第十話 暴走と結末(後編)
◇◇◇◇
一方で外界である。
「えーっと……」
所在無げにナオミが歩いていた。
そんなナオミは、革鎧に薙刀の完全武装である。
こんな場所へ一人で来たのは、ジーンの気を惹きたいための大暴走である。
「どうしよう」
森への入り方で、ナオミは悩んでいた。
街道から足を踏み入れるには、少々コツが必要であった。
熟練のハンターならば、植生から通りやすいルートを開けるし、獣道も見破れる。
とは言え、ナオミは素人である。
そんな技術を持ちようはずもない。
もっとも、サラ一行でこれが出来るのは、サラ本人だけである。
「あー……、帰ろっかな」
ナオミが諦めかけた時である。
ガサガサっと、茂みが揺れた。
「ひっ!」
ナオミが身を竦ませる。
だがしかし、そんなナオミは、先日の失敗を思い出した。
「だ、誰!」
誰何するナオミ。
ちゃんと薙刀を構える辺り、成長が窺えた。
「ぷはあっ!」
森を抜けて来たのは、ハンターの男である。
「うわぁっ! また出た!」
ナオミを見て、男が仰け反った。
「――って、あんたサラお嬢のとこの……」
「私を知っているのですか?」
男の台詞に、ナオミが聞いた。
「ああ。おたくら有名人だからな……って、それどころじゃねー!」
男が捲し立てた。
「アレは俺たちが敵うもんじゃねー。ほら見ろ! 武器も折られちまった」
差し出す男の手には、槍の柄があった。
もちろん、穂先はへし折られている。
「あんたもとっとと逃げ――」
男が言った時である。
『ブモーッ!』
咆哮が木霊した。
「ひいっ!」
男が腰を抜かす。
「お、追ってきやがった」
男の指さす方向に、魔物が現れた。
二本の足で歩くそれは、身の丈およそ二メートル。猫背なこともあって、実寸はもう少し大きいくらいである。
ボロ布を纏った魔物は、右手に棍棒を持っている。
形状は、人狼と同じ半人半獣の人型であった。
もっとも、人狼とは違い,毛並みは茶色くて、頭に二本の角が生えている。
「あれって、もしかして……」
薙刀を握りしめるナオミであった。
「牛頭人!」
『グオーッ!』
ナオミと魔物もとい牛頭人が同時に吠えた。
…――…――…――…
牛頭人は牛の頭を持つ魔物である。
その存在は半ば伝説で、お目にかかった者はほとんどいない。
分かっている習性と言えば、非常に狂暴で時には人狼をも蹴散らすことと、その割には草食であること程度である。
もちろん、体の部位はことごとく高値で取引される。
…――…――…――…
「に、逃げ――」
男が離れようとした時である。
『ブモッ!』
牛頭人が身構えた。
「させませんっ!」
薙刀を突き出して、ナオミが遮った。
「おい、あんた――」
「逃げてください!」
男の言葉をナオミが遮った。
「早く!」
「わ、分かった」
ナオミに急かされ、男が走り出す。
「助けを連れてくるからな! 死ぬんじゃねーぞ!」
言い残して、男が去っていった。
◇◇◇◇
「さてと」
言って、ナオミが中段に構えた。
『ブルルル……』
牛頭人が唸って、棍棒を振りかざす。
本来ならば、ナオミに勝機は無い。
そもそもの話、ナオミの腕は素人に毛が生えた程度でしかない。
だがしかし、問題はリーチにあった。
ナオミの背丈は、牛頭人をも凌いでいる。
それに加えて、特大の薙刀である。
初めて見た手合いに、牛頭人は想像以上の威圧を感じていた。
とは言え、体格の差は大きい。
牛頭人の肩幅ときたら、ナオミの倍ほどもあるし、筋肉に至っては比べようもない。
はったりだけが、ナオミを支えていた。
「……」
『フーッ! フーッ!』
無言のナオミに、鼻息荒いミノタウロス。
円を描くよう、両者が間合いを詰めていく――。
『ブモーッ!』
先に仕掛けたのは、牛頭人であった。
薙刀の穂先を避けて、棍棒がナオミへ迫る。
もっとも、ナオミも負けてはいない。
「させません!」
ナオミは半歩下がって、薙刀の上下を持ち換えた。
「せいっ!」
石突の一撃が、牛頭人を捉えた。
『ゲフッ!』
喉に石突をめり込ませ、牛頭人が膝をつく。
「止めっ!」
牛頭人の脳天に、ナオミが薙刀を振り下ろす。
――悪手であった。
「え?」
返ってきた手ごたえに、ナオミが虚を突かれた。
大きな角に阻まれて、刃は頭蓋に届かない。
