第二話 サラと華麗なる一日(前編)
◇◇◇◇
「何か問題でも?」
サラが聞く。
「いや、それどこから持ってきたんだ?」
ジーンが聞き返した。
「貴方の箪笥からですよ」
ちっとも悪びれないサラである。
「……一応聞く。何で?」
「このクソ暑い時期、寝間着として使い勝手がいいんですよ。程よくぶかぶかで、通気性が大変よろしい」
「だからって人の物を勝手に――」
「賃貸収入」
「――うっ!」
「お祈り」
「――ううっ!」
「後は何でしたっけ? そうそう。確か、『俺の守護するお嬢様が、こんなに鬼畜な訳はない!』でしたか?」
「……」
サラの反撃に、ジーンが押し黙る。
…――…――…――…
館から引っ越したとはいえ、ジーンは所有権まで手放してはいない。
町に出張った南部商業者組合に貸すことで、ジーンは不労所得をゲットした。
もちろん、サラの入れ知恵と、仲介があってこそである。
もっと言えば、お祈りの件である。
人狼から病気が感染ったと思って、ジーンはオカルトに縋ってしまった。
そんなジーンに立つ悪評を、サラは権力に飽かせて消して回った。
ちなみに、『俺の守護するお嬢様が、こんなに鬼畜な訳はない!』とは、ジーンの書いた戯曲である。
サラに振り回された経験を元に、ジーンは人気作家となっていた。
要するに、サラに対してジーンは頭が上がらない。
…――…――…――…
「ひゃ、百歩譲って、寝間着にするのは良いとしてだ。俺の目の前では慎んでくれ。目に毒なんだよ」
譲歩して、ジーンがサラから目を背けた。
サイズが合わないせいで、サラの胸元は丸見えである。
ついでに言えば、下半身には何も履いていない。
元々が美少女なこともあって、極めて煽情的なサラであった。
「ハハ~ン……」
サラが察した。
「貴方、欲情しましたね」
「……」
ド直球なサラに、ジーンが顔を覆った。
「いいのですよ。相手をしてあげても」
「は?」
「ナオミには悪いですけど、まあ構わないでしょう」
「何でそこにナオミが出てくる……って、え? お前、それひょっとして……」
サラの申し出に、ジーンの顔は真っ赤である。
「ただ――」
サラが続ける。
「一々相手をするのも七面倒くさいので、寝ている時にお願いします」
「え?」
「もちろん、ちゃんと避妊もしてくださいね。ほら、この間見た大芋虫いるでしょう。あれの腸から作った避妊具がおすすめです」
「あ?」
「あと、万が一孕んだ時の話ですが、最低限出産まではしてあげます。あとは貴方が育ててください。私、子供って嫌いなのです」
「……」
サラの最低な発言に、ジーンは額に青筋を浮かべた。
「てめえ……」
欠伸をするサラに向かって、ジーンが手を伸ばした――。
◇◇◇◇
サラの首根っこを掴んで、ジーンが持ち上げる。
「ちょっと! 何をするのです!」
「出ていけ!」
抗議するサラを、ジーンが廊下へ放り出した。
「ちょっと頭を冷やしてこい!」
サラの服をポイポイ投げ渡すジーン。
「ふんっ!」
鼻息荒く、ジーンがサラを締め出した。
「まったく……」
胡坐をかいて、頭をボリボリ掻くサラ。
「私のブーツは中なのですが」
サラが愚痴った直後である。
扉がギイッと開いて、ジーンがサラのブーツを差し出した。
「昼飯はどこかで食ってこい。晩飯はいつもの時間で」
言って、ジーンがもう一度扉を閉めた。
「……チョロい」
サラがニヤリと笑う。
非情に徹しきれない辺り、ジーンはやはりヘタレであった。
「さてと……って、あれ? あれれ?」
自室に戻ろうとして、サラが慌てた。
「鍵が無い」
ジーンの部屋に、置き忘れたサラである。
「仕方ないですね」
あっさりとサラは諦めた。
これ以上ジーンを刺激しない程度には、サラも思慮深い。
「よいしょっと!」
その場で真っ裸になって、サラが着替え始めた。
情け無用のハンターには、羞恥心はあまり無い。
そもそも、この階の部屋は三つだけである。
ジーンの部屋から出て、右がサラ、左がナオミの部屋になる。
もっとも、二人とも寝に帰るだけなので、ジーンの部屋に入り浸っている。
「はて?」
着替え終わって、サラが首を傾げた。
そんなサラの出で立ちは、トレードマークの白いブラウスに、藍色のスカートである。
サラの手には、ジーンのシャツが握られていた。
「これはどうしましょう?」
しばらく考えた後、サラが続けた。
「ま、この辺に置いておけばいいでしょう」
言って、サラがシャツをドアノブに引っ掛けた。
