35話 忍び寄る暗殺者
映画を見ていた施設から職場のある駅に着いた頃には18時になろうとしていた。
商業ビルが立ち並ぶ街の一角は早めに年末の休みをとっている人もいるのか時間のわりには随分と閑散としている。
営業所の入るビルを外から眺めると、ほかの階に電気はついていなくて7階のフロアのみが明るい。
「多分そんなに時間はかからないと思うんだけど、寒いから近くのカフェにいる?」
「いや、コトネから離れることはしないよ。なるべく近くで待ってる」
一応職場はカードキーがないと入れないしエレベーターホールには監視カメラがついている。
念のためイザークには会社の外で待っていてもらうことにした。寒いので首に巻いていたマフラーをイザークに渡して急いで職場のあるフロアへエレベーターで向かう。
鍵をあけフロアに入ると電気はついていたけれど誰もいなかった。ホワイトボードを確認すると年末のあいさつ回りがあるからなのか営業さん達は皆、直帰の文字が書いてある。
神田さんのデスクはパソコンの電源は入っているしマグカップも置いたままになっているが誰もいない。お手洗いかな・・・?
きっと書類作成が終わらなくてパソコンに向かっているとばかり思っていたのでちょっと拍子抜けしてしまった。「実はさっき終わったばかりです!」なんて言ってもらえたらいいのだけれど。
そう思いながら奥の応接室やロッカーへ続く廊下のドアを開けると応接室の扉から光が漏れテレビの音がしている。
「神田さん?入るわよ」
ノックをして応接室へ入ると神田さんは立ち上がったままリモコンを手に持ちテレビ画面を見ていた。
「どうしたの?仕事が終わらないって言うから慌てて来たけど・・・終わったところだった?」
神田さんはこちらを振り返るが、何も言わずテレビ画面を消すとこちらに歩いてくる。いつもなら「桜井さん!」と元気よく返事を返してくれるのに何だか今日はおかしい。雰囲気がまるで違う。
「・・・やっと来たな、待ってたぞ」
神田さんは私の前で立ち止まると一言そう言放ち、いきなり両手を私の首めがけて伸ばしてきた!
「!?」
体が壁に勢いよく押し付けられる。強くぶつけた後頭部がジンジン痛かったけれど、それよりも何が起こっているのか分からずただ目を大きく開けていた。
神田さんの両手は私の首を強く締めつける。手を伸ばして神田さんの手を振りほどこうとするけれど強い力に手を引き離すこともできない!苦しくて声も出ない。あまりにも強い力に意識が朦朧としてくる。
苦しい!!やめて!
そう心の中で叫んだ瞬間!私と神田さんの間に強い風が起こり、神田さんの体が大きく後ろに飛ばされソファに投げ出された!
首が痛いのと、苦しさで目には涙たまっている。何が起こったのかわからなかったけれど絶対におかしい!これは神田さんじゃない!
神田さんがソファから立ち上がる前に応接室のドアを閉め急いでエレベーターホールに駆け込んだ。幸いエレベーターは私が来た時のまま7階で止まっていたので急いでボタンを押すとエレベーターのドアがすぐに開く。事務所からガタガタと神田さんがこちらに来る音がするがドアは静かに閉まりエレベーターは降下する。
扉が閉まると足の力が抜けてその場に座り込んでしまった。
懸命に口を大きくあけて呼吸をし、涙をぬぐうと胸元が温かいことに気づいた。聖霊の雫石を取り出すと光っていた。先ほどの風は雫石のおかげだと分かったら急に守られている安心感で頭が冷静になった。
神田さんはあんなしゃべり方をしないし、どう考えても私の首を絞める手の力・・・尋常じゃないほど強かった。もしかしてこれが魔界から私を狙ってきた人なの!?
エレベーターが1階に着くと走ってビルを出た。私が慌ててビルから出て来る様子に驚いたのかイザークがすぐに駆け寄ってくる。
「どうした?そんなに慌てて」
「おかしい!急に首を絞められて・・・」
強く首を絞められていたからか喉がかすれてうまく声が出ない。イザークはすぐに私の首を確認する。
「痕がついてる!大丈夫か!?」
「雫石が神田さんを突き飛ばしてくれたから何とか逃げてこられたけど・・・」
話していると裏の非常階段からドンッと大きな音がしてこちらにカツカツとヒールの足音が近づいてくる。
「どこか人気がなくて広い場所はないか?」
「え・・・っと、右に曲がってしばらくすると大きな神社がある!そこなら」
言うとすぐにイザークは私を抱いて走り出す!
「ちょっ、イザーク」
「今のコトネの状況じゃ走れないだろ」
私の足は恐怖からか力が抜けてしまって逃げてくるので精いっぱいだったのがイザークにはバレバレだったようだ。
神社までの道のりは閑散としているから道は走りやすいが、後ろから神田さんが迫ってくるのが見える。
「イザーク、来たわ!」
イザークも十分に早いけれど神田さんもすごいスピードで追いかけてくる。普段は運動が苦手でエレベーター修理中は7階まで上がってくるのに何度も休憩をいれていた神田さんがだ。やっぱりありえない!絶対におかしい!
