第五話 商人と交渉(前編)
◇◇◇◇
馬車の上で陣取るのは、四足歩行の魔物である。
「魔狼ですね」
冷静に距離を取って、サラが言った。
黒い毛皮の狼型のそれは、間違いなく魔狼であった。
「このっ! また現れやがったか!」
商人の護衛が素槍を振りかざす。
『グルルル……』
唸りながら、魔狼が護衛を威嚇した。
「うっ!」
魔狼の迫力に、護衛は攻撃をためらった。
その一瞬の隙を突いて、魔狼が馬車から飛び降りた。
果たして、魔狼は穀物袋を咥えている。
「い、いかん!」
商人が悲鳴を上げるも、もう遅い。
瞬く間に、魔狼は森の奥へと消えて行った。
「あいつを追え! 袋を取り戻すのじゃ!」
護衛に向かって、商人ががなり立てる。
「いけません!」
割って入ったのはサラである。
「魔狼を侮ってはいけない。荷物はくれてやるべきです!」
「お嬢ちゃん、少し黙っていてはもらえんかの」
サラの忠告を、商人は切って捨てた。
「最初から聞けん相談じゃよ。あの穀物にどれほどの価値があると思う? 一つたりとも無駄には出来んのじゃ」
聞く耳を持たない商人であった。
「お前たち早く行け! 取り戻した者には、たんまりと褒美をくれてやるぞ!」
「よっしゃ!」
「いや待て! 俺が行く!」
「てめぇ! 抜け駆けすんな!」
「早いもん勝ちだろう!」
「待てーっ!」
商人の発破に、5人の護衛が我先にと駆けだした。
「何と愚かなことを……」
森に消えた5人を見て、サラが呆れた。
「心配いらんよ」
余裕綽々の商人であった。
「あの5人は元々腕っこきの傭兵じゃ。犬っころ如きに後れは取るまいて」
商人が言った、その直後である。
「ギャーッ!」
「うわーっ!」
「く、来るなーっ!」
「は、離せ!」
「た、助けてくれーっ!」
5人の悲鳴が、周囲に木霊した。
「何事じゃ?」
商人がうろたえた。
「……おびき寄せられたのです」
サラがボソリと言った。
「どういうことじゃ?」
「肉食の魔狼が、穀物なんて食べる訳ないでしょう。人間を仲間のところまでおびき寄せて、タコ殴りにされたのです」
「じゃが、行きは簡単に追い払えたぞ?」
「荷物は何でしたか?」
商人の疑問に、サラが聞き返す。
「壺とか甕とか、王都名物の陶磁器の類じゃ。南方で高く売れるからの」
「それ、口で咥えて奪えませんよね?」
自慢気味な商人に、サラの指摘である。
商人が「うっ――」と言葉に詰まった。
「それに、簡単に追い払えたと仰っていましたが、あの護衛たちも随分調子づいていたのでは? 魔狼(ハティ―)は記憶力がいい。その油断を突かれたのですよ」
「何ということじゃ……」
そうして、商人が頭を抱えた時である。
「た、助けてくれ……」
茂みから、護衛が一人這い出てきた。
鋼鉄の籠手が拉げて、手がボキボキに砕かれていた。
顔の皮膚まで半分剥がされて、歯茎が剥き出しである。
「ひいっ!」
商人が尻込みする中、旅人の男が一人「大丈夫か?」と駆け寄った。
「もう遅い」
サラが言った時である。
「ギャーッ!」
魔狼に足を噛まれて、護衛が森へ引き摺りこまれた。
「うわっ!」
旅人が尻もちをついた。
一際大きな悲鳴が聞こえて、森は静寂を取り戻した――。
◇◇◇◇
「わ、わしはこれからどうしたら……」
商人が頭を抱えた。
隊商においては、常に商人が采配を振るのが習わしである。。
今回の隊では、この太った商人こそがリーダーであった。
他の旅人は、雑役を買って出る代わりに仲間入りを許された、言ってみればお邪魔虫である。
だがしかし、商人の護衛は全滅した。
リーダーの座を譲るだけならともかく、護衛を無駄死にさせた以上、求心力の低下は甚だしい。
最悪、いつ切り捨てられても不思議ではない。
「もしもし」
戦慄く商人の肩を、サラがトントンと叩いた。
「よろしければ、護衛やりましょうか?」
「本当か? と言っても、お嬢ちゃんじゃのう……」
サラの申し出を、商人が渋った。
行きずりな身のせいで、商人はサラの顔を知らない。
「ああ、私たちをご存じないのですね。ジーン! こっちへ来なさい!」
「え? 俺?」
サラの呼びかけに、ジーンが答えた。
魔狼が現れた瞬間、ジーンはサッと距離を取っていた。
まだまだヘタレの気が抜けていない証左である。
「ほら、早く!」
商人の前に、サラがジーンを引き摺った。
「さて――」
ジーンを指さして、サラが続ける。
「貴方もご存じでしょう? このデカいのが、ジーン・ファルコナー――私の連れです。ほら、ジーン」
「あ、ども。ジーン・ファルコナーです」
サラに促され、ジーンが頭を下げる。
「おおっ! ジーン・ファルコナーとな! 聞いたことがあるぞ。確か、竜殺だったか……!」
商人が目を剥いた。
「ジーン・ファルコナーだって!」
「あ、あのムキムキマッチョが……」
