第十話 暴走と結末(前編)
◇◇◇◇
数時間後である。
「はっ!」
サラが目を開けた。
「しまった!」
サラが飛び起きて、窓にかじり付く。
「ああ、よかった。まだ昼過ぎですか」
窓を開けて、太陽を確認したサラである。
「どうも最近、昼夜逆転でよくない」
欠伸をしながら、サラがリビングを退出した。
深夜テンションで筆が進むのは、万国共通である。
「ナオミ! ナオミ! いますか?」
サラが呼んでも、聞こえるのは「南無妙法蓮華経」というジーンの念仏だけである。
「おかしいですね? 買い物にでも行ったのでしょうか?」
サラが首を傾げた。
とは言え、最近は対人恐怖症のリハビリも兼ねて、外出が増えたナオミである。
サラにしても、別段行動を制限するつもりはない。
本来の雇い主――ジーンにしても、また同じことである。
「まあ、それならそれで、結構なことですが……」
ナオミの自由を認めても、サラの顔は渋い。
そんなサラの懸念は、今日の食事である。
ジーンがやらない以上、サラは食事にありつけない。
サラが出来るのは、野外でやるような肉の丸焼き程度である。
そこで白羽の矢が立ったのが、メイドのナオミであった。
食器を割ってしまう欠点を除けば、ナオミは料理が上手い。
もっとも、これはジーンの懐事情を顧みない考え方である。
「仕方ないですね。久々に外食としますか」
言って、サラが館を後にした。
そして、往来を歩くサラである。
「おいおい、あれって……」
「サラお嬢様だ」
「あれ? 出ているはずじゃあ?」
「ひょっとして、もう終わったのか?」
そんなサラとすれ違って、ハンターたちが不思議がった。
「うん? 何か今日はやけに視線を浴びますね」
疑問符を浮かべたサラである。
元々が美少女なこともあって、サラは注目を集めやすい。
だがしかし、それは世間一般からの話であって、同業者はそうではない。
今日に限っては、その同業者が珍しがっていた。
「まあ、行けば分かるでしょう」
サラが足を向けるのは、マリーの斡旋所である。
併設の酒場で、食事にありつく魂胆であった。
そもそもの発端は、常軌を逸したサラの酒豪っぷりである。
呑兵衛が祟って、サラはほとんどの店で出禁を食らっていた。
酒を飲み干されるのも、その理由であるが、問題はサラに飲み比べを挑んだ連中である。
死屍累々となった挑戦者の対応に、店は酷く難儀を被った。
床は反吐と小便に塗れ、帰らない客のせいで店は翌朝まで閉められない。
中には前後不覚になって、武器を振り回す者もいた程である。
そういう訳で、今となっては斡旋所くらいしか、サラを受け入れる場所は無い。
もちろん、権力を振りかざせば不可能なことは無い。
それをやらない辺り、サラは公明正大である。
「さてと……」
並みいる有象無象を無視して、サラが斡旋所へ辿り着く。
「ごめんください」
扉を開けて、サラが中へと入った。
◇◇◇◇
「あれ? お嬢?」
「あ、サラお嬢じゃんか」
「え? マジで?」
「ホントだ」
マリーを含めて、ハンターたちが騒めいた。
「騒々しいですね」
店内を一瞥して、サラがカウンター席に座った。
「お嬢、お嬢」
サラに話しかけたのは、マリーである。
「まさか、もう終わったのかい?」
「終わった?」
マリーに聞かれて、サラが聞き返す。
「おいおい、まさか……」
「いや、そんなはずは……」
「でも、あの天才お嬢様のことだぜ」
二人の会話を盗み聞こうと、耳を大にするハンターたちである。
「ああ、あのことですか」
得心するサラである。
「さすがの私でも、そんな早くは無理ですよ」
「なんだ……って、そりゃそうだよね」
サラの返答に、マリーが肩を落とした。
「さすがに、この短時間じゃ無理だよな」
「そうそう」
「ってことは、俺たちにも、まだチャンスはあるな」
マリーに続いて、ハンターたちがホッとする。
