第四話 サラとジーン(後編)
◇◇◇◇
サラのフルネームを〝サラ・ブラッドフォード〟と言う。
今でこそ、ハンターに身をやつしているサラであるが、実はこの町を治めている〝ブラッドフォード男爵〟の令嬢である。
もっとも、男爵領自体は人界にあるので、町自体は飛び地である。
サラは才媛であった。こと魔物学においては、その右に出る者はいない。
王都のアカデミーを首席で卒業したサラは、将来を嘱望された学士であった。
その名声は領地を越えて、広く王国中に轟いていた程である。
だがしかし、得てして物事は順調にいかなかったりする。
そのまま学者の道を進むかに見えたサラに、2つの障害が立ちはだかった。
1つは身から出た錆である。
魔物学をこよなく愛するサラは、言い方を換えれば魔物オタクである。
そんなサラの研究姿勢は、専らフィールドワークにあった。
自ら外界に赴き、その目で観察することがサラのモットーである。
ある日の事、サラはそのフィールドワークで標本を採取した。
標本は飛竜の卵であった。
飛竜とは空を飛ぶ竜の亜種である。
腕の部分が翼になっていて、一対の後ろ脚に長い首、そして長い尻尾を持つ魔物であった。
厳密に言えばこの飛竜、亜種に分類されるように、あくまで竜とは違う魔物である。それでも、知能が高い点と執念深い点では竜と同じ上、似通った外見もあって、混同している者が多い。
竜自体へはもちろんであるが、卵への接触はそれ以上の禁忌であった。
学者であろうとハンターであろうと、発覚すれば唯では済まない。
フィールドワークを行っている学者は少ない。
そのせいで、サラの行為はすぐに世間の知ることとなった。
当然、サラも法に照らされるはずだったが、そうはならない理由があった。
まず第一に、飛竜の分類である。
市井の認識はともかく、学問上、飛竜は竜では無い。
竜に分類されるには、吐息を吐けねばならない。
飛竜には、この能力が無かった。
それ故に、飛竜は竜とは別種なのである。
つまるところ、最初からサラを裁く根拠は無かったのである。
もちろん、サラ自身も認識していたからこそ卵を採取したのであったが、偏に学者と役人との認識のズレが生んだ悲劇と言えた。
第二は、サラの身分である。
位階としては最下位の男爵でも、サラの生まれは貴族である。
名誉のため、不祥事はもみ消さねばならない。
実父のブラッドフォード男爵はもちろん、周囲の貴族たちも、事件の隠蔽にこぞって協力した。
こうして、公には卵の件は闇に葬られることになった。
もっとも、人々がそれを忘れたかどうかは別問題ではある。
こうして放免されたサラであるが、事件が収束した矢先、もう一つの厄介事に巻き込まれる羽目となる。
他ならない、ブラッドフォード家のお家騒動であった。
サラの父――ブラッドフォード男爵に妻はいない。
これは別に、男爵が独身を貫いているとか、サラが実は養子であるとか、そういう込み入った話ではない。単純に、病没しているだけである。
サラが巻き起こした騒動に、男爵はすっかり憔悴していた。
そんな男爵が、事態の収拾を図るため、貴族間を奔走している時である。
一人の美女が男爵に近付いてきた。
そんな美女の正体はメイドである。
男爵家に仕えたばかりのこのメイドが、事件の鎮静化に一役を買うこととなった。
何せこのメイド、貴族連中にやたらと顔が効くのである。
しかもである。メイドは今まで奉公してきた貴族に、男爵との渡りをつけてしまった。
実はこのメイド、あちこちの貴族をたらしこんできた、手練の悪女であった。
メイドに手を出した貴族にしても、その後ろめたさから、男爵に協力せざるを得なかったのである。
そんなメイドの目的は、貴族の正妻に収まることにあった。
これまで愛人止まりで終わってきたメイドが、ここに来て最大の機会を得たのである。
こうして、メイドは男爵の後妻に納まった。
メイドもといサラの継母の行動は早い。
男爵の財産を独り占めするべく、サラを辺境の町に追いやったのである。