「さあ、出かけますか」
サラの華麗なる一日が、こうして始まった。
「むう……」
集合住宅を出て、サラが目を細めた。
空は雲一つ無い快晴で、日差しはとても強い。
「これは帽子が必要ですね」
独り言ちながら、サラが炎天下の中を歩き始めた。
サラの向かう先は、今は南部商業者組合の支部となったジーンの館である。
目貫通りを抜けて、館へ着いたサラ。
「おや?」
「あっ!」
サラが顔を上げると、答える声が一つ。
「サラお嬢様!」
手を振ったのはナオミである。
普段のナオミは、館の門番である。
特大の薙刀を持って、デンと構えるのが仕事であった。
牛頭人を一人で仕留めたナオミは、町一番の女傑になっていた。
もっとも、この暑い最中である。
さすがに革鎧は着ていない。
「今日はどうされたんですか?」
ナオミが聞く。
「ラシード殿はいますか?」
「はい。執務室でお仕事中です」
「上がっても?」
「もちろん。お嬢様が来られたら、お通しするよう仰せつかってます。どうぞ」
サラに答えて、ナオミが扉を開けた。
「ありがとう」
礼を言って、サラが入っていった。
◇◇◇◇
館の中では、人がひしめいていた。
いずれも、南部商業者組合の関係者であった。
「君、その書類は後で私のところへ。ああっ! そっちの荷物はそこじゃない!」
ロビーで采配を採るのは、南部商業者組合が盟主で、名をラシード・イブン・ハキームと言った。
牛頭人騒ぎの折に、サラとジーンが譲歩を引き出した男である。
「あっ! これはこれは!」
サラに気付いて、ラシードが顔を上げた。
「どうも」
片手を挙げて、サラが答える。
「今日はまた、どのようなご用件で?」
ラシードが訪ねた。
「ナオミの顔を見に、ちょっと寄らせてもらっただけですよ。時にどうですか? あの子の働きぶりは」
「大変に助かっておりますとも」
サラの問いに、笑みを浮かべるラシード。
もっとも目は笑っておらず、相変わらずのアルカイックスマイルである。
「何せ、彼女が立っているだけで、盗人が全く寄り付かない。門番として、正に言う事なしです」
「それは結構」
「たまに力仕事も手伝ってくれます。家の人足よりも、よっぽど力持ちですよ。さすがは、ジーン殿のお弟子なだけはある」
「分かっているとは思いますが……」
褒めちぎるラシードに、サラが難色を示す。
「もちろん!」
ラシードが答えた。
「あくまでも彼女は派遣で、私の部下ではない。そうでしょう?」
ラシードの言うように、ナオミは南部商業者組合の構成員ではない。
あくまでも、サラが貸した人員である。
これには、世間知らずの少女を保護する意味もあったが、偏に堂々と南部商業者組合を内定させる口実でもあった。
「お分かりいただけるのなら結構。ところで――」
言って、サラが続けた。
「確か今日は、南方からの品物が届くのでは?」
「ええ。よろしければご覧になりますか?」
「お願いします」
「どうぞこちらです」
サラの要求に、ラシードが答えた。
「こちらです」
ラシードに連れられて、サラが荷物の前に来た。
「ほほう、これは素晴らしい」
中身を手に取って、サラが息を呑む。
果たして、商品は反物であった。
「これは綿ですか。あ、あちらには絹もありますね。それもかなり上等な」
褒めるサラに、ラシードが「恐縮です」と返した。
ラシードたちの目的は、王都との交易である。
南方では紡績業が盛んで、これを売り込む算段であった。
「おや、あれは?」
反物を置いて、サラが指をさす。
そこには、大小様々な服飾品が置かれていた。
指輪やらネックレスやら、婦人用の品々である。
「ああ、あれですか」
ラシードが続ける。
「試験的に王都へ持って行こうかと」
「なるほど」
ラシードの説明を聞いて、サラが指輪に手を伸ばす。
「よろしければ、何かお譲りしましょうか?」
「いいえ。結構です」
ラシードの提案を、あっさり断ったサラ。
「貴方に借りを作ると怖い」
言いながら、サラが指輪を置いた。
「その代わりと言っては何ですが――」
再び、サラが指さした。
「アレを下さい。ちゃんと正規の価格をお支払いします」
サラの希望は、鍔が広めの日除け帽である。
「畏まりました。領収書はどうしましょう?」
「そうですね……」
ラシードの質問に、サラが天井を見上げた。
「ジーン・ファルコナーでお願いします」
こうして、サラは帽子を手に入れた。
もちろん、ジーンの与り知らないところである。




