第五話 商人と交渉(後編)
◇◇◇◇
森を抜けた先には、平原が広がっていた。
草地を突っ切るように、街道が小高い丘に向かって伸びている。
ちなみに、ここは以前、ナオミが火蜥蜴を狩った場所でもある。
「止まって下さい」
サラが隊商を止めた。
「ジーン、遠眼鏡を」
「お、おう」
サラの指示を受け、ジーンが遠眼鏡を手渡した。
「うーん……」
「どうしたんだ?」
一心不乱に覗き込むサラに、ジーンが聞いた。
「火蜥蜴が少なすぎる。あ、これどうも」
サラが答えて、遠眼鏡をジーンに返した。
「あー……、あの馬鹿でかいトカゲか。それがどうかしたか?」
ジーンが尋ねた。
「この季節には、火蜥蜴の活動は活発になるのです。どうにも違和感を禁じない」
「少ないなら少ないで、逆に好都合じゃねーか」
「それはそうですが……」
「そういえば――」
サラとジーンの会話に、商人が割って入った。
「わしが南へ行ったのは、春先のことじゃったが、その時でも火蜥蜴とやらは、もっといたはずじゃ。確かに、今日は異常なほど少ないぞ」
「じゃあ、何が起こってるんだ?」
商人の回想に、ジーンが首を傾げた。
「可能性は二つあります」
サラが切り出す。
「第一に考えられることは、ハンターの乱獲です。少し前になりますが、私が斡旋所で火蜥蜴を焼いて食べたことがあるのですよ。ひょっとすれば、それが原因かもしれません」
サラの推測は半ば当たっていた。
身を以ってサラが安全を証明したせいで、巷では食材として密かなブームの火蜥蜴である。
とは言え、大人気という訳ではないので、乱獲があったとまでは言い切れない。
「もう一つは、火蜥蜴を食べる魔物が現れた可能性ですね」
「アレを食べるって……。さっきの魔狼とかか?」
「いいえ」
ジーンの問いに、サラが首を横に振った。
「魔狼は火蜥蜴の毒を避けます。もっとも、火蜥蜴の方も成体の魔狼は襲いませんが……」
「じゃあ、何だって言うんだよ?」
煮え切らないサラに、ヤキモキするジーン。
「未確認の魔物が出現した虞があります。もっとも、それが新種かどうかまでは分かりかねますが……」
「マジかよ……」
サラの推測に、ジーンが青ざめた。
「まあ、じっとしていても始まりませんしね」
言って、サラが隊商に向き直った。
「いいですか皆さん!」
「うん?」
「何だ何だ?」
サラの呼びかけに、大勢がどよめいた。
「今から移動を開始しますが、決して街道から外れないように! それと、武器を扱える人は警戒を怠らないようお願いします!」
「はいよ!」
「分かりました!」
サラの指示に、銘々が武器を取り出した。
ある者は素槍の鞘を外して、またある者は弩を装填した。
変わったところでは、投槍器を構える者もいた。
旅慣れているだけあって、皆そろって慣れた手つきである。
「はてさて――」
弾弓に鋼球を装填して、サラが続けた。
「鬼が出るか蛇が出るか、いやはや楽しみですね」
「俺は全然楽しくねーよ……」
歩き出すサラに、ジーンが続いた。
◇◇◇◇
先陣を切って、サラとジーンが突き進む。
二人の役目はずばり、斥候であった
地面は土が見えていて、10センチほどの草が疎らに生えている。
抜けるような青空で、魔物がいることを除けば、明媚な風景であった。
「今のところ問題はありませんね」
丘を登りながら、サラが独り言ちる。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
汗だくになって、ジーンが追いすがる。
「何ですか。まったく、ヒーヒー言って情けない」
「朝から言おうと思ってたんだけどな……」
にべもないサラに、ジーンが眉根を寄せた。
「自分の荷物くらい自分で持てよな!」
担いでいる背嚢を指さして、ジーンが言った。
ジーンの背嚢は特大で、サラの荷物が詰め込まれてパンパンである。
「出がけに貴方も承知したでしょうに」
「確かに、重い荷物を持ってやるとは言ったけどな――」
サラの主張に、ジーンが青筋を浮かべた。
「それは共用品に限っての話だろうが。俺の持ってるやつって、お前の私物ばかりじゃねーか!」
ジーンの言う通り、荷物の大半はサラの私物であった。
衣類に学術書、果ては化粧品に至るまで、ジーンは持たされていたのである。
その重量ときたら、優に50キロを越えていた。
ジーンの不満は一入である。
「まあ、そう言わずに――」
丘の頂上で、サラが足を止めた。
「どうした?」
ジーンが聞く。
「1キロほど先に、何かがいますね。ジーン、遠眼鏡を」
「はいよ」
サラの要求に、ジーンが遠眼鏡を手渡した。
「さて……」
そして、サラが遠眼鏡を覗こうとした時である。
「あれくらいなら、普通に見えるけどなー」
「……何ですって?」
ボソリと言ったジーンに、サラが振り向いた。
「それは本当ですか?」
「ああ。小さい人型の魔物が3匹、街道に陣取っているぜ。えーっと、何か2匹だけ、鉈とか斧で武装してやがるな。多分だけど、小鬼ってやつじゃねーの?」
サラの追及に、ジーンが答えた。
「どれ……」