「あんたねぇ、ここは飯屋じゃないんだよ」
「それはともかく、お腹が空きました」
「……聞いちゃいないか」
「マリー、今日のお薦めは?」
渋るマリーを無視して、サラは居座る気満々である。
「……ちょうど、新鮮な火蜥蜴の肉が手に入ったよ」
「ほほう。それは素晴らしい」
「本当は底辺ハンター向けの炊き出しだったけど、そんな奴らに限って、迷信に囚われている。みんな嫌がって、食べないんだよ」
「では、それを頂きましょう。まったく、美味しいのに勿体ない」
マリーの申し出を、サラが快諾した。
火蜥蜴の毒は、熱分解性である。
焼いてしまえば、何の問題もない。
だがしかし、毒と聞いただけで、敬遠したいのが人情である。
学も経験もない人間は、その傾向が顕著であった。
「あいよ。ちょっと待ってな」
「ああ、それと――」
引っ込もうとしたマリーを、サラが呼び止めた。
「何だい?」
「葡萄酒を忘れずに」
「……あんたね」
サラの要求に、マリーは呆れ顔である。
「ほどほどにしときなよ」
言って、マリーが続けた。
「あんたがウワバミなのは知ってるけど、そういうヤツほど、ある日簡単にポックリ逝くんだ。悪いことは言わない。麦酒にしときな」
「……分かりました」
マリーの忠告を、サラはあっさり受け入れた。
「よし! 待ってな。すぐに用意してやる」
マリーが奥に引っ込んだ。
「……不思議ですね」
サラが独り語ちる。
「何だか、ここ数日で随分丸くなったような……」
サラの疑問は、マリーの変化である。
お家騒動で硬化した態度が、ここにきて柔らかくなっていた。
もちろん、原因はちゃんとあった。
一つは、サラ一行が三人組を救出したこと。
そしてもう一つは、行く当てのないナオミの面倒を、サラたちが見ていることである。
人情味を見せることで、マリーの胸襟は再び開いたのであった。
「ま、どうでもいいですか」
サラは考えることを止めた。
人の心に鈍感な辺り、やはりサラはどうしようもなく、自己中なオタクである。
◇◇◇◇
それから十五分後――。
「ほい。出来たよ」
皿を持って、マリーが戻ってきた。
「ほほう! これはこれは」
目の前の料理に、サラが舌なめずりをした。
果たして、皿に盛られているのは、円柱状の肉塊である。
「……尾椎が見えますね。火蜥蜴の尻尾ですか」
肉の断面を見て、サラが言った。
料理の正体は、尻尾の丸焼きである。
「縮み具合から察するに、おそらく全長三メールちょっとの若い個体ですね。あまり育ちすぎると、大味になってしまいますから」
「その通り。いつもながら、たいした観察眼だね。はいこれ」
「あ、どうも」
分析しながら、サラがジョッキを受け取った。
「ちっ! やっぱクソ不味いですね」
麦酒に一口つけて、サラが愚痴った。
「ちっとも飲んだ気がしません。まるで牛の小便です」
「へいへい。それは悪うございました……って、そんなの飲んだことあるの?」
「ですが、この丸焼きはいい。香草を和えていますね?」
マリーを無視して、サラが肉にかぶりつく。
両サイドにはみ出た骨を取っ手代わりにして、むしゃぶり付く様は、とても淑女とは言えない。
「おい、あれ……」
「ああ」
サラの食べっぷりに、ハンターたちが騒めいた。
食べることを拒絶した、底辺の面々である。
だがしかし、そんな迷信深い連中も、サラの食べっぷりに感化されていた。
そんな底辺が、ゴクリと喉を鳴らした時である
「今日はこれで最後だよ。残りは燻製中。欲しければ、また今度にしな」
マリーが睨みを利かせると、全員がフイと視線を外す。
「まったく、冒険心がないからいつまでも底辺なんだ……」
食事に夢中なサラの前で、マリーが愚痴った。
「それはそうと、今日は珍しいね」
「何がですか?」
マリーが振って、顔を上げるサラ。
その口元は、油でベトベトであった