第六話 遭遇と死闘(後編)
◇◇◇◇
「そ、そんな……!」
ナオミが狼狽える。
「どうすればいいのですか?」
サラが聞く。
「まあ、ちょっと待て」
慌てるサラとナオミを、ジーンが押し止めた。
「何かコイツおかしいぞ?」
ジーンの視線の先では、吸血鬼が自分の掌を舐めていた。
「た、多分ですが――」
サラが続ける。
「血です」
「血?」
「貴方の血です。さっき組み合った時、吸血鬼に付いたでしょ?」
「ああ、なるほど」
サラが促して、ジーンが自分の両手を見た。
ジーンの全身は、落ちた怪我で真っ赤に染まっている。
「グルルル……。ウ、ううう……。ニ、人間どもめ……」
目に理性を宿して、吸血鬼が口を開いた。
「喋った!」
ジーンが驚く。
「そりゃあ、喋るでしょう。彼らも人間の一種なのですから」
「あ、そっか」
サラが言って、ジーンが納得した。
「き、貴様ら――」
サラとジーンを交互に見て、吸血鬼が続ける。
「ど、どこまで我らを苦しめれば気が済むのだ……」
「何言ってんだ、お前?」
吸血鬼の台詞に、要領を得ないジーン。
醜悪に歪んでいた吸血鬼の顔は、今は完全に落ち着いている。
長い耳や特徴的な肌の色は別にして、ほとんど一般人の雰囲気である。
見た目は40歳くらいの壮年で、顔立ちは整っていた。
もっとも、眉間に皺を寄せていて、友好的とは程遠い。
「問答無用! 死ねーっ!」
ジーンに向かって、吸血鬼が飛びかかる。
吸血鬼の大ぶりなパンチがジーンに迫った。
「おっと!」
ジーンが言って、大振りなパンチをスウェーで躱した。
「ジーン! 大丈夫なのですか?」
「まーなー」
サラが聞いて、ジーンが答えた。
「でも、さっき貴方より強いと……」
「ま、それはそうなんだけどよ――」
サラに答えながら、ジーンが続ける。
トントンとステップを踏みながら、ジーンがファイティングポーズをとった。
「あくまで腕力に限った話なんだよなー。よっしゃ! かかってこい! このコウモリ野郎!」
「舐めるな、小僧!」
ジーンが挑発し、吸血鬼がそれに乗った。
◇◇◇◇
「このっ!」
ジーンを殴り倒さんと、吸血鬼が拳を振るう。
「よっ! ほっ!」
ヒョイヒョイと、拳をスウェーで躱すジーン。
「くそっ! 当たりさえすれば——」
吸血鬼が腕を伸ばした、その時である。
ジーンが吸血鬼の懐に飛び込んだ。
「ほれっ!」
「ゲフッ!」
ジーンの拳が、吸血鬼の顔面に当たった。
「ぬうっ! く、くそっ!」
よろめきながらも、その場に踏みとどまった吸血鬼。
「おのれ——」
鼻から血を出しながら、吸血鬼が顔を上げる。
「おおっ!」
吸血鬼を見て、感嘆するジーン。
「さすがにタフだなー。普通の人間なら、今のでダウンだぜ?」
「ぬかせっ!」
あくまでも呑気なジーンに、吸血鬼は怒りを禁じえない。
「当たらないなら、こうだ!」
パンチの応酬を止めて、吸血鬼が身を低く構えた。
「喰らえーっ!」
そのまま突進する吸血鬼である。
吸血鬼の猛烈なタックルは、そのままジーンを捉えたかのように思えた。
その瞬間である。
「ギャッ!」
悲鳴を上げて、吸血鬼が仰け反った。
ジーンの膝蹴りが、カウンターになったのである。
「何をしているのです!」
サラが横やりを入れた。
「武器を使いなさい! 武器を!」
「うるせーっ!」
サラの指示に、ジーンが怒鳴り返す。
その間にも、吸血鬼にパンチとキックを延々と放ち続けるジーンであった。
「お前の」
「ゲフゥッ!」
「せいで」
「ゴフウッ!」
「丸腰に」
「ウギャッ!」
「なったんじゃ」
「カハッ!」
「ねーか!」
「ゴホッ!」
ジーンの文句と、吸血鬼の呻きが重なって響いた。
「予備があるでしょう? ナイフか何か持っていないのですか?」
「落ちた衝撃で砂に埋まっちまった! 掘り出してる時間なんかねーよ!」
吸血鬼を無視して、サラとジーンのやりとりが続いた。
ジーンの視線が、チラリとサラの方を向く。
そして、吸血鬼はその瞬間を見逃さない。
「隙あり!」
ジーンのパンチを、吸血鬼が両手で掴んだ。
「何っ?」
目を剥くジーン。
「ふふふ……。女との会話に現を抜かしているからだ」
吸血鬼がほくそ笑む。
「おおっ! スゲーなお前。さすがは吸血鬼。大した動体視力だぜ」
「余裕を気取るのも今のうちだ。さてさて、どう料理してくれようか……」
ジーンを無視して、吸血鬼が腕に力を込めた。
腕力だけなら、吸血鬼はジーンに勝っている。
ジーンの右腕がミシミシと音を立てた、その直後である。
「あらよっと!」
掛け声と共に、ジーンが無造作に腕を振った。
ジーンの腕を軸にして、吸血鬼が大きく宙を舞った。
「え?」
疑問符を浮かべたまま、そのまま背中から、地面に叩きつけられた吸血鬼であった。
「はい、一丁上がり!」
吸血鬼をうつ伏せに組み伏せ、腕関節を極めるジーン。
◇◇◇◇
「き、貴様ぁぁぁっ!」
足掻こうとする吸血鬼。
だがしかし、腕を完全に極められた挙句、ジーンが乗っていてはどうしようもない。
「おーい、お前ら! もうこっち来て大丈夫だぞ」
「よくやりましたね」
「凄いです」
ジーンが呼びかけて、サラとナオミが答えた。
「い、一体何をした!」
吸血鬼が怒鳴る。
「そうですよ。一体何をしたのです?」
「あ、それ私も気になります」
吸血鬼に便乗する、サラとナオミである。
「何のことだ?」
「とぼけないでください。さっきの投げ技ですよ」
「何かこうブワーって飛びましたよ! ブワーって!」
ジーンが首を傾げ、サラとナオミが畳みかける。
「あー……、あれな――」
ジーンが続ける。
「ちょっと特殊な投げ技だよ。自分の力を上手に抜いて、相手の感覚を狂わせるんだ。相手が強いほど、こいつがよく効くんだなー」
「く、くそっ! 何故だ! 何故こんな若造に……!」
ジーンが解説して、吸血鬼が臍を噛む。
「お前が負けた理由はな――」
ギリギリと力を込めながら、ジーンが続けた。
「何十年……、いや何百年生きてきたかは知らねーけどな。長い間、強敵と戦っていなかったからだぞ。なまじ生まれつき強いから、才能頼りで生きてきたんだろ。それほど武芸は甘くねーんだよ」
「貴方がそれを言いますか……」
ジーンが言って、サラが呆れた。
それもそのはず、一般人から見れば、ジーンは十分に天才である。
「さて、こいつをどうしようか?」
吸血鬼を締め上げながら、ジーンが聞いた。
「そうですねぇ……」
言いながら、サラが頭を掻いた。
「こ、殺せっ!」
吸血鬼が叫んだ。
「その前に、少しお聞きしたいことが――」
サラが言いかけた時である。
「止めろーっ!」
女の声がして、部屋に人が飛び込んできた。
「このっ! 父上から離れろ!」
ローブを纏った小柄な少女が、ジーンに縋りつく。
「いでで……! ちょっ……! 待って!」
髪の毛や頬っぺたを引っ張られ、ジーンが閉口する。
「馬鹿! 逃げなさい!」
「父上! 今お助けします!」
吸血鬼が言うも、少女は言うことを聞かない。
「ナオミ!」
「は、はいっ!」
サラが促して、ナオミが少女を取り押さえた。
「この! 何をする!」
「うわっ! この子、力が強い!」
暴れる少女に、ナオミが泡を食った。
もっとも体格差は如何ともし難い。
抱き着かれるようにして、ナオミに拘束された少女である。
「放せーっ!」
少女が叫んだ時である。
ローブがハラリと落ちて、その姿が顕わとなった。
「え?」
「ああっ!」
「貴女は!」
ジーンとナオミ、そしてサラが続けて言った。
「ひょっとして、シルヴィアですか?」
サラが聞いて、シルヴィアの顔が月明かりに照らされる。
長い茶髪と良く焼けた肌の美少女は、間違いなくシルヴィアであった。
もっとも、昼間とは違って、目に布を覆っていない。
「貴女、その目は一体……?」
シルヴィアの様子に、サラは驚きを隠せない。
盲目のはずのシルヴィアは、きっちりと相手を見て喋っていた。
とは言っても、サラが驚いた点はそこではない。
日に焼けたシルヴィアは、普通の人間と同じ特徴をしている。
だがしかし、問題は瞳の色と形である。
「こ、琥珀色の瞳に、縦長のネコのような瞳! 貴女――」
言葉を詰まらせて、サラが続けた。
「吸血鬼……いえ、半吸血鬼ですね?」
「放せーっ!」
サラの分析を無視して、シルヴィアが叫んだ。




