第四話 サラとジーン(前編)
◇◇◇◇
ジーンが去って、数時間が経った頃。
もう3人組も帰った酒場では、マリーとサラの2人だけが残っていた。
「やっぱあんた、ウワバミだわ……」
サラの向かいで、突っ伏すマリーであった。
テーブルの上には、空のジョッキが無数に置かれていた。そのほとんどが、サラが1人で空けた物である。
「もう限界。参った!」
椅子に仰け反って、マリーが両手を上げた。その顔ときたら、真っ赤に染まっている。
この2人、今の今まで飲み比べをしていたのであった。
「そうですか」
根を上げたマリーに対して、サラは涼しい顔で葡萄酒を飲み続けている。
「ご苦労さまです。もっとも、私は別に競っているつもりは微塵もありませんでしたけど」
「かーっ! 言ってくれるね!」
サラの言い分に、グウの音も出ないマリーである。
「もう駄目! 水だ、水!」
「あっ、でしたら、ついでにもう一杯お願いします」
席を立とうとしたマリーに、サラが追加の注文を入れた。
「まだ飲むのかい!」
サラに目を剥きながらも、マリーは「分かった」と答えながら、千鳥足でカウンターに入っていった。
ピッチャーの水を飲み干したマリーは、サラのために葡萄酒をジョッキに注いでいく。
「それにしてもあれだね」
カウンター越しに、マリーが言った。
「あれとは?」
サラが聞く。
「ジーンだよ。そんなにここに居辛いのかね? ちょっと前までは、あんなに早く帰らなかっただろう?」
席に戻りながら、マリーが聞き返す。
「ああ、それは違います。実はですね――」
マリーからジョッキを受け取り、サラが答える。
「この前、こことは別の飲み屋で飲み比べをしたんですよ。それ以来、私との付き合いは――」
「うん、皆まで言わなくても分かった」
言いかけたサラを、マリーが途中で止めた。
老若男女問わず、サラに挑んだこの町の酒豪は多い。その全てがサラに蹴散らされたのであるが、その後の彼らが取る行動は2つである。
1つは懲りずにサラに挑み続ける者、もう1つは酒を慎む者である。言うまでも無く、マリーが前者で、ジーンが後者であった。
「それで、さっきも早く帰ったのか。うん、せっかくの新人なんだ。やる気が削がれた訳じゃなくてよかったよ」
マリーの心配は、ジーンの職離れである。それは斡旋屋という職業柄でもあるが、偏にマリーの優しさでもあった。
「ああ、ようやく酔いが覚めてきた。覚めてきたついでに思い出したんだけどさ」
「何ですか?」
「あんたらが解決したっていう事件だよ。あれ、結局未解決のままだよね?」
「ほう」
「いや、私が聞いた報告ではさ、行商人が襲われた状況って、竜の痕跡があったはずなんだよ。魔猿の仕業じゃない」
「へえ」
「騙したね?」
「何を失敬な」
問い詰めるマリーを前に、サラは全く動じない。
「いつ誰が真犯人を見つけたと言いました?」
「えっと……」
サラに言われて、マリーは取引を思い出す。サラがしたことと言えば、竜を見つけられなかったという報告と、魔猿の首を渡しただけである。その他に余計なことは、何一つ言っていない。
「あ、きったね。せっかく色つけて払ってやったのに……」
自身の早とちりを悟ったマリーである。
「勘違いした貴女の責任です」
いけしゃあしゃあと、サラが言った。
「……もういいよ。じゃあ、あれかね? 盗賊か何かが竜の仕業にでも見立てたのかね? もしそうなら、噂に聞く〝盗賊狩り〟でも来てくれたらいいのにな」
「……そうですね」
マリーの愚痴に、サラが相槌を打つ。
夜が更けて、時刻はもう明日を迎えようとしていた。
◇◇◇◇
この魔物が闊歩する世界でも、盗賊はしっかりと存在していた。
