第三話 斡旋所と女主人(後編)
◇◇◇◇
建物の扉をくぐれば、小窓が待ちかまえている。
大きさは互いに会話できるくらいで、隣には奥へと続く扉がもう1つあった。
「もしもし」
少女が言って、小窓を覗き込む。
「はいよ」
顔を出したのは、年若い女であった。
長い赤髪を後ろで束ねた、褐色の肌を持つ美女である。
目は三白眼の琥珀色で、少しキツイ印象を受けるものの、この辺りに多い特徴であった。
「お、サラお嬢じゃん。お帰り」
少女を見て、女が微笑を浮かべた。
「ただいま帰りました、マリー」
少女――サラが、女に答えた。
「ジーンは……っと、無事か」
少し身を乗り出して、女――マリーが男の無事を確認する。
サラの横で立っている男――ジーンが、片手を上げて「どうも」と答えた。
「どうだい? 竜は居たかい?」
続けざまに、マリーが聞いた。
「いいえ」
シレッと嘘を付くサラである。
サラの横で、ジーンが無言のまま眉根を寄せた。
「そっか……。やっぱりガセネタだったのかね。あれ? それじゃあ、あんた今日は骨折り損のくたびれ儲けかい?」
「それも違います。一応収穫はありました」
慮るマリーに、サラが魔猿の首が入った袋を差し出した。
「おお! こいつは魔猿じゃないか!」
「換金をお願いします」
驚くマリーを尻目に、サラが要求を押し通す。
「隊商や旅人を襲ってたのは、こいつだったって訳かい。竜が出たなんて、おかしいと思ってたんだよ」
目を剥くマリーに、サラの言葉は届かない。
「換金を」
「あー……。分かったよ。ちょっと待ってな」
サラが念を押すと、マリーが奥に引っ込んだ。
「……なあ」
頃合いを計って、ジーンが口を開いた。
「何ですか?」
「流星竜のこと、黙ってていいの?」
「相手はあの流星竜です。あれが積極的に人を襲う事はありません。むしろ、いたずらに人の注意を引く方が恐ろしい。気が立っている営巣期なら、尚のことです。そもそも、今回は単なる調査で、報酬は微々たるものですからね。魔猿の臨時収入で、良しとしましょう」
「じゃあ、あの魔猿が、人を襲った犯人?」
「さあ」
「ふーん……」
質疑応答が終わって、数分間の沈黙が流れた。
「……なあ」
暇を持て余して、ジーンが再び聞く。
「何ですか?」
「せっかくだから、今回の成功報酬も合わせた方がいいんじゃねーの?」
「はあ……」
ジーンの提案に、サラが呆れ返った。
「な、何だよ」
ジーンがうろたえる。
「流星竜の報告が出来ない、もう1つの理由です」
「え?」
サラの言う意味を、ジーンは理解できない。
「貴方が並みいる群衆の前で、『うっかり俺が卵触っちゃって、ひょっとしたら大惨事だったんだけど、何とか発見できたわー』とほざけるのなら――」
「前言撤回! 俺は今日、魔猿しか見ていない!」
サラに促され、ジーンが態度を改めた。
「結構」
サラが締めくくった、その直後である。
「ごめんごめん。奥に居る連中と話し込んでて……って、どうかした?」
マリーが帰って来た。
「何もありません」
微笑を浮かべて、サラが答える。
「あ、そう。はい、これ報酬。色付けといたよ。良かったら2人とも、裏で休んでいきな」
「それでは遠慮なく」
「……お邪魔します」
マリーから金を受け取ると、2人は奥の扉を開けて、中へと入っていく。
ここは、女主人マリーが経営するハンターの斡旋所――二人が竜の捜索を請け負った場所である。
◇◇◇◇
奥の部屋は酒場になっていた。
壁際に広いカウンターがあって、テーブル席が4つ設けられている。
テーブル席だけが一つ埋まっていて、ハンターが1組座っていた。
弓手のノッポに投槍使いのデブ、追跡者のチビといった、3人の若い男たちである。
「あ、サラお嬢だ」
「ジーンもいやがるぞ」
「くそっ!」
2人の入店を見届けて、3人が次々に言った。
町の通行人と同じく、ジーンに対する評価は厳しい。
「ああ、これはどうも」
サラが3人に向かって片手を上げた。
「よっ! サラお嬢! お疲れさん。竜はいなかったみたいじゃねーか?」
「さっきマリーから聞いたぜ。今日は魔猿を一撃で仕留めたんだって?」
「流石だぜ!」
ノッポとデブとチビの順番に、サラを称賛していく。
「お褒めに預り恐縮です」
ジーンを連れて、3人の前を通りながらサラが答えた。
「やっぱ一流は違うな!」
「謙遜しても嫌味がないしな!」
「清楚にして可憐、それでいて腕っ節も立つなんて、ホント完璧超人だぜ!」
三人が再び沸き立った。
「あ、どうも」
サラに続いて、今度はジーンが3人に向かって片手を上げる。
「失せろ木偶の坊!」
「ウドの大木!」
「死ね!」
3人が返したのは罵詈雑言であった。
「ひ、ひでー……」
「ジーン! さっさとこっちへ来なさい」
項垂れるジーンに、サラが言葉を投げかける。
3人組みから2つ隣の席に、サラが座っていた。
弩は壁に立てかけられている。
「あ、ああ」
ジーンが言って、サラの向かいに腰を下ろす。
その腰から剣帯が外され、剣は鞘ごと机に立てかけられた。
「あのクソ野郎!」
「何て奴だ!」
