19話 夜会.2
人、人、人、と手のひらに指で書いてごくんと飲み込む。
こんな事をするのは小学校の学芸会以来だ。
「何をしているんだ?」
「えっとこれ、緊張しないおまじない」
そう言うとイザークの手のひらが目の前に差し出される。「俺も」と言うので同じように人の文字を3回書き、飲み込むふりをするように教える。
「イザークは緊張していないでしょ?」
「うーん、コトネが隣で緊張してるとうつりそうになるな」
「そうなの!?気を付けるわ」
ぽんぽん、と頭を優しくなでてくれる。
分厚い扉の向こう側には優雅な音楽が流れ沢山の人の気配がする。目を閉じて胸に手を当てゆっくりと深く深呼吸をしイザークを見上げる。優しく微笑むルビー色の瞳と目が合いふっと肩の力が抜ける。
すると音楽が止み扉がゆっくりと開かれた。イザークの腕に手をかけ会場へ足を踏み出す。
会場を歩くと皆の視線が私に注がれているのをひしひしと感じイザークの腕にかけた手に力がこもる。
イザークの存在だけを強く感じるよう神経を集中させて、目線を泳がせないように前だけ向いてゆっくりと。しかし堂々と歩いてみせる。
王座の前まで来ると会場全体が良く見渡せる。皆静かにイザークの言葉を待っている。
「本日はお忙しい中お越しいただき感謝しています。
今日は婚約者のコトネ・サクライを紹介させていただきます」
イザークに促され1歩前に踏み出すが足が震えそうになるのを我慢するので精一杯だ。
「はじめまして。紹介いただきましたコトネ・サクライです。以後お見知りおきをお願いします」
早口になっていないだろうか?声はきちんと出ているだろうか?ゆっくりとお辞儀をし姿勢を正すと会場中からわっと拍手がおこる。
イザークが続けて喋っているがもう頭がぼうっとしてまるで夢の中にいるような気持ちだ。
心臓の鼓動がやっと平常に戻った頃イザークの挨拶が終わり会場に再び音楽が大きく響いた。
「お疲れ様コトネ。まずは一曲踊っていただけますか?」
「はい、喜んで」
・・・
頑張って練習したおかげかダンスはイザークの足を踏む事なく躍り終えることができた。イザークのリードが上手なのもあって楽しいとさえ思えた!
その後はひたすら挨拶に訪れる人達の対応に追われていた。一言二言言葉をかわすだけでも招待客はとても多いのでもうどれくらい時間が経っただろうか?
「陛下、本日はお招きいただきありがとうございます」何十人目かの挨拶に来たのはユリアーナのご両親だった。お二人とも優しそうな笑顔が印象的だ。「先日も娘がお世話になりお邪魔になっていないか心配なのですが…」ユリアーナはお父さんの後で私に目配せし可愛らしい笑顔を見せてくれる。今日はゆっくり話せないのがとても残念だ。
「シュタイーヒ様、こちらこそユリアーナ様には私もお世話になり大変感謝しています。これからも変わらず仲良くしていただきたいですわ」
訪問客が多すぎて少ししか話はできなかったがユリアーナのご両親にはぜひお伝えしておきたかったのでひとまず満足する。
一通り挨拶し終えるとバルドさんとエーリアルさんがやってきた。
「コトネちゃん疲れちゃったでしょう?大丈夫?」
「コトネ、堅苦しい挨拶ばかりで疲れただろう。よくできていたよ」
イザークはそう言いながら私の頬を撫でる。
「では、バルドをここに置いていくからコトネちゃんをお化粧直しにお連れしてもよろしいかしらぁ?」
「まぁ、いいですが抜け出そうとか無茶なことはしないでくださいよ。必ず早めに返してください」
エーリアルさんに手首を捕まれ立つように促されるとイザークが眉間にシワをよせ強めの口調でエーリアルさんに注意するが本人は全く気にしていない様子で「さぁさぁ、行きましょっ」と腕を組まれ外へと連れ出された。
「んーっ、やっぱり外の空気はおいしいわ!室内にいると堅苦しいばかりで嫌になっちゃうわよねっ」
お化粧直しは口実だったようで、エーリアルさんに連れてこられたのは花の咲き誇る庭園だった。
今日は庭園も開放されておりちらほら会場から流れた人が歩いている。
