第五話 代官と依頼(前編)
◇◇◇◇
まだ空が白んでいる翌朝であった。
誰もいない町の通りを、1人の少女が歩いている。
白いブラウスと藍色のスカートを着た少女は、革のブーツを履いていた。
身に着けているどれを取っても、少しも色あせてはおらず、鮮やかな生地は質の高さを語っている。
その手には布のかかった籠を持っていて、外からは中身が見えない。
風がサッと吹いて、少女の長い金髪が乱れた。
「おっと」
少女が立ち止まる。
「季節風ですか。髪形を考えてくるべきでした」
髪を直しながら、少女が顔を上げた。
少女の瞳は、吸い込みそうな青色であった。
器量も抜群に良く、正に深窓の令嬢である。
難があるとすれば、不機嫌そうに仏頂面を決め込んでいる点である。
ついでに言えば、胸も平べったい。
――サラであった。
野暮ったい鎧を脱いで、相応にめかし込みさえすれば、サラは立派な淑女である。
さもありなん、実際に貴族令嬢であるから、至極当たり前である。
サラにとって、今日は休日であった。
…――…――…――…
ハンターとして名を馳せているサラであるが、こうして町にいる時間の方が実は多い。
これは何も、サラに限った話ではなく、ハンター全員の傾向である。
魔物と渡り合うハンターは、やはり命がけの仕事である。
その分、身入りが大きく、一度成果を上げさえすれば、しばらく余裕を持って過ごすことが出来る。
だがしかし、欲をかいてはいけない。
人間とは、何かにつけ疲労する生き物である。
肉体的にはもちろん、ハンターの場合は、精神的なそれも問題であった。
功を焦って連日出猟すれば、どんな手練でも必ず隙が出てしまう。
概して知能の高い魔物は、そういった弱みを見逃さない。
そういう理由で、腕の立つハンターほど、むしろ休息を大事にした。
ベテランハンターの例に漏れず、こうして仕事を空けているサラである。朝っぱらから出歩いているが、別にブラブラと町をうろつく趣味は無かった。
むしろその逆で、非番時のサラはむしろインドア志向であった。
そもそも都会育ちな上、貴族に生まれた身である。
平素は優雅に茶を嗜んで、専ら読書に耽ることが、本来の日常であった。
もっとも、学者崩れな身もあって、読む本は魔物関連の学術書ばかりである。
相手を選ばない丁寧な言葉づかいで、着る服まで洗練されている。
言われなければ、誰もサラをハンターとは見抜けない。
こうして見た目を裏切らず、お嬢様然としているサラであった。
だがしかし、蓋を開けてみれば、超の付く魔物オタクである。
例えば、狩り場に魔物の糞が落ちているとする。
一般人ならば倦厭するところでも、魔物の痕跡としては重要である。
当然ハンターのほとんどが分析するが、サラは素手で糞を弄り回すのである。
ついでに顔色も変えずに臭いを嗅いだりするので、同道したハンターはどん引きである。
そんな周囲を余所に、当のサラは「こうした方が、獲物の健康状態が分かりやすいです」の一言で済ませてしまう。流石に口に含まないのは、一抹の理性が成せる業である。
例えば、泥沼に身を潜める必要があるとする。
それは魔物を待ち伏せるためであったり、逃走するためであったが、ほぼ確実に吸血ヒルに吸い付かれてしまう。
ベテランハンターでも躊躇するこの決断を、サラはいとも簡単にやってのける。
それでも、ヒル塗れでイソギンチャクみたいになったサラに言わせれば、「別に吸血ヒルに毒はありませんし、後で感染症に気を付ければ済む事です」で片が付く。
一度狩りともなれば、泥に塗れることを厭わない――それがハンターとしてのサラであった。
オンオフを切り替えていると言えば聞こえが良いが、常軌を逸していると言っても過言ではない。
…――…――…――…
そんな似非インドア派なサラが出歩く理由は、目的があるからである。
「まったく、ジーンも人助けをするのなら、ちゃんと対価を貰えばいいものを……。家賃を浮かせるためだか何だか知りませんが、会うためだけに遠出をする、こちらの迷惑も考えて欲しい」
ブツブツと文句を重ねて、サラが再び歩き出す。
サラの目的は、ジーンの居所を訪ねることであった。
◇◇◇◇
町のはずれに、1軒軒のアバラ屋が建っていた。
壁板は隙間だらけなものの、相応に大きな平屋建てである。
平屋は大きな出入口が一つと、小さな開閉式の窓が沢山ついている。
要するにこのアバラ屋、放棄された馬小屋であった。
馬小屋の立地は、城壁のすぐ近くである。と言っても、近くに城門は見当たらない。