「ジーン許すまじ!」
悪口で盛り上がる3人であった。
「何で俺、こんなに嫌われてるんだ?」
3人の悪意を受けて、ジーンが首を傾げた。
「まあ、何しろ小さい辺境の町ですからね……。余所者に冷たい、排他的な連中も多いのでしょう」
「そっか」
サラが言って、ジーンが納得する。
サラとジーンは揃って、3人の怨嗟を履き違えていた。
例え胸が小さくとも、サラは超がつく美少女である。
仏頂面を決め込んでも、素の美貌までは隠せない。
要するに、若い男の関心を買う存在である。
傍から見れば、ジーンは厄介者に過ぎない。
「なあなあ、サラお嬢」
テーブルを挟んでノッポが言った。
「いい加減、そんなボンクラ見限って、俺たちとパーティーを組んでくれないないか? もちろん、お嬢がリーダーでさ」
「申し出はありがたいのですが――」
ノッポの申し出を、サラがやんわりと断った。
「今は、不肖の弟子の世話で手一杯なのです。一度約束したからには、それなりになるまで、面倒を見るつもりです」
「かーっ! 何て義理がたいんだ!」
サラが続けると、ノッポが膝をポンと叩いて感心した。
「おい! ジーン! あまりサラお嬢に苦労かけるんじゃねーぞ!」
「そーだそーだ!」
「分かったな?」
またまた騒ぎ出す3人である。
「わ、分かってるよ」
タジタジになって、ジーンが返した時である。
「ちょいと!」
女の声が木霊した。
◇◇◇◇
「あんたら、またぞろジーンを虐めてるのかい?」
言いながら、ズカズカとやって来たのはマリーである。
その両手には、5人分の樽ジョッキが握られていた。
中には赤い液体が並々と注がれている。
「あ、みんな葡萄酒でいいね? はいよ」
返事も聞かず、マリーが全員に押しつける。
「で、話は戻すけど……。あんたらだって、最初はヒヨッコだったろ? ちっとは優しくしたらどうだい?」
ジョッキを配り終え、マリーが三人を嗜めた。
「べべべ、別に虐めてねーよ」
「そうそう」
「俺たちは先輩として忠告してるだけさ」
慌てて取り繕いながら、3人が順番に答えて行く。
「ほーう……。『死ね』とか『失せろ』のどこが忠告なんだい?」
「あ……」
「えっと……」
「その……」
マリーの指摘に、3人は言葉を詰まらせた。
「だってさ、こいつ人の言う事聞かないじゃんか!」
弓手のノッポが声を上げた。
「こちとら散々注意してやったのに、まだ頑なに剣を使っていやがるんだぜ! そいつ一体何なんだよ!」
「人の忠告は聞けよな!」
「そのままじゃあ、そいつ直に死んじまうぞ!」
…━━…━━…━━…
3人の指摘は至極まともであった。
狩りの基本は遠戦指向である。
総じて大柄で凶暴な魔物に、接近戦は通じない。
飛び道具――弓矢や投槍が主体に置かれるべきで、近接武器を使うにしても、許されて槍までである。
とは言っても、剣を使うハンターが居ないでもない。
相手が等身大で人型の魔物――人狼や鬼相手に、剣は威力を発揮する。
もっとも、これらの魔物は滅多なことで人目に姿を見せないので、追跡に長けたベテラン向きの獲物でしかない。
ジーンにとっての師匠――サラにしても、やはり得物はクロスボウである。
ハンターに成り立てが剣を持つなど、甚だ不自然と言えた。
…━━…━━…━━…
「だとしても!」
マリーが3人に強く言った。
「サラお嬢が、それを知らないはず無いだろう? きっと、何か考えがあるのさ。ジーンはサラお嬢の弟子だ。師匠の命令は聞かなきゃならない。そうだろう?」
今度はサラに話を振るマリーである。
「……まあ、そんなところです」
少し間を置いて、サラが答えた。
「そういうことだよ」
3人に言い含めるマリーである。
「くそっ! 分かった、分かったよ。あーあ、それにしても羨ましいこって」
「サラお嬢に命令されるなんてな」
「それ、何てご褒美?」
愚痴りながらも、3人が矛を収めた。
3人の羨望を一身に受けて、ジーンは無言のままジョッキを呷っている。
「すまないね、ジーン。こいつらだって、悪い奴じゃないんだけどね」
3人の代わりにマリーが謝った。
「いや、別に気にしてねーよ」
ワインを飲み終えて、ジーンが答える。
「そうかい。ありがとさん」
「もちろんさ。でも――」
マリーと会話をしながら、ジーンがサラをチラリと見た。
サラは我関せずと、ワインをチビチビと啜っている。
「今日はそろそろお暇させてもらうよ。代金はここに置いとく」
言って、ジーンはテーブルに銅貨を3枚置いた。
「……ああ、お休み」
「お休み。サラも今日はありがとうな」
マリーに答えると、ジーンは酒場を後にした。
サラは無言のまま、手を振ってジーンに答えるのみである。
「あれ? ジーンの奴、あんなに酒に弱かったっけ?」
そそくさと立ち去ったジーンを訝って、サラに尋ねるマリーであった。
「……いえ、人並みには飲めるはずです」
少し考えて、サラが答える。
「ふーん……。じゃあ、やっぱり居た堪れなかったんだろうね。主に誰かさんたちのせいで」
思わせぶりなマリーの言い方に、3人がビクッと身体を強張らせた。