第六話 温泉と保養(前編)
◇◇◇◇
そして、朝食を終えた3人である。
サラたちはファルコナー邸を出て、町に繰り出していた。
「ったく……」
ジーンが舌を打つ。
「いくらなんでも、朝からはねーだろ」
毒づいたジーン。
「私たちは清潔好きなのですよ。そうですよね?」
「え? あ、はい、そうですね……」
サラに流されて、ナオミが同意した。
「だからと言って、朝風呂決め込むことはねーだろ」
ジーンがブー垂れた。
3人が向かう先は、貴族や大商人といった、富裕層向けの大浴場である。
昨日の約束を、サラはきっちりと覚えていた。
「でもよー」
言って、ジーンが続ける。
「アポも無しに、いきなり貸し切りなんて出来ねーと思うぞ?」
当然なジーンの指摘である。
「そんなことですか」
サラが肩を竦めた。
「それくらいは譲歩しますよ」
「へいへい」
サラの妥協に、諦念のジーンである。
「あの~」
ナオミが口を開いた。
「なんか、さっきから私たちとっても目立っているような……」
「それは仕方がありません」
「それはそーだろ」
ナオミの言葉に、サラとジーンが同意した。
とにかく、目立って仕方がない三人組である。
並外れた大女のナオミに、筋肉ダルマのジーン、超絶美少女のサラといった組み合わせとくれば、目を向けない方がおかしい。
しかもである。
いつもの白いブラウスに藍色のスカートのサラは別として、ジーンとナオミの外着は鎧しかない。
サラだけが大量に普段着を持ち込んだ故である。
そんな理由で、三人は人目を引いて憚らない。
「おい、何だあの大女?」
「さあな。でも、けっこう別嬪じゃね?」
「大女の方はともかく、他の2人は知ってるぜ」
「ああ、サラとジーンだな」
「おい! 目を合わせるな! 殺されるぞ」
こんな案配で、通行人は三人から距離を置いていた。
ちなみに、サラとジーンが恐れられるのは、二人で立てた武勇伝が広めっているせいである。
「でも、私驚きました」
少し猫背になりながら、ナオミが言った。
目立ち慣れているのは、サラとジーンだけである。
「何がです?」
「ジーンさんって、お母さん似だったんですね」
サラが聞いて、ナオミが答える。
「あー……、それ、よく言われるな」
ジーンが続けた。
ナオミの言うように、ジーンの筋肉質で長身な体格は母親譲りとしか思えない。
ついでに言えば、精悍な顔立ちもである。
「そうですか?」
首を傾げて、サラが続ける。
「私は両方に似ていると思いましたが」
「うん? どういうことだ?」
サラの意見に、ジーンが聞いた。
「たしかに、見た目は母君そっくりですが、内面の神経質なところはライオネル殿に似ていると思います」
「おいおい。俺のどこが神経質なんだよ?」
サラの指摘を、笑い飛ばすジーン。
「いや、神経質でしょう?」
サラが畳みかける。
「魔物相手に及び腰になったり、私の生活態度にブーブー文句を垂れたり……。例を挙げれば、キリがありません」
「う……」
サラの主張に、押し黙るジーン。
「あ、言ってる間に着きましたよ」
顔を上げて、サラが駆け出す。
「ちょ、待てよ!」
「待ってくださ~い!」
ジーンとナオミが、それに続いた。
◇◇◇◇
「――で、ここがお前の言う浴場か」
眼前の光景に、ジーンが圧倒されていた。
「はい。以前にも何度か来たことがあります」
顔色を変えず、サラが答えた。
果たして、そこは白亜の宮殿であった。
金持ちが多く住む地区にデンと構えられたそこは、高い大理石の外壁に囲われている。
区画の一帯を占有する規模で、広さときたら見当もつかない。
門番が守る鉄の門扉越しには、同じく大理石の建物がそびえ立っていた。
下手な貴族の館より豪勢な施設は、それでも一種のリゾート施設である。
「こ、ここがお風呂屋さん……」
ナオミが息を呑んだ。
「風呂屋と言っても、少し違います」
サラの注釈である。
「ここの湯は、王都で唯一の温泉なのです」
「温泉?」
サラの説明に、疑問符を浮かべるナオミ。
「地下から湯が湧き出すんだよ」
ジーンが胸を張った。
「お湯ですか? 井戸の水は冷たいですけど」
「ぐぅ……」
ナオミの追究に、ジーンは答えられない。
「サラ、頼む」
「まったく、生半可な知識で語るからそうなるのです」
ジーンにバトンを渡され、サラが渋々引き継いだ。
「……時にナオミ、水圧ってご存知ですか?」
「いいえ」
サラが聞いて、ナオミが首を横に振った。
「ふむ、まずはそこからですね」
納得して、サラが続けた。
「川や湖で泳ぐと分かるのですが、水の底へ潜れば潜るほど、四方八方から押し潰すように力が加わるのです。これを水圧といいます」
「へぇ……」
「そして、同じことが地中にも言えるのです。空き箱を地中深くに埋めたら潰れるのは、容易に想像できるでしょう?」
「はい」
「おいおい、待てよ」
サラとナオミの会話に、ジーンが割り込んだ。