一口に盗賊と言っても、その目的は様々である。直接金品を奪うことはもちろんのこと、ハンターの獲物を横取りしたり、貴人を誘拐して身代金をせしめようとしたりである。
それだけであれば、一般的な犯罪者に過ぎないが、盗賊はしばしば群れになって町を襲ったりもする。
もっとも、これが旧生態系もとい人界であれば、あまり心配することはない。
王や諸侯の軍隊が、有象無象ごときに遅れを取ることは無い。
問題は新生態系の奥深く、すなわち外界に存在する、飛び地のような町であった。
申し訳程度の街道で人界と結ばれてはいるが、所詮は孤立した町である。補給路を断たれれば、あっと言う間に窮地に陥ってしまう。
こういう町にとって、盗賊は非常な脅威となる。
もちろん、これらの町にしても、何も備えていない訳ではない。
常駐の番兵隊は控えているし、一応どの町も王や諸侯に帰属している。
では何故脅威かと言えば、1つは戦術上の優位である。
およそ戦いにおいて、仕掛ける側が圧倒的に有利である。
盗賊にしてみれば、機動力を生かしてヒットアンドアウェーを繰り返せばいい話であった。
対して町である。補給路が断たれて防戦に徹すれば、ジリ貧になっていくのは必定であった。
さらに言えば、王や諸侯のやる気である。
基本的には、安全圏に引きこもっている支配者層である。そういう人間には、前線の脅威は正しく伝わらない。もっとも、それは王侯貴族に限ったことではなく、広く一般市民にも言えることである。本格的に軍隊を派遣するには、どうしても名分が必要であった。
そもそも、魔物の中には人型も沢山いる。鬼や小鬼の痕跡などは、人間のそれとあまり変わらない。例え事件が起きても、人間の仕業との区別がつきにくい。そういう理由で、新生態系で起こった事件には、人の法を及ぼさないのが不文律である。
王や領主が及び腰になっても、ある意味仕方がない一面であった。
込み入った事情を逆手にとって、好き勝手に暴れ回るのが盗賊である。魔物の仕業に見せかけて、隊商やハンターを襲うことなど、日常茶飯事であった。
実のところ、サラやマリーのいる町も、すこし前までは盗賊に悩まされていた。
ちなみにこの盗賊、魔物の生活圏を根城にするだけあって、元ハンターが多い。要するに、魔物相手に食いっぱぐれた落ちこぼれである。
こういった場合、事態は町の人間で片をつけねばならない。より具体的に言えば、ハンターの不始末はハンターに拭わせるのである。
だがしかし、そんな盗賊連中を、恐怖に陥れた者がいた。
マリーが言った謎の戦士――通称〝盗賊狩り〟である。
今より1年前に、それは彗星のように現れた。まるで誘蛾灯に引き寄せられる虫のように、〝盗賊狩り〟は次々とその根城を潰して回ったのである。
正体は杳として知られていない。分かっている事と言えば、〝盗賊狩り〟はその名前の通り、盗賊のみを襲うという事と、得物に剣を使うという事である。
何せ、証言する者がいないのである。使う得物にしても、盗賊の死体を見分して分かったに過ぎない。万が一生き残りがいたとしても、盗賊に身を落とした人間が、わざわざ救世主の存在を教えて回るメリットはない。
とにかく、〝盗賊狩り〟は盗賊を殺して殺して、殺しまくったのである。
〝盗賊狩り〟を指して、ある者は「盗賊に恨みを持つ復讐者だ」と言い、またある者は「新種の魔物の仕業だ」と邪推した。
そんな喧々諤々な議論の中にあって、突然〝盗賊狩り〟は姿を消したのである。
「遂にやられたか」
「これでまた盗賊が湧くな」
こう言って町の人間が落胆する中、サラがジーンを連れてきたのであった。それも、ハンターとしてはとびっきり役立たずの人間である。
ジーンに対する風当たりの遠因である。
◇◇◇◇
「それじゃあ、気を付けて帰りな……って、あんたには余計なお世話か。もちろん、色々な意味でだけど」