神社の門はすでに閉じられていたけれど垣根を飛び越え敷地内に入ると外灯が一つついているだけで人気はない。急いで手水舎の後ろに隠れる。
「イザーク、大丈夫?」
「問題ない!コトネは絶対に雫石を離すな」
再び雫石を服の中にしまって心の中で守って!と祈りイザークの手をぎゅっと握る。私たちを追いかけてくる足音も神社の敷地内に入り砂利を踏む音がした。
「どこだ!?出てこい!」
神田さんはそう大きく叫ぶ。イザークは私に動かないよう小声で命じると立ち上がって神田さんの前に出る。
「…なんだ、もう王が来てるってことは俺達の仲間は捕まって計画も全てバレてるってことか?」
「ああ、すでに把握してる。お前はルカでいいんだな?」
「そうだ。もうバレてるなら仕方無いな…俺は刺し違えてでもこの計画を成功させるぞ」
「そんなことはさせない!」
「どうするんだ?この女の体はいわば人質だ。こいつを失神でもさせない限り俺の魂は 離れないぞ。…この女は便利だよ、お前の婚約者の事を何でも知ってたからな」
神田さんの中にいるルカと呼ばれる人物は言いながら大きなサバイバルナイフを取り出した。
「王であっても容赦しないぞ!」
言うとルカはナイフをイザークに向けて走り出す!
イザークは手水舎の水の中に手を入れると小さく「頼む」とつぶやいた。すると、手水舎の水が大きくうねりルカに向かって鉄砲水のように勢いよく溢れ出した!
水はルカに勢いよくぶつかると動きを鈍らせた。
濡れた顔を手でぬぐった瞬間イザークの足がナイフを掴んだ手を蹴り上げる!
ナイフは手から離れて数メートル先に落ち、そのままルカの手を掴むと関節をひねり背中に回し体を地面に叩き付けた!
「今すぐに魔界へ帰れ!」
「そんな事ができるかっ!この世界に来た時点で覚悟はできてるんだ」
ルカは渾身の力でイザークを撥ね除けようとする。あまりの力に神田さんの体が傷つくのを恐れたのかイザークは掴んでいた腕を離し再び距離をとった。
「はっ、いくら聖霊の力が使えてもこの女が邪魔で傷つけられないだろう?」
「…そうだな、動きを止めさせてもらうよ」
言うや否や、イザークの足もとに撒かれた水がパキパキと氷り始めたと思ったらそのまま一直線にルカの方へ凄いスピードで広がっていく。
ルカは気づき後退しようとしたが辺りはまんべんなく水で濡れている。ルカ自身もそれは同じだ。
あっという間に左足の膝から下は氷に被われてルカの動きを封じてしまった。
「動かずに大人しくしてもらえていればお前の魂を魔界に返すなど容易い事だ」
イザークはルカに近づきながらも氷はさらにゆっくりと広がり右足にも広がろうとしている。
ルカは凄い形相でイザークを睨みつけている。足が封じられているにも関わらず挑戦的な目をしている。
その時、ルカは右手を振り上げ勢いよく地面に何かを放った!
瞬間、ボンッと小さな爆発がした。イザークは後ろによろけ、ルカは走りだし再びナイフを掴む。
「何も用意せずにこちらに来たと思ったか?しばらく前からこの女の体が寝ているときに準備をしてたんだ、油断したな!」
私のほうにまで火薬の匂いが漂ってきた。
何かを爆発させ氷から足を引き剥がしたルカの右足は負傷している。・・・といっても神田さんの足だ。流れ出る血を見ているだけで私が貧血になりそうだ。
イザークはルカのすぐ側まで迫っていたから同じように怪我をしてるはずだ。暗くて見えないが足を庇っているように見える。
私はこのまま隠れているだけでいいの!?
イザークが怪我をしているのに息をひそめて隠れてるしかないの!?
「女を殺す邪魔をするなら先に王を殺してからだ!」
そう叫ぶと再びナイフを振りかざす
「駄目!!!」
私は咄嗟に立ち上がった。
神田さんをこれ以上傷つけさせない!
イザークをこれ以上危険に晒さない!!!
やめて!! 心の中で強く、強く叫んだ!!
空から一筋の光がルカめがけて落ち私は体中燃えるような熱さとも痛さとも分からない何かに襲われて意識を失った。
消えゆく意識の中でイザークが「コトネ!」と叫ぶ声、遠くで人が騒いでいる声が聞こえた。
しゃべろうとするが自分の体がどこにあるのかわからない。意識はより深い闇の中に落ちていった。




