18話 夜会
魔界の夜は静かだ。
車等の機械音がないので夜は風に吹かれる木々のざわめく音や時おり動物の鳴き声がするだけで日本の夜とは違い静寂に包まれている。
いつもならすやすやと眠りにつくことができているのに昨日の夜は多分少しは寝たと思うけれど何度も寝返りをうち、枕の位置を変え、どんなに頭の中で川のせせらぎや羊の数を数えてもぐっすり寝入ることができなかった。
理由は明確だ。
とうとう今日が夜会だからだ───。
「はぁー、緊張するなぁ」
今日は朝からずっと城内がバタバタしていてなんだか私までそわそわと落ち着かない。
昼食を終えてから自室で少し仮眠をとることができたけれど緊張からか体全体が固い気がする。
「コトネ様、大丈夫ですわ。ダンスもとってもお上手になられましたし、もっとご自身に自信をお持ちください!」
アンナは私のコルセットを締めながらはげましてくれる。コルセットのお陰で項垂れていた私の背筋はピンと伸びる。
そしてクローゼットから今日のために作られたイブニングドレスにいよいよ袖を通す。
イザークが注文に口を出したと言っていたが華やかなレースとサテンの光沢が美しく色はネイビーからダークネイビーのグラデーションになっていて銀糸の刺繍が散りばめられたシンプルながらも贅沢なドレスだ。
エステとコルセットのかいもあってかまぁ、それなりに見える気がする…と自画自賛してみたり。
するとドアがノックされた。
「コトネ、入るぞ」
どうぞ、と声をかけると正装に着替えたイザークが入ってくる。
普段とはまた違って見えるのでドキッとする。
胸には沢山の勲章がつき頭には───!
「つ、角がっ」
「今日はさすがにな。コトネにも見せると約束していたから一番に来たぞ」
イザークの側頭部からは左右1本ずつ緩やかに湾曲しながら上を向く黒い角が生えている。
角に背伸びをして触れてみる。手触りは滑らかで少しひんやりとしている。
「あら?何これ、白い粉がついてるわよ」
左側の角にだけ粉がついていたので取り払う。
「あぁ、自分の部屋を出るときに壁にぶつかったからだな」
イザークの身長はゆうに190センチをこえている。それにプラス湾曲しながら伸びる角があると気を付けていてもうっかりぶつかって壁を削ってしまったりカーテンを破いてしまったりするそうだ。
角が簡単に欠けることはないと言うが普段は出していない理由がよくわかった。
イザークが壁やカーテンにぶつかる姿を想像すると可愛くなってしまって笑顔がこぼれる。
「おっ、いい笑顔だな。今日は緊張すると思うが俺の側に着いていれば心配ない。安心して側にいろ」
ほほを撫でながら緊張を和らげてくれる。イザークの力強い瞳に見つめられこう言われるととても安心する。
「それと、コトネには仕上げにこれを」
そう言い手を軽くあげると廊下から今日は甲冑ではなく正装姿のケヴィンが箱を持って入ってくる。イザークに箱が渡され私の目の前で開かれる。
黒いベルベットの布が貼られた箱の中からは街の宝石店で見かけた夜光花をあしらった髪飾りとネックレスが入っていた。
驚いてイザークとケヴィンの顔を交互に見る。
「コトネはきっと俺が買い物をしてこいと言っても遠慮すると思ってケヴィンにそれとなくコトネが興味をもったものは報告するように言ってあんだんだ」
髪飾りはアンナに渡し着けてもらいネックレスはイザークが直接着けてくれる。
私の髪の毛と胸元に美しく輝く夜行花が咲き誇る。
「うん、良く似合ってる。このデザインは俺も良いと思ったからな。今日の為に取り寄せたんだ」
「こんなに豪華なもの…」
イザークの指が私の口を塞ぐ。
「俺の大切な婚約者にはいつでも輝いていてもらいたいからな」
嬉しさと恥ずかしさで照れるが素直に感謝しアクセサリーに負けないよう頑張らなければと心の中で気合いをいれた。
するとドアの向こう側から何やら聞き慣れた声がした。
「イザークー?コトネちゃーん?入ってもいいかしら?」
ノックと共に聞こえるのはエーリアルさんの声だ!
アンナが扉をあけるとまるで今宵アカデミー賞授賞式に出席するハリウッド女優…と言われても疑いようのないほど美しい佇まいでエーリアルさんが入ってくる。
「お久しぶりでーす。待ちきれなくって来ちゃった!」
「母上!こちらから挨拶に行こうと思っていたのに…まぁ相変わらずですね」
「今日はお招きいただきましてありがとうございます!コトネちゃん、今日は一段と可愛いわぁ」
「あ、ありがとうございます!エーリアルさんも今日もとっても素敵です」
こんなにも美しい人に誉められて恐縮するばかりだ。
するとエーリアルさんは廊下に向かって声をかける。「バルド、こっちよー!」と言いながらエーリアルさんが手招きすると一人の男性が入ってきた。
長身で顎回りに髭を生やした鋭い目付きの男性だが装いですぐにどのような人物なのかがわかった。
挨拶しようとすると「かしこまった挨拶はいらないよ」と優しく話しかけてくださる。
「はじめまして。バルド・ヴィルヘルム・クラストフです。先日はエーリアルが大変失礼なことをして申し訳なかった」
そう言ってバルドさんは頭を下げる。
「はじめまして。お会いできて光栄です。コトネ・サクライです」
そんなことありません、と頭を上げてもらう。
バルドさんの頭にはイザークと同じく角が生えている。声の質はイザークとそっくりだ。
「コトネ、こちらが俺の父だ。父上、私の婚約者です」
イザークは私の腰に手をまわし「顔は怖いが取って食いやしないさ」と冗談を言う。
バルドさんからは年齢のせいもあるかやはり先王だからなのか威厳が漂う。お会いするにあたって心の準備もできていなかったのでイザークにほぐしてもらった緊張が再び私の体にまとわりつく。
「息子が大変世話になり感謝しています。どうかな?息子は頼りになっているかな?」
「はい!それはもちろん!」
「ストップ、ストーップ!!」
言葉を続けようと思っていたらエーリアルさんが間に入り私の両肩をぽんぽんっと優しく叩いた。
「コトネちゃん、ガッチガチよぉ?リラックスしてねっ。バルド見た目が怖いから仕方ないんだけどでも本当は可愛いのよっ。もしもイザークと喧嘩をしちゃったらいつでも私達を頼ってね!」
「母上!」
バルドさんはエーリアルさんを引き寄せると見つめ合い頬笑む。そして再び私に視線を向ける。バルドさんの瞳の色は深い海のような濃いブルーだ。海の底に引き寄せられるような錯覚がする。
「この通りエーリアルは子供っぽい所があるが心配しないでほしい。私達は君を本当の娘だと思っているから遠慮せず悩みがあれば相談してくるといい」
「はい。そうします」
笑顔で答えるとイザークも私の肩を抱き二人に感謝を伝えた。
アンナからそろそろ時間だと伝えられバルドさんとエーリアルさんは先に退室していった。
「とても緊張したけれどエーリアルさんに助けられたわ」
「そうだな。母のあの性格は時に場の雰囲気を和ませてくれるから助かる。困ることの方が多いがな」
「さてコトネ、夜会に参ろうか」
「ええ」
差し出された手を取り会場へ向かう───。