第七話 綱引きと戦い(前編)
◇◇◇◇
「くそっ! こんなことなら、さっき逃げなければ良かった」
ジーンが悔いるのは、サラとの問答から逃げた件である。
そんなジーンの手には、鍵縄の付いたハムが抱えられていた。
「ほら、ボケっとしてないで早く」
「分かってるって!」
サラに急き立てられ、ジーンが荒地を進む。
向かう先は当然、例の捕食ポイントである。
そして、ジーンが20メートル程進んだ時――。
「なあ?」
振り返るジーン。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
途中で地虫に襲われる可能性を、ジーンは危惧していた。
「大丈夫ですって」
サラの言葉である。
「捕食ポイントは一カ所しかありません。それに、場所も開けているでしょう? 貴方の反射神経なら、十分に対応可能です」
「よしっ! その言葉信じてるからな!」
サラに押されて、ジーンが再び歩き出す。
「おいおい」
「何か、あの竜殺しって……」
「ちょっと頼りなくね?」
「だよな?」
ジーンのヘタレな本質に、外野が気付き始めた。
「くそっ!」
後ろを振り返らず、ジーンが悪態をついた。
「みんな好き勝手言いやがって! ぐちゃぐちゃ文句言うんだったら、誰か代わってくれよな!」
ぶつくさ言いながら、ジーンがポイントへ足を進めた――。
そんなこんなで、ポイントの手前まで来たジーンである。
「確かに、近くで見ると違和感あるかもな……」
10メートル先の地表を見て、ジーンが零した。
茶色い地面の内、2メートル四方だけが灰色を帯びている。
「それで、これを投げるんだったな」
言って、ジーンがハムを構えた。
「せいっ!」
ハムを放り投げるジーン。
綺麗な放物線を描いて、ハムはポイントの近辺に落ちた。
だがしかし、特に反応はない。
辺りはシーンと静まり返っている。
「……うん?」
ジーンが首を傾げた。
「おーい! 何もねーぞ!」
遠くのサラに向かって、ジーンが語りかけた。
「何回か試してみてください! 出来れば、ハムを引き摺って、もっと音を立てた方がいい!」
「へいへい」
サラの指示に、ジーンが従った。
もっとも、その返事は小声で、サラには届いていない。
「よいしょっと!」
ズルズルと引き摺って、手元にハムを手繰り寄せるジーン。
「せいっ!」
もう一度、ジーンがハムを投げた。
放物線を描いて、ハムが落ちた。
その時である。
『ピギャーッ!』
奇声と共に、ジーメンから何かが飛び出した。
「うわっ!」
縄を手放して、ジーンが尻もちをつく。
飛び出した何かは、そのままハムへと噛り付いた――。
◇◇◇◇
そして、隊商のいる場所である。
「おお!」
「何だありゃ?」
「気持ち悪ぃな」
「すげー……」
「ブラッドフォード嬢、あれがひょっとして?」
全員が唖然とする中、商人がサラに振った。
「サラでいいですよ」
サラが答える。
「ではサラ殿、ひょっとしてあれが――」
「ええ」
言い直した商人に、サラが同意する。
「あれこそが地虫、それも最大級の個体です!」
サラの発言に、全員が生唾を飲み込んだ。
「さあ、皆さん!」
サラが続ける。
「ボケっとしてないで、ジーンが戻ってきたら綱引きですよ!」
サラの一声で、全員が縄に取り付いた。
一方でジーンである。
「おお……」
へたり込んで、ジーンが地虫を見上げた。
「な、なんちゅーデカさだ……」
ジーンの言う通り、地虫は迫力満点である。
乗り出した上半身だけでも5メートルはあって、その地肌は赤黒い。
だがしかし、そんな地虫はハムを飲み込むのに夢中で、ジーンを気にも留めていない。
「なんかキモイな……」
そして、ジーンが地虫を眺めている時である。
「ジーン!」
サラの声が響いた。
「さっさと戻ってきなさい!」
「お、おう!」
サラに急かされ、ジーンが立ち上がった。
その時である。
『シャーッ!』
ジーンの方を向いて、地虫が鎌首をもたげた。
「な、何だ?」
身構えるジーン。
『シュッ!』
「うわっ! な、何だこれ?」
地虫の口から触手が伸びて、ジーンの左腕に巻き付いた。
「しまった!」
サラの悲鳴である。
「ど、どわーっ!」
ジーンが地虫に引き摺られる。
だがしかし、ジーンの身体能力は伊達ではない。
「こ、このっ!」
飲み込まれる寸前で踏ん張って、ジーンが大勢を立て直す。
「ミ、ミミズ如きに舐められてたまるか!」
