第八話 ペテンと帰還(前編)
◇◇◇◇
そして一週間後である。
王都に戻ったサラは、再び玉座の前に控えていた。
相変わらず両隣は諸侯たちが並び、固唾を飲んで成り行きを見守っている。
そんなサラの眼前には、大柄な棺が一つ置かれていた。
ちなみに、身分の低いナオミはもちろんのこと、今回はジーンもいない。
白目が真っ赤になったジーンでは、さすがに見苦しいからである。
「国王陛下のお成ーりー……」
侍従が言って、現ミッドガルド国王――シグムンド14世が現れた。
「よっこいせ……」
玉座に腰かける、シグムンドである。
今回に限っては、シグムンドを始めとして、列席する面々は鎧を纏ってはいない。
ジーンの及ぼす影響は、やはり計り知れない。
「して――」
シグムンドが切り出した。
「この度の遠征、まことに大儀であった」
「ははっ!」
シグムンドの言葉に、サラが頭を下げた。
「それが、吸血鬼の死体であるか?」
指をさしながら、シグムンドが聞いた。
「……左様にございます」
「ほう……」
サラの答えに、シグムンドが目を光らせた。
「な、何と!」
「不吉な!」
「それにしても、伝説の吸血鬼を倒すとは……!」
「サラ女史率いる面々だけのことはあるな!」
にわかに騒めく諸侯たちである。
「仕留めたのは、やはりジーン・ファルコナーであるか?」
「はい。とは言え、さすがは音に聞こえし化け物。我が婚約者ジーンを以ってしても、無傷とはいきませぬでした」
「ふうむ……。ジーンには後で見舞いの品でも送っておこう」
「ありがたき幸せ!」
シグムンドの労いに、サラが礼を言った。
「ところで……」
シグムンドの目は、棺に釘付けである。
「わざわざ持ってきた意味を聞きたいのだが?」
「ははっ! 確実に斃したという証拠をお見せするためであります」
「……興味深いな。見てもいいのか?」
「御意!」
シグムンドの問いに、サラが答えた。
「おい」
左右に控える侍従たちに、シグムンドが声をかけた。
「誰ぞ、棺を開けよ」
シグムンドの命令に、侍従たちが青くなる。
「え、ちょっ……」
「お前行けよ」
「う、嘘だろ、おい」
互いに役目を押し付け合う、侍従たちであった。
「心配ありません」
サラが救いの手を差し伸べた。
「吸血鬼は間違いなく死んでおります。防腐処理もしておりますし、見苦しくもありません」
「そ、そうですか……」
「それでは」
「我ら全員で」
サラの言葉に、3人の侍従が歩み出た。
「せーのっ!」
「よいしょっと!」
「うぐぐ……」
3人が力を合わせて、重い棺をこじ開けた。
◇◇◇◇
「ほほう……」
中から現れた吸血鬼を見て、シグムンドが顎髭を擦った。
「ふむ。耳が長い以外は、人間と大差ないように見えるな。むしろ、妖精に近いかもしれぬ」
じっくりと、中身を見分するシグムンド。
果たして、棺に横たわっているのは、夜会服を着たフリードリヒである。
ただでさえ白い肌は完全に血の気を失っていて、どう見ても死んでいるようにしか思えない。
「うん? 外傷がないようだが?」
シグムンドが訝った。
「それはですね――」
サラが続ける。
「会敵した時、吸血鬼の一撃が運悪く剣の腹を捉えまして、半ばからポッキリと折れてしまったのです」
「ほほう」
「それで止むなく、ジーンは素手にて対峙することになったのです」
「何と! 素手とな?」
サラの報告に、シグムンドが目を剥いた。
「真か?」
「到底信じられぬ」
「だがしかし、あのジーン・ファルコナーだぞ」
「うむ。やりかねんな」
再び騒めく諸侯たち。
もっとも、素手でフリードリヒを制した点はともかく、剣のくだりは大嘘である。
ジーンの両手剣は、サラが閂を外すのに使ったせいで、その短い寿命を全うしてしまった。
「はい」
いけしゃあしゃあと、首肯するサラであった。
「ジーンはファルコナー家秘伝の体術を以って、これを制したのでございます。そのおかげで、このような綺麗な死体に仕上がったのです」
「うーむ……。典医をここへ!」
サラの言葉を受けて、シグムンドが医者を呼んだ。
「はっ! 御前に」
言って、人垣から現れたのは、ローブを深く被った高齢の老人であった。
「確と、その目で見分せよ」
顎でしゃくって、シグムンドが命じた。
「で、では、恐れながら……」
恐る恐る、フリードリヒに触れる老人こと典医である。
「みゃ、脈は無し」
首筋を触って、典医が鼓動を確かめた。
「体温は……、これまた無いに等しいですな」
額に手を当てて、典医が体温を測った。
「どれ、目玉の方は……」
続けて、フリードリヒの瞼を開く典医。
転移が蝋燭を使って、フリードリヒの瞳を照らした。
「瞳孔散大。間違いなく死んでおります」
言って、典医がシグムンドに頭を下げた。
「ご苦労。戻ってよいぞ」