「いえ、ご厚意感謝します」
店の前で別れるサラとマリーである。
「それじゃあね」
「ええ、また来ます」
マリーが店に入ったのを見届けて、サラが夜道を歩き出す。
石畳が敷かれた道の端には、10歩くらいの間隔で、金属製のポールが立っている。人が見上げる高さのポールであるが、その先っぽにはカンテラが付いていた。
カンテラの先には火の点いた蝋燭が入ってて、とどのつまり、これらは街灯であった。
「ふむ」
顎先に手をやって、サラが街灯の前で立ち止まる。
「もう少し人界に行けば、オイルランプが使われるのですが……」
シゲシゲとカンテラを観察するサラである。
「道先案内人を雇わなくていいだけ、マシな部類でしょう。クソ田舎の町にしては、上出来なインフラですね」
毒づいて、再び歩き出すサラであった。
「それにしても、問題が山積みです」
独り語ちて、サラが空を見上げた。
満点の星空が、そこにはあった。キラキラと光る星が集まって、大きな光の川を作っている。
「……天の川ですか。何度見てもいい物です。都では、中々お目にかかれませんね。まあ、これを堪能できるだけでも、辺境に来た価値があるかもしれません」
感傷に浸ってサラが続けた。
…――…――…――…
外界に接する人間の居住圏を、総じて辺境と言う。
そういった場所はともかくとして、人界ではオイルランプが街灯の主流である。
その明るさときたら、蝋燭とは比較にならない。
もちろん、辺境でも使われるオイルランプであるが、やはり高級な品である。
使われているケースは、主に室内の灯りとしてである。
では外界ではどうかと言えば、ハンターは安価で使い捨ての松明を使うし、そもそも夜の狩り自体あまりやらない。
例え、ハンターの事情を差し引いてもである。
オイルランプを街灯に回す余裕は、辺境には無かった。
むしろ、街灯があるだけで恵まれている。酷い場合には、夜道を歩くために専門の人間――道先案内人を雇う必要さえあった。
それに対して人界の町である。明るいオイルランプに支えられ、不夜城と化している場合が多い。
所狭しと並んでいる建物のせいで、見上げる空も狭かったりする。
こういった町では、夜空を満足に眺めることすら難しい。
蝋燭の仄暗い灯りを頼りに、サラは家路を急いでいた。
「おや?」
正面から来る人の気配に、サラがサッと身構えた。治安のいい町ではあるが、不埒者がいないわけではない。
後ろ越しに回されたサラの片手には、刺突に向いた両刃の短剣――一本の短剣が握られている。
「ああ、お二方ですか……」
人影を見て、サラが緊張を解く。
果たして、現れたのは1組の老夫婦であった。
亭主が引く荷車には、夫人が座っている。
「おお、これはサラお嬢さま」
荷車を停めて、亭主が顔を上げた。
「あらあら、今日はまた随分遅いお帰りですね」
荷車を降りて、夫人が言った。
「〝お嬢様〟はやめて下さいよ。おや、今日の野菜は完売ですか?」
荷車を覗き込んで、サラが聞く。
この老夫婦、サラとは旧知の野菜売りであった。
「ええ……と言いたいところですが」
「ああ、なるほど。外からの流通が滞って品薄なのですね」
言葉を濁す亭主に、サラが受けたばかりの依頼を思い出した。
「流石はサラお嬢様です」
「ええ、ホントに。王都帰りのエリート様なだけはありなさる」
亭主と夫人が順番に言った。
「……お褒め頂き恐縮です」
「あ、そうそう」
サラが言うと、夫人が思い出したかのように切り出した。
「きっちり売り切れたのは、ジーンのお陰なのです。ろくに売り物にならない屑野菜ばかりで、申し訳なかったのですが、本当にあの子は人の事ばかり気にかけて……」
「そうですか、ジーンが……」
夫人に答えると、サラは2、3他愛もない会話をして、その場を後にした。