「あれ? みんな知らなかったの?」
隊商の面々が、一斉に騒めきだした。
流浪の者も多いため、全員がサラたちを知っている訳ではない。
「そして――」
サラが続ける。
「あっちの南部商業者連盟の馬車を守っているのが、最近話題の『牛頭人のナオミ』です。ちなみに、二人とも私の子分みたいなものです」
「あ、こ、こんにちは!」
サラに言われて、ナオミがペコリと頭を下げた。
「『牛頭人のナオミ』だと!」
「聞いたことがある。何でも素手で牛頭人を殴り殺したとか……」
「って言うか、あのデカさで女だったのか」
ジーンの時と同様に、どよめいたその他大勢であった。
「おい、コラ。誰が子分だ」
当然のごとく無視された、ジーンの抗議である。
「そ、そんな二人を従えているお嬢ちゃんは一体?」
おずおずと商人が聞いた。
「よくぞ聞いてくれました!」
勿体付けて、サラが答える。
「私の名はサラ・ブラッドフォード。少し前までは、王都のアカデミーで魔物学を学んでいた、ブラッドフォード男爵の跡取りです」
「おおっ! ブラッドフォード家のご令嬢か!」
胸を張るサラに、商人が目を丸くした。
「おや? ひょっとして、父をご存じなのですか?」
サラが首を傾げた。
「父君には、いつも世話になっておる」
「はあ……」
「美術品を大量に買ってくださるのじゃよ。ああ、ブラッドフォード家と言えば、先日母君がお亡くなりになったと聞く。こんな所でなんじゃが、お悔やみを申し上げる」
「……ありがとうございます」
商人の申し出を、サラは謹んで受けた。
ブラッドフォード家のお家事情は、あまり外部に知られていない。
一瞬眉をひそめたサラであったが、気取られずに済んだのは幸いであった。
◇◇◇◇
「サラ・ブラッドフォードって、いつぞやの飛竜騒ぎのお嬢様かよ」
「でも、あれ本人は悪くないって聞いたぜ?」
「そういえば、竜殺しと一緒にいるとかで、また有名になっていたような……」
周囲の喧噪を余所に、サラが「さて――」と商人に詰め寄った。
「ここで会ったのも何かの縁。よろしければ、我々に任せてもらえませんか?」
「いやいや。むしろ、こちらからお願いしたいくらいじゃて。高名なあんたらを雇えるなら、いくら払っても惜しくはない」
自信満々なサラに、商人が下手に出た。
その時である。
「ほほう……」
サラの目が、怪しく光った。
「では、商談といきましょうか」
サラが言って、商人に10人分の金額を提示した。
こうして、護衛料金をボッタくったサラである。
少し後悔した商人であったが、全て後の祭りであった。
ようやくをもって、隊商が動き出した。
先頭にサラとジーンが立って、商人の馬車が後ろに続いていた。
「なーなー」
サラに向かってジーンが聞いた。
「何ですか?」
サラが聞き返す。
「前から聞こうと思って、忘れてたんだけどよ……。あのな、その……、けけけ、結婚のことなんだけどよ――」
言いにくそうに、ジーンが続ける。
「ど、どこまで本気なんだ?」
問いかけるジーンの顔は赤い。
「全部本気ですよ」
「そ、それって……!」
堂々としたサラから、ジーンが生唾を飲み込んだ。
「私は後ろ盾が欲しいのです」
「は?」
サラの切り返しに、ジーンは付いて行けない。
「アカデミーを追い出されて以降、私は学んだのです。およそ学問において、実力が要るのはもちろんですが、世俗の権力はあるに越したことはない」
「え?」
「私の家みたいな田舎貴族は、金だけはありますからね。それに加えて、ナオミと貴方の名声でしょう。全部が合体すれば、そこらの伯爵家など足下にも及ばない権力が手に入る。私もこれで、じっくりと魔物研究に打ち込めるというものです。とにかく、貴方のお見合いだけは阻止しなければ。私の野望が果たせなくなってしまう」
「ちょ、ちょっと待て!」
自己中心的なサラに、ジーンの顔は蒼白である。
「ああ、出来れば夫婦生活はナオミとやってください。貴方に跨るのとか、ものすごく面倒くさそうなので。ついでに言えば、孕むのも嫌なんですよね……。腹の中に別の生き物がいるのって、なんか寄生虫みたいで気持ち悪い」
「……」
サラの言い草に、ジーンはすっかり黙りこくった。
「どうしました? 急に静かになって」
ジーンの様子を、サラが訝った。
「いやなに――」
言って、ジーンが続ける。
「『抱かれる』と言わないところとか、赤ん坊を寄生虫に例える辺りが、何かとてもお前らしいなー、と思ってな……」
苦虫を噛み潰したような顔のジーンである。
直接文句を言わない辺り、これもヘタレの表れと言えた。
さしてサラである。
「……? それはどうも」
サラは首を傾げただけであった。
今ひとつ、サラは要領を得ていない。
北に向かって、隊商が森を抜けようとしていた――。