何せ、サラは騒動の元凶である。
その上、男爵は若くて有能な継母に鼻の下を伸ばしていた。
男爵が継母に靡くのは必然でった。
だがしかし、転んでもただでは起きないサラである。
フィールドワークで培った経験を元に、ハンター稼業を始めたのである。
学者崩れとはいえ、サラの研究姿勢は元々ハンターに近い。
既にその実力は、熟練ハンターの域に達していた。
非力な腕力を補うため弩を得物にしこともあり、単独で仕事をこなせる希少なハンターとして、サラの名声は高まっていったのである。
高名な学士が、偉大なハンターへと生まれ変わった瞬間であった。
そもそも記録の上ではともかく、市井の人間は事件を覚えている。
その上、ほとんどの人間が無実のサラに同情的であった。
これはサラの気飾らない性格も手伝ってはいるが、女にうつつを抜かして、娘をないがしろにする男爵への非難でもある。
とにかく、逆境にも関わらずのし上がったサラは、もはや町の名士である。
遠からず、継母が行動を起こすことは想像に難くない。
今のところ、これがサラにとっての大きな悩みであった。
◇◇◇◇
ここで時刻は、サラが家路につくだいぶ前に遡る。
足早に歩くのは、うだつの上がらないこの男――ジーンである。
「さてと、急がなきゃな」
ジーンの向かう場所は、夕方の市場である。
人がごった返す市場も、そろそろ終わり時である。
すでに店仕舞いが始まっているが、この瞬間こそがジーンの狙いであった。
ジーンはサラの弟子であり、言ってみればハンターの見習いにすぎない。
その懐具合ときたら、常にスッカラカンのオケラである。
マリーの店を早々に出たジーンであるが、サラの酒豪っぷりに辟易したのは事実として、主な理由は閉店間際の特売にあった。
「お、ジーンじゃねーか」
ジーンの向かいから、下っ腹の出た中年男がやって来た。
ジーンより遥かに背の低い中年男は、後ろに車輪がついた屋台を引いている。
「あ、おっちゃん!」
片手を上げて、ジーンが答えた。
「今日はもう来ないと思ってたぜ。はいこれ」
男が言って、ジーンに袋を差し出した。
「おお! ありがとう!」
礼を言って、ジーンが袋を覗き込む。
「これは……鶏ガラだなー。うん! これならいい出汁が取れるよ!」
「喜んでもらえて何よりだ。こんな残り物でいいなら、いつでも言いな。野良犬にくれてやるより余程マシってもんよ」
「あ、ひでえ。俺って野良犬と同列かよ」
「馬鹿。それよりはマシだと言ってるだろ」
「何だそうか。アハハ」
「だろ? ガハハ」
談笑する2人である。
中年男は肉屋であった。時々こうして、ジーンに差し入れをしているのである。
「それにしてもお前さん、出汁から自炊するなんて、男寡にしちゃあ珍しいな」
中年男もとい肉屋が言った。
「そうかい?」
ジーンが聞く。
「そりゃそうさ」
肉屋が答えた。
「いくら貧乏なひよっこハンターだって、大抵は外食で手軽に済ますもんさ。多少値段は張っても、みんなそうするぞ?」
「あー……、俺の場合はちょっと違うね」
肉屋が聞いて、ジーンが否定する。
「どういうことだ?」
「ほら、俺ってデカイじゃん」
「うん? イマイチ要領を得んな」
「いや、だからさ――」
首を傾げる肉屋に、ジーンが掻い摘んで話していく。
「俺くらい大食いだと、外食代って馬鹿にならないんだよなー。一食くらいならともかく、毎日3食分だと、とてもとても……」
「へえ、そういうことか。お前さん、本当にデカイもんな」
ジーンの説明に、肉屋が大きく頷いた。
「そうそう」
相槌を打つジーンである。
「それでさ――」
「あ! そう言えば……」
ジーンが続けようとした時、肉屋が顔を上げた。
「どうしたの?」
「ほら、野菜売りの爺さんとこだよ。婆さんと一緒に、お前のこと待ってたぞ。まだ中央の方にいるんじゃないか?」
「お、それはいけない。それじゃあ、今日はこの辺で。また何かあったらくれよ!」
「ああ、またな」