テーブルにお茶を用意してもらって一服する。
「ふぅ、確かに会場にいると嫌でも注目されてしまうので疲れますね」
「でしょう?私ダンスは好きだけど昔っから挨拶とか堅苦しいのは苦手なのよねぇ」
エーリアルさんが大人しく座って挨拶に受け答えしている様子がいまいち想像できないので心の中でうん、うんと納得してしまった。
「もしかして、コトネちゃんはあちらの世界で慣れっ子だったり?」
「まさか!こんなドレスを着るのもダンスをするのも全て初めてなので何もかも緊張してばかりです。今日もいらっしゃっている皆さんにきちんと対応できているのか心配で…」
「そこは大丈夫よ!なんたって前の女王がこんな私よ?コトネちゃんみたいなお利口さん、皆素敵な方が現れてくれた!って内心ホッとしてるわよー!」
「そうですか…?」
自虐的な励ましに喜んでいいのかちょっと不安になるがふと、エーリアルさんに聞いてみたかった事を思い出した。
「あの、エーリアルさんも高い魔力をお持ちですよね?私まだ魔力のコントロールが上手くなくて使いこなせていない所があって、そのせいかまわりに心配ばかりかけてしまって…
エーリアルさんは自分の身を守る際に具体的にどのようなことをしていましたか?やっぱり魔法を使いこなさなければいけませんよね?」
エーリアルさんは女王としてどうやって自身の身の危険を守っていたのか聞いてみたかったのだ。
それを参考にすればイザークに安心して過ごしてもらえると思ったから…。
「私も魔力は高いけれどあまり使おうとしていないから上手に使いこなせてはいないわよ。攻撃魔法なんて戦争でもしていない限りそうそう使うものでもないでしょう?それよりも私は聖霊の加護が強いからそっちで補ってる部分が多いかなっ?」
「聖霊の加護…ですか?」
初めて聞く単語にきょとんとしてしまう。
「そう。私が聖霊族なのは聞いているかしら?」
「はい、イザークが聖霊族と魔族のハーフだと聞いています」
「聖霊族には魔力が使える人ってあまりいないのよ?魔力が強いのはやっぱり魔族の人達で、たまーに私やコトネちゃんみたいに例外がいるんだけどね。
聖霊族は主に聖霊の加護を受けて生活しているの。例えば溺れても水の聖霊の加護を強く受けていれば助けてくれるのよ。人それぞれ加護の強さは違うのだけれど、私は聖霊の加護がとっても強いから何もしていなくても常に見えない聖霊ちゃんたちが守ってくれてる!ってことなの」
そうなのか。聖霊の加護については初耳だが人間の私にはないものだと考えるとエーリアルさんに聞いても参考にはできなそうでちょっと残念だ。
「もしかして、この前私が連れ出しちゃったのもあって厳しくなっちゃったぁ?」
困ったように頷き肩を落とす私を心配してくれたのかエーリアルさんはしばらく考えるような仕草をしていたかと思うとぱっと表情が明るくなり私の両手をとった
「良いこと思い付いたー!私達、明後日まで滞在するんだけれど、明日の午後お茶に誘ってもいいかしら?」
「はい。よろしいですが…」
何を思い付いたのか聞きたかったが「いいこと!」としか教えてくれなかった。エーリアルさんは「そうとなれば用意しなくっちゃ」と嬉しそうに私を連れて会場へ戻った。
「おかえり。おかしなことはなかったか?」
エーリアルさんと一緒に帰るとイザークは一番に心配を口にした。
「ええ、お話しさせていただいただけよ。心配しないで」
「失礼しちゃうわ。もっと私を信頼してくれないかしらぁ」
「エーリアルの自業自得だな。機嫌を直しなさい。さあ、もう一度踊ろうか?」
バルドさんにそう言われるとエーリアルさんはたちまち機嫌を直してしまった。うっとりとした目で見つめ合い互いに手を取り再びダンスフロアへ消えていった。
さすがバルドさんだ。エーリアルさんの扱いに慣れている。
「コトネ、俺達もせっかくだしもう少し踊るか?」
「…そうね、せっかくあんなに練習したものね」
イザークとならダンスの不安も随分と楽になる。
夜会は遅くまで続き私の社交界デビューはつつがなく終えることができた───。