『グオーッ!』
牛頭人が立ち上がり、棍棒を横薙ぎに払った。
「あっ……!」
ナオミの手から、薙刀が弾き飛ばされた。
『ブルアァァァッ!』
「キャッ!」
牛頭人の蹴りを食らい、ナオミが尻もちをつく。
「グフッ! グフフフフ……」
口元を歪めて、牛頭人がナオミににじり寄る。
「あ、あああ……」
へたり込んだまま、ナオミが後退る。
幸いにも、鎧がクッションとなって、大した傷は負っていない。
とは言っても、状況は絶体絶命である。
『ブモーッ!』
「イヤーッ!」
牛頭人の咆哮に、ナオミが目を瞑った。
その時である。
どこからともなく、太矢が飛んできた。
太矢はそのまま、牛頭人の右肩に刺さった。
『グギャアーッ!』
牛頭人が悲鳴を上げて、棍棒を取り落とす。
『ブルルル……?』
矢を引き抜いて、牛頭人が射手に気を取られた。
「はっ!」
牛頭人の隙をナオミは見逃さない。
ナオミが転がっている薙刀に飛びついた。
「ブモッ?」
牛頭人が振り向いた。
『ブモーッ!』
「えーいっ!」
牛頭人が飛びかかるのと同時に、ナオミが薙刀を突き出した。
薙刀の切っ先が、牛頭人の鳩尾に突き刺さる。
『グ、グモォ……』
口から血を流しながら、牛頭人が薙刀を引き抜こうとする。
「このぉっ!」
そうはさせまいと、ナオミが薙刀を突き入れる。
穂先が根元まで食い込んで、血がドバっと溢れた。
『グハァッ!』
遂に牛頭人が白目を剥いた。
牛頭人はそのまま、ドッと仰向けに倒れた。
「や、やった?」
ナオミが立ち上がって、牛頭人を見下ろした。
もはやピクリとも動かない牛頭人である。
「あれ?」
ナオミが矢に気付いた。
「さっきのハンターさん……じゃない」
言いかけて、首を横に振るナオミ。
さっきの男は素槍を持っていた。
「サラさん……?」
ナオミの頭に過ったのは、弩を持つサラである。
もっとも、本人の姿は見えない。
「と、とにか帰らなくちゃ」
ナオミが立ち上がった、その時――。
「おーい!」
遠くから声がした。
◇◇◇◇
「無事か?」
やって来たのは、さっきの男である。
「大丈夫か?」
「魔物はどうした?」
男は後ろに、ハンターを沢山連れていた。
人数は丁度十人。
いずれも長弓や歩兵槍を持った、歴戦の猛者たちであった。
「これ、お嬢ちゃんがやったのか?」
おずおずと男が聞いた。
地面には、牛頭人が横たわっている。
「え、え~っと、え~っと……」
「すげえ……。これって幻の牛頭人だろ?」
「ああ、間違いねえ」
「サラお嬢の仲間だけはあるな」
「まったく、とんでもねえ女傑だぜ」
言いよどむナオミを余所に、ハンターが称えていく。
「あの、その……」
「おい、みんな! 新しい英雄の誕生だぞ!」
「それ、胴上げだ!」
「重そうだけど、上がるかな?」
「ちょ、ちょっと待っ――」
ささやかな抵抗も空しく、ナオミが全員に担がれる。
同じ頃。
現場から百メートルは離れた、草むらの中である。
ワッショイワッショイされるナオミを、サラが見つめていた。
「ふう……」
サラが弩を下ろした。
「この距離からピンポイントで狙えたとは……。運もありましょうが、たぶん新記録ですね」
言って、サラはその場を後にした。
…――…――…――…
それからである。
新しい英雄――ナオミの誕生に、町は大いに湧いた。
これには、牛頭人を斃したことも勿論であるが、竜殺しのジーンが可哀そうな人扱いになったのも、ひと役買っていたりする。
そして牛頭人である。
高く売れるそれを、ナオミは手元に置くことにした。
「せっかくですから、鎧に仕立ててしまいなさい。費用は私が持ちます」というのが、サラの助言である。
そういう訳で、ナオミは牛頭人の皮を使って、鎧を作ることにした。
元々が人型なので、中身をくり抜いた体である。
そんなナオミを指して、ハンターたちは二つ名を与えた。
その名もずばり、『牛頭人のナオミ』である。
もちろん、これにはナオミも抗議した。
「あの、ちょっとそれは……」
ナオミが小声で言うも、願いは聞き届けられない。
「いいですね! 強そうで格好いい! それでいきましょう」
「あ、はい」
強引なサラに、押し切られたナオミである。
こうして、ナオミはサラの弟子になって、ハンターを続けることにした。