会話が終わって、二人ともその場を後にした。
◇◇◇◇
新米ハンターのジーンには、とにかく謎が多かった。
そもそもジーンという名前からして、本名かどうか怪しい。
今から遡って、およそ3カ月ほど前のことである。
突然サラに連れられて、ジーンはこの町にやって来た。
ジーンはその出自はおろか、年齢すら不詳であった。
何よりも、ジーン本人が語ろうとしない。
もっとも、こういった隠蔽体質は、辺境に流れてきた人間には、しばしば見られるものである。
どこの馬の骨とも分からなくとも、誰も過去を詮索したりはしない。
これは、辺境という特殊な土地柄の影響である。
辺境に集まってくる人間は、多かれ少なかれ〝訳あり〟であった。
例えば失業者である。
こういう人間は、一発逆転を狙ってハンターになったりする。そうなれば、住む場所は必然的に、魔物のいる辺境しか選べない。
借金で首が回らなくなった者もいる。借金取りが寄りつかない場所と言えば、やはり危険と隣り合わせの辺境である。
訳ありと言えば、御大のサラからして、その代表格と言えた。もっともサラの場合は、過去が詳らかになっている例外ではある。
その他諸々の理由で、第二の人生を辺境で始める人間は多い。
そして、辺境にある町は、こういう訳ありの移住者に寛大である。
隙あらば魔物に人口を減らされるのだから、選り好みはしていられない。
極端な場合だと、軽い犯罪者であれば、新しい戸籍を与えて住民に仕立てることも多い。
とにかく、他人の過去にみだりに触れない――これが辺境の不文律である。
こうして、ジーンもすんなりと受け入れられるはずであった。
だがしかし、いくつもの困難がジーンに立ちはだかる。
最初の問題は、ジーンの見てくれと実態とのギャップであった。
髪や目の色が珍しいのは別として、ジーンは筋骨隆々である。背も高く、顔立ちも相応に整っていた。
こうなれば、年頃の女が放っておくはずもない。
辺境では肉体の逞しさも、男のステータスである。
事実、町に来たばかりのジーンは非常にモテていた。
そうなると、面白くないのは若い男たちであった。
ただでさえ、美少女のサラとバディを組むジーンである。
男たちの嫉妬は一入であった。
嫉妬を余所に、鼻の下を伸ばしていたジーンであったが、すぐに馬脚を現してしまう。
それは、陸海月退治での最中であった。
「ほら、ジーン。触ってみなさい」と陸海月両手に近づくサラに、「キャーッ!」と悲鳴を上げて、ジーンは逃げ出してしまった。
ジーンは魔物恐怖症なのである。
ちなみに陸海月とは、半透明の身体を持った刺胞生物である。ただし、その大きさは一抱えほどある上に、水道インフラを詰まらせる厄介者であった。
とは言え、ハンターでもない一般人ですら容易に倒せる雑魚である。
プロのハンターであれば、陸海月相手に遅れを取ってはいけない。
女たちが愛想を尽かしたのは、当然の成り行きであった。
畳みかけるように、ジーンの災難は続いた。
その専らの原因は、ジーンの卓越したコミュニケーション能力である。
若者に嫌われているジーンでも、別に村八分を食っている訳ではない。
その人懐っこい性格と気さくな人柄もあって、ジーンは年配者からの評判が高い。
お人好しぶりを発揮して、どんな地味な力仕事でも進んで手伝うのであるから、至極当然である。
ハンターに活かせないだけであって、立派な体格はそれに相応しい体力を誇っている。
手間賃代わりの差し入れのお陰で、ジーンは金銭的にはともかく、食べ物には困らなかったりする。
これだけであれば微笑ましいが、肝心の問題はその後である。
年配者は事あるごとに、ジーンを引き合いに出すようになっていた。
何かにつけて、自分の息子や娘に「ジーンを見習え」と説教をかますのである。
ジーンが板挟みになったのは、想像に難くない。
それでも、鷹揚なジーンは細かいことを気にしない。
今日も明日もボランティアに精を出し、サラにヘイコラと着き従うジーンであった。