「ははっ!」
シグムンドが典医を下げた。
「さて……、すまぬな。試すような真似をして」
「いいえ。気にしておりません」
シグムンドの言葉に、どこ吹く風のサラである。
「うむ。この度の活躍、誠に天晴であった。ついては、そなたらに褒美を取らせようと思うが、何がいいかな?」
顎髭をさすって、シグムンドが聞いた。
「恐れながら――」
サラが切り出す。
「それでは、吸血鬼の死体を賜りたく存じます」
「え?」
サラの要求に、シグムンドが目を点にした。
◇◇◇◇
「い、今何と?」
「確か、死体を所望するとか……」
「吸血鬼の?」
「これは一体何事だ?」
にわかに諸侯がどよめいた。
「静まれ」
シグムンドが片手を挙げて、騒動を収めた。
「ふむ……。ああ、そうか」
玉座に頬杖をついて、シグムンドの合点がいった。
「そなたは魔物学者であったな」
「さすがは陛下。お察しの通りでございます」
シグムンドの言葉に、追従するサラである。
「標本を所望するか?」
「はい」
シグムンドの問いに、サラが頷いた。
「何せ、我が夫となるジーンを傷つけた、憎き化け物です。この手で隅々まで解剖せねば、気が収まりません」
サラが言って、口元を歪める。
ただでさえサラは美少女である。
悪意に満ちた笑顔は、怖いほど美しかった。
「ぬぅ……」
サラの迫力に、シグムントが唸った。
「ひいっ!」
「何と恐ろし気な……」
「あんなに人間に似ているというのに……」
「さ、さすがはサラ女史であるな」
諸侯たちが王に続いた。
「あー……、ゴホン!」
わざとらしく咳払いをして、諸侯たちを諫めるシグムンド。
「あい、分かった」
「有難き幸せ!」
「その代わりと言っては何だが、ジーンへの見舞いは無しだぞ」
「もちろんでございます!」
こうして、ジーン本人の意思を余所に、シグムンドとサラの取引は終わった――。
…――…――…――…
ガタゴトと音を立てて、幌馬車が外界を突き進む。
もちろん、御者はジーンで、馬はロシナンテであった。
全てを片付けて、一行はサラの町へ向かっている。
幌の中にはサラとナオミの他に、ローブ姿の小柄な人物が座っていた。
そんな3人の真ん中には、先ほどの棺が置かれている。
「おい。もういいぞ」
周囲を見渡して、ジーンが言った。
「分かりました。……もしもし?」
サラが答えて、コンコンと棺をノックする。
「も、もうよいのか?」
聞きながら中から棺を開けたのは、他ならないフリードリヒであった。
「あっ! そのままでお願いします」
棺から出ようとするフリードリヒを、サラが押し止めた。
「まだ日が高い。危ないですよ」
「う、うむ。分かった」
サラの指摘に、フリードリヒが首肯した。
棺の蓋を半開きにしたまま、フリードリヒが顔を覗かせる。
「それにしても、考えたもんだよなー」
ロシナンテに鞭を打ちながら、ジーンが言った。
「吸血鬼の習性を利用するなんて、ちょっと出来ない博打だぜ」
「いえ。むしろ私には確信がありましたよ」
ジーンの言葉をサラが否定した。
サラの作戦はずばり、死んだふりでシグムンドを欺くことある。
吸血鬼は一度休眠状態になると、その生命活動が著しく低下する。
体温は低下し、呼吸も極端に遅くなる。
瞳孔まで散大し、さながら一種の仮死状態と言えた。
本来ならば弱点でしかないこの状態が、今回は窮地を救うことなった。
加えて、検死をする典医は、いずれも人間専門の医者である。
亜人を診たことがない彼らを欺くのは容易い。
「……お三方」
ローブを脱いで、シルヴィアが口を開いた。
「本当に感謝する。まさか、あの地を生きて出られるとは思わなかった」
片膝を着いて、深々と頭を下げるシルヴィアであった。
「構いませんよ。もっとも、前にも言いましたが――」
「分かっている。存分に期待に応えようではないか」
サラを遮って、シルヴィアが胸を張った。
サラの腹積もりは、町の夜警としての吸血鬼の登用である。
正に吸血鬼には、うってつけの役目と言えた。
「それにしても貴女……」
言いながら、サラがマジマジとシルヴィアを見つめた。
「随分と、肩肘張ったと言うか、古めかしい物言いをなさるのですね?」
「こ、こちらが素なのだ。あまり注目しないでくれ。自分でもおかしいのは分かっている」
「男手一つで言葉を教えたからだよ。私は王家の再興を夢見て、娘を王族男子として扱ったからな。それに何と言うか……、年齢のこともある」
サラとシルヴィアの会話に、フリードリヒが口を挟んだ。
「年齢って……、シルヴィア、貴女おいくつなのですか?」
「……今年で50歳になるな」
「ご、ごじゅう――!」
シルヴィアの答えに、サラが驚いた時である。
「おい、サラ。お客さんだぜ」
ジーンが馬車を止めて、前方を指さした。