周囲には人家も無く、ペンペン草が伸び放題で、壊れた農機具が散らばっている。
そんな馬小屋の前には、ポンプ式の井戸が掘ってあって、洗ったばかりの鍋が立てかけてあった。
今、大柄な男が一人、鍋の前で鍛錬に励んでいた。
「にじゅういち、にじゅうに……」
半裸の男が一心不乱に、腕立て伏せに勤しんでいる。
低い回数の割に汗だくになっている男であったが、最大の理由はそのフォームである。
この男、逆立ちで腕立て伏せをしていた。しかも、別に壁にもたれている訳でもない。
自分のバランス感覚だけで、男は綺麗にこれをこなしている。回数も考えれば、並々ならない身体能力である。
「さんじゅう! ふーっ……」
一息ついて、男が逆立ちのまま制止した。
――ジーンである。
毎朝の筋力トレーニングは、ジーンの日課であった。
「もう少しやるか……」
言って、ジーンが続けようとした時である。
「精が出ますね」
ジーンの死角から、女の声がした。
「おおっと!」
声に驚いて、ジーンが少しよろめいた。
「何だ、お前か」
体勢を立て直して、ジーンが言った。
「おはようございます」
声の主はサラである。
「危ないから気配を消すなよなー。いくら俺でもさ、お前くらい腕が立つと、筋トレの最中じゃ気付けないんだぜ」
ジーンが逆立ちのまま抗議した。
サラほどのハンターならば、気配を消すことなど容易い。
「それはどうも」
サラが答えた。
「で、何の用? 今日は仕事、無いはずだろ?」
サラに向き直って、ジーンが聞く。当然、逆立ちの姿勢は崩していない。
「差し入れです」
言って、サラが編み籠を差し出した。
「サンドイッチですよ。ちゃんと食べているか、少し心配になりまして」
編み籠にかけられた布を取って、サラが言った。
「お、ありがとさん! よっと!」
礼を言って、ジーンが逆立ちを止めた。
そのままの姿勢から、一気にハンドスプリングで跳ね起きたジーンである。
「相変わらず、見事な身体能力ですね。出来れば、それをもっと積極的に活かしてもらいたい」
「しょ、精進します……」
褒めながらも含みを持たせるサラに、ジーンが肩を窄めた。
「それにしても――」
編み籠をジーンに渡して、サラがアバラ家を眺めた。
「何も、こんなクソ辺鄙な場所に住まなくてもいいのに」
辛辣な物言いのサラであるが、馬小屋は確かに住居に適さない。
もっと言えば、立地が悪い。町の中心から外れた上に、通行の要所でもなかった。
ジーンの懐事情を反映した結果である。
「お前って、丁寧だけど所々口が悪いよなー。まあ、屋根があるだけマシってもんよ。それにしても、これ美味いね」
サンドイッチにパクつきながら、ジーンが答えた。
「それは良かった。ところでそのサンドイッチ、私の分もありますから、ちゃんと残しておいて……って」
「え?」
サラが言いかけた時、編み籠は空っぽであった。
◇◇◇◇
「悪かったって」
「別に怒ってません」
「だから悪かったって」
「ですから、別に怒ってません」
踵を返すサラを、ジーンが謝りながら追いかける。
「いやいや、めちゃくちゃ怒ってるだろ」
「ハア……」
嘆息して、サラが足を止めた。
「貴方もいい加減しつこいですね……って」
言いかけて、サラが口を止めた。
サラはそのまま、ジーンの顔をジッと見つめていた。
「どうした? 俺の顔に何か付いてるか?」
ジーンが聞いた。
「あ、これは失敬。別に怒っていないのは本当です。それよりも貴方、前より少し痩せました?」
聞き返すサラに、ジーンが「そりゃねーよ」と呆れた。
「どういう意味ですか?」
「痩せたのは、何も食ってないからじゃねーよ。仕事の度にやらされてるあのマラソン。身体が萎んだのは、あれのせいだよ」
「でも、貴方は元から筋肉質だったでしょう?」
「あー……。それ、ちょっと勘違いしてる」
サラの疑問に、ジーンが答えていく。
「パワーとスタミナって、得てして両立しないもんなんだよ」
「……?」
ジーンの答えに、サラは要領を得ない。
「えっとな……」
頭の中で、ジーンが言葉を選ぶ。
「ムキムキのマッチョだと、取り敢えず力は有る。ここまではOK?」
「それはそうでしょうね」
「でも、このムキムキが過ぎる、すげー重い物を、数回だけ持ち上げる体になっちまうんだな」
「負荷を減らせば、何回でもこなせるのでは?」
「いや、それが中々上手くいかないんだよ」
「ほう」
ジーンの講釈に、サラが聞き入っている。