サラが再び、遠眼鏡を目に当てた。
果たして、そこにいたのは3匹の小鬼であった。
茶色い肌をした小鬼の内2匹は、人間から奪ったらしい鉈と、自分で作った石斧を持っている。
「……驚きました」
遠眼鏡を下ろして、サラが言った。
「凄い視力です。やはり、貴方人間離れしていますね」
「いや、俺の視力がいいのは事実だけどよ――」
褒めるサラに、ジーンが続けた。
「多分、お前の視力が落ちてる」
「え?」
ジーンの指摘に、サラの目が点になる。
事実、レポートにかまけたせいで、サラの近視は進んでいた。
「ふむ、確かに落ちているようです。これは由々しき問題ですね」
遠くを見比べながら、サラが視力の低下を自覚する。
「よかったら、アイツらは俺が殺ってやろうか?」
相変わらず、人型には強気のジーンである。
「いえ、それには及びません」
サラが申し出を断った。
「このままでは、私のハンターとしての沽券に関わる。小鬼は私が始末しましょう。ジーン、背嚢を寄こしてください」
「お、おう」
サラの指示に、ジーンが背嚢を下ろした。
「どうも。えっと、確かこの辺に……」
ゴソゴソとサラが背嚢をまさぐった。
「有った! これです」
果たして、サラが取り出したのは、草で作った蓑である。
「何だそれ?」
「草むらに擬態する道具ですよ。よっと……」
ジーンに答えながら、サラが蓑を被った。
「どうです?」
「どうって言われてもな……」
見せびらかすサラに、ジーンが言いよどむ。
それもそのはず、今のサラを例えるなら、さしずめ『ミノムシお化け』である。
「……まあ、いいでしょう。とっとと片付けてきます」
言って、サラが弾弓を構えた。
◇◇◇◇
「それでは—―」
「ちょっと待て!」
行こうとするサラを、ジーンが呼び止める。
「草むらに擬態するって、要は街道を逸れるってことだろ? それって危なくねーか?」
ジーンの疑問である。
安全確保のため、サラは街道から外れないよう隊商に注意した。
「ああ、そのことですか」
言って、サラが続ける。
「あまり大回りしないように心がけます。奥に踏み込まなければ、大丈夫でしょう。見たところ、魔物の形跡はありませんしね。それに――」
「それに?」
「貴方がいるから出来ることなのですよ。万が一何かに襲われたら、助けに来て下さい」
「……まったく」
他力本願なサラに、ジーンが呆れた。
「下り坂で、1キロ弱ってとこか……」
小鬼との距離を測って、ジーンが独り言ちた。
「2分だ。何かが襲ってきても、2分だけは自分で持ちこたえろ。それと――」
続けながら、ジーンが革鎧を脱いで軽装になった。
「あまりにデカかったり、正体不明な魔物だったら話は別だぞ。竜なんて出てきたら、それこそ論外だからな」
「構いません。では、行ってきます!」
ジーンとの約束を取り付け、サラが勢いよく駆け出した。
「おお! サラのやつ、結構やるじゃねーの!」
サラの隠形に、ジーンが目を見張った。
一瞬にして、サラは草むらに紛れていた。
ゴソゴソと移動を始めたサラであるが、ジーンの目をもってしても、景色に上手く溶け込んでいる。
隙を見て飛び出したかと思えば、匍匐前進で進んで、また別の草むらに飛び込んでいくサラであった。
そんなことを繰り返して15分が経ち、いよいよサラと小鬼との距離が縮まった時である。
「ここからが見物だな」
望遠鏡を覗きながら、ジーンが生唾を飲み込んだ。
一方でサラである。
既に小鬼との距離は、100メートル程になっていた。
「ここからが正念場ですね……」
小声でサラが呟いた。
サラの隠れる草むらから先は、完全に開けた場所である。
ここから先は匍匐前進で進んで、出来るだけ距離を詰めねばならない。
「行きますよ」
自分に言い聞かせながら、サラが草むらから這い出した。
『ギャアギャア!』
『ガーガー!』
『グアッ!』
三匹の小鬼は諍いに夢中で、サラの接近に気付かない。
「ここらが限界ですか……」
残り30メートルになったところで、サラが弾弓を構えた。
狙うのは、サラから見て正面の、鉈を持った小鬼である。
「よし!」
サラが引き金を引いた。
鋼球が真っ直ぐ飛んで、小鬼の額を叩き割る。
『ガア?』
『グア?』
突然倒れた仲間に、理解の追い付かない2匹である。
そして、サラは立ち直る機会を与えない。
蓑と弾弓を捨て、サラが小鬼目掛けて駆けだした。
『ギイッ!』
サラに気付いて、小鬼の片割れが石斧を振り上げる。
「その意気や良しです!」
小鬼に答えて、サラが短剣を抜いた。
サラと小鬼が交錯する。
『カ、カハッ!』
口から血を吹いて、小鬼が倒れた。
その喉元には、短剣が突き刺さっている。
『ヒ、ヒイッ!』
丸腰の小鬼が逃げ出した。
「待ちなさい!」
サラが追おうとするも、短剣を引き抜く暇はない。
「ちっ!」
舌打ちをして、サラが投矢を放った。
非力が祟って、大きく放物線を描きながらの投擲である。
だがしかし、投矢は見事に小鬼の肩口に刺さった。
『ゲ、ゲホッ!』
毒が回って、小鬼は意識を手放した――。