「それと温度と、どういう関係があるんだ?」
「いい着眼点ですね。ちょうど今、それを説明するところです」
ジーンの疑問に、頷くサラである。
「ではジーン。貴方の大好きな剣の話です。鍛屋は熱した鉄を叩いて剣を作る、ここまではお分かりですね」
「ああ」
「そうして出来上がった剣ですが、使っているうちに、折れたり曲がったりすることはありますよね」
「そりゃあ武器だからな。俺も折った経験くらいあるぜ」
「で、折れた剣を触ってみてどうでした?」
「どうって……、何か熱かったような……あれ?」
サラの誘導で、ジーンが黙った。
「もうお分かりのようですね。つまるところ、熱と力というのは表裏の関係にあるわけです。ここで話を戻しますが、地中深くになると圧力が高まり、それにつれて岩盤やらの温度も上がるという訳です。これを地熱と言います。温泉と言うのは、地下水がこれに触れてお湯になったものの一つですね」
「へぇ~」
「なるほどなー」
サラの講釈に感心する、ジーンとナオミである。
その時である。
「あの……」
三人に話しかけたのは、門番の男である。
「何か御用でしょうか?」
聞いた門番であるが、ジーンとナオミの様相に戦々恐々である。
「ああ、失礼。今から入れますか?」
サラが言って、ずいっと前に出た。
「い、今からですか?」
門番が訝る。
「サラ・ブラッドフォードが来たと、責任者に取り次いでください」
「サラ・ブラッドフォード……って、あのサラお嬢様ですか!」
「はい」
「という事は、こちらの男性は――」
「ジーン・ファルコナーですね。ついでに、こっちのデカイのはナオミと言います」
「――っ! しょ、少々ここでお待ちを!」
三人の素性を聞いて、門番が中へと走った。
◇◇◇◇
「どうぞ、お通りください」
門番が門扉を開けて、三人を中へと招く。
そんな三人の眼前には、平面幾何学式な庭園が広がっていた。
「このまま真っ直ぐ進むと、建物の玄関に行き着きますので、そこで係の者が案内いたします」
「どうも」
「お疲れさん」
「あ、ありがとうございます」
門番に促され、三人が庭園へ足を踏み入れた。
「しっかし、デカイ敷地だな」
小道を歩きながら、ジーンが言った。
「貴族の屋敷も顔負けだぜ」
「それはそうでしょう」
ジーンの愚痴に、サラが頷いた。
「何せ、王都唯一の温泉ですからね」
「さっき仕組みは聞いたけどよ、普通の湯とはどう違うんだ?」
「どうも薬効があるらしいですよ。もっとも、半分は誇大広告でしょうが……。それに釣られて、貴族や金持ちが好んで選ぶのです」
「ふーん……。だったら、料金を下げた方が客も来るんじゃねーの?」
「そうすると、一般の風呂屋と競合してしまうでしょう」
「あ、そうか。他の風呂屋が潰れちまうな」
「それもありますが、客層が変わると、それに対応する人件費がかかるでしょう? せっかく安くついてるのに」
「うん? なんで安いの?」
「お湯を沸かす手間が無いのですよ。それだけで普通の風呂屋に比べて、大きなアドバンテージです」
「あ、なるほどなー」
サラに説かれて、ジーンが納得する。
「あの~」
二人の会話を、ナオミがぶった切る。
「あそこに立っているのが、係の人でしょうか?」
言って、ナオミが玄関を指さした。
果たして、そこに居たのは老人である。
身長160センチくらいの、小柄な老執事であった。
とは言え、眼光は鋭く、口髭を蓄えた顔は矍鑠としている。
背丈の割には体格も良く、伸びた背筋からは武威が感じられた。
「……何か呑んでやがるな」
執事を見て、分析するジーン。
そんなジーンを置いて、サラが執事に歩み寄る。
「お久しぶりです」
言って、サラが右手を差し出した。
「ようこそおいで下さいました。サラお嬢様」
サラの右手を取って、執事が手の甲に口付ける。
もっとも、実際に唇をつけてはいない。
3秒程でサラの手を放す、華麗なキスハントである。
「突然ですが、今から使えますか?」
「普段でしたら営業時間外ではございますが――」
サラの要求に、執事が答える。
「他ならぬサラお嬢様のためです。混浴でよろしければ、浴場を開けましょう」
「ありがとうございます」
執事のサービスに、サラが礼を言う。
「おい! 混浴って――」
「おお! あなたがジーン様ですね!」
抗議するジーンを押し切って、執事が言った。
「武勇の誉れ高い貴方様にお会いできて光栄です」
ジーンを称えつつ、執事が右手を差し出した。
「え? ああ、どうも」
ジーンが右手で握り返す。
だがしかし、執事の握り方にジーンが顔を顰めた。
「無理を聞いていただき感謝する」
微笑みながら、ジーンが右手に力を入れる。
「……いえいえ」
観念したかのように、執事が力を緩めた。
執事に答えて、ジーンが右手を放した。
「ようこそ『ヴァルハラ』へ。当店は皆さまを歓迎します」
重々しい樫の扉を開けて、執事が三人を招き入れた――。




