークは大丈夫かなぁ?と思って」


 イザークは壊れたドアを閉めるが蝶番が壊れていてグラグラとしておりきちんと閉まらりきらない。これは完璧にやってしまった…。


「俺があんな女に誘惑されると思ったか?」


「そ…そんなことっ」


 少し心配していました。なんて言えるはずがない。固まる私の首に顔を近づけるとイザークは頬をぴったりと寄せて深呼吸した。


「あの女は香水臭くて鼻が曲がるかと思った。俺にはコトネの香りが一番だ。絡み付くような視線も気持ち悪かったしな」


 普段香水など付けていないのでシャンプーの香りを言っているのかと思ったけれど、そういえば私もイザークに抱き締められた時の何とも言い難い香りは大好きだ。と思い自分からもフェロモンなるものが出ているのかと恥ずかしくなった。イザークはそのまま首筋に舌を這わせる。


「───っん」


 いつも以上に心臓は早鐘を打ち、波打つ血液は沸騰しそうなほど熱い!


「あの女がコトネの食べたチョコに媚薬を仕込んだんだってさ。まぁ、お遊び程度のものだから大丈夫だろうが何か体に変わったことはあるか?」


 笑いながらイザークは私の顔をのぞきこみ顎に添えた手でゆっくりと唇をなぞる。ウォッカを飲んだみたいに胸が熱く喉がカッとする。


 どうやら今日の朝とある信頼できる情報筋から"ジェニファー・ルイスのチョコレートには気を付けろ"と連絡が入ったらしい。彼女がパトロンを得る為のお得意の手段だそうだ。




「コトネー?」



 廊下からはユリアーナが私を探して追いかけてきてくれる声がした。イザークは「そうだった」とユリアーナの存在を思い出したのか一度軽く口づけをするとドアを開け「さぁ、行こうか」と爽やかな笑顔で廊下に出た。


 ユリアーナがいるのに動悸はおさまりそうにない。


「…もうっ!!!イザークのいじわる」

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