「パワーを出す筋肉と、スタミナを出す筋肉は見た目が違うんだよ。盛り上がってカチカチに固い方がパワーの筋肉だな。でな、スタミナを出す方はと言うとな、これが細くて柔らかい筋肉なんだわ」
「続けて下さい」
「それでな、人間の場合は両方持ってる訳なんだけど、この偏りは生まれつき決まっているらしい。もちろん、ある程度矯正は出来るんだけどな」
「貴方の場合は?」
「どちらかと言えば、やっぱりパワー型だろうな。まあ、俺くらいのバランスだと、鍛え方でどうとでも転べるんだけど」
「ああ、そういうことですか」
ジーンの説明に、サラがあっさりと納得した。
走り込む生活のせいで、ジーンの身体は徐々に、スタミナ型のそれへと近づいていた。
摂取するカロリーが高くても、スタミナ型は筋肉が細い。
そのせいで、どうしても身体は小さく萎んでいくのである。
「相変わらず理解が早いよなー」
「いえ、前々から考えていたのです」
感心するジーンを余所に、今度はサラが語りだした。
「アカデミー時代に、魔狼をバラバラに……それこそ、細部に渡るまで解剖したことがあるのです。細っこい手足のくせに、とんでもない体力があるのを不思議に思ったものでして……。貴方の筋肉談義を聞いて納得しました」
◇◇◇◇
サラの言う魔狼とは、大きさが馬くらいもある狼型の魔物である。
黒い毛並みをしたこの魔狼は、実に3日3晩を走り抜く体力を持っている。
普通の狼との違いは、その体力だけではない。魔狼のタテガミには毒針が混じっていて、これで首筋を守っている。
外界を行く人間を頻繁に襲う魔物――それが魔狼である。
…――…――…――…
「……さいですか」
「では、私はこれで」
ジーンが息を呑んで、サラがさっさと歩きだす。
「ちょ、ちょっと待てよ」
ジーンが慌てて、サラの後を追った。
「それで、今日はどこへ行くんだ?」
歩くサラの後ろから、ジーンが聞いた。
「マリーの斡旋所です」
「あれ? 今日は俺たち休みだろ?」
「ええ。ですが、ちょっと確かめたい事が出来まして」
「ふーん」
サラの答えにジーンが納得した、その時である。
2人の向かう先で、5人組の男が騒いでいた。
年の頃は20代後半から20代前半ほどの、取り立てて特徴のない若者である。
全員が無精ひげを生やしていて、お世辞にも身なりが良いとは言えない。
「流れのハンターでしょうか」
「だなー」
サラが言って、ジーンが相槌を打つ。
5人組は革鎧を着ていた。弓矢や槍を引っ提げていて、恰好だけは確かにハンターである。
そんな流れ者のハンターは、町の通行人に難癖を付けて絡んでいた。
「何かやべーな」
「ええ」
サラとジーンが揃って言った。
それもそのはず、通行人は2人の見知った人物である。
「ジーン、ちょっと行ってきなさい」
「へいへい」
サラに促され、ジーンが騒ぎへと割って入る。
「オラオラ! このクソ爺! こんなクズみたいな野菜売り付けやがって!」
五人組のリーダー格ががなり立てていた。
「そ、そんなこと言っても、本当にそれしかないんじゃ……」
「信じておくれ。最近はいい野菜がとんと入ってこなくてねえ……」
弱々しく反論するのは、昨晩サラが出会った野菜売りの老夫婦である。
「やかましい!」
「この落とし前、どうつけてくれるんだ?」
「舐めてんのか、コラ!」
「腹でも壊したらどうしてくれる!」
残りの四人が次々と捲し立てた。
「そ、そんなこと言っても――」
「痛い目を見なけりゃ、分からねーらしいな」
反論する老人の胸倉を掴んで、リーダー格が拳を振り上げる。
「ちょっと、待っておくれよ」
2人の間に、ジーンがズイと身体を挟んだ。
「ななな、何だテメーは?」
ジーンの巨体に、リーダー格が慄いた。
「俺の友達なんだ。許してやってくれないか?」
威圧的に言うジーンに、5人が「お、おう」と同意しかけた時である。
「ああっ! 駄目だよジーン」
老婆がジーンを押し止めた。
「あんた、見かけ倒しで弱いんだから、無茶しちゃ駄目だよ」
「ちょっと婆ちゃん!」
老婆の台詞をジーンが慌てて遮った。
「……ほう」
リーダー格の目が怪しく光る。
「ただの木偶の坊か。野郎ども! やっちまえ!」
「おうっ!」
「脅かしやがって!」
「舐めてんじゃねーぞ!」
「死ねーっ!」
リーダー格に続いて、他の4人が湧き立った。
「やめ、ちょっ――! ぼぼぼ暴力反対! どわーっ!」
抗議空しく、ジーンがタコ殴りにされていった。