渾身の怒りと共に、ジーンの拳が唸りを上げる。
「うらーっ!」
『ピギィィィッ!』
ジーンのアッパーカットを食らって、地虫が触手を放した。
「うわっ! 何だこれ? キモっ!」
粘液を振り払って、泡を食うジーン。
「ジーン!」
二度目のサラの呼びかけである。
「今行く!」
サラの下に、ジーンが駆け出した。
◇◇◇◇
そして、隊商の面々である。
「おい、今の見たか?」
「ああ」
「スゲーな……」
「あんなの人間業じゃねーぞ」
全員の感心は、先ほどジーンが放ったアッパーカットである。
こうして、本人の与り知らないところで、株を持ち直したジーンであった。
「さあ、皆さん!」
走ってくるジーンを見て、サラが言った。
「地虫が巣に引き返しますよ! 縄を引っ張ってください!」
「おう!」
「りょーかい!」
「分かりました!」
「よし! みんな気合い入れろ!」
サラに答えて、全員が一丸となる。
ロシナンテに鞭が入り、盛大な綱引きが始まった。
「オーエス! オーエス! ほら、皆さん頑張って!」
発破をかけるサラである。
だがしかし、事は上手く運ばない。
「うわわっ!」
「駄目だこりゃ」
「引き摺られる!」
「何て力だ!」
健闘空しく、地虫に引き摺られる隊商であった。
「サラさん! これ無理です~」
ナオミが泣き言を垂れた。
『フーッ! フーッ!』
ロシナンテの息も荒く、樋爪が地面に食い込んでいる。
「くっ!」
サラが親指を噛んだ。
「これは、予想以上の怪力ですね……」
サラがぼやいた、その時である。
「ぜぇぜぇ……。今戻ったぞ」
息を切らして、ジーンが帰って来た。
「遅い!」
「おいおい、いきなりひでーな」
怒れるサラに、ジーンが肩を落とした。
「さっき化け物と殴り合ったばかりだぞ。ちょっとは労ってくれてもいいだろ」
文句を垂れるジーン。
「はいはい。ご苦労様です」
「お前な……。もうちょっと言い方ってもんが――」
「とにかく、今は目先のことに集中してください。貴方も綱引きに参加して」
「いや、まあ、それは分かったけどよ……」
答えながら、ジーンがサラをジッと見つめた。
ジーンの不満は、サラの態度である。
さっきから音頭を取るばかりで、サラは綱引きに参加していない。
性別と体格を逆手にとって、サラは楽を決め込んでいた。
とは言え、ジーンにそれを指摘する度胸はない。
「何か?」
「……いや、別に何も」
睨み返すサラから、視線を外すジーン。
「よし! いっちょ手本を見せてやるか!」
右腕をグルグル回して、ジーンが縄を握った。
「それっ!」
掛け声と共に、ジーンが力を入れる。
ジーンの腕と太腿が、大きく盛り上がる。
その途端、綱引きは均衡を保った。
「どっこいしょ!」
ジーンがもう一度力を入れた時、遂に隊商側が優勢になった。
「す、すげー」
「こっちも何て怪力だ」
「これが竜殺しか!」
「まったく、信じらんねーぜ!」
ジーンの活躍に、にわかに活気づく隊商である。
地虫がズルズルと、地表へ引っ張り出されて行った――。
そして、地虫が全長の3分の2ほどを露出した時である。
「むっ!」
ジーンが顔を顰めた。
「どうしたのです?」
サラが聞く。
「いや、いきなり抵抗が強くなったような……」
ジーンの言う通り、再び拮抗し始めた綱引きである。
「それはそうでしょうね」
サラが納得する。
「ど、どういうことですか?」
ナオミの疑問である。
「出入口近辺で、尻尾を巻きつけているのでしょう。最後のあがきですね」
「で、どうするんだ?」
しれっと言うサラに、ジーンが聞いた。
「誰か地虫のどてっ腹をぶっ叩いてください。そうすれば、ショックで力が緩むはずです」
サラの発言に、全員が無言となった。
「……お前は行かねーの?」
勇気を振り絞った、ジーンの指摘である。
「私が使える武器はありません。この場合、でかい鈍器でぶん殴るのがいい」
もっともらしく、拒絶するサラ。
「貴方はどうなのです?」
ジーンに向かって、サラが切り返す。
「あのな……」
言って、ジーンが呆れる。
「本音を言うと、行きたくねーのは事実だけどよ――」
ジーンが続けた。
「俺が抜けたら、誰がこの綱引きを支えるんだ?」
「それもそうですね……」
ジーンの言い分に、納得するサラである。
「あの~」
おずおずと、ナオミが口を開いた。
「よかったら、私が行きましょうか?」
「え?」
「え?」
ナオミの申し出に、ジーンとサラが続けて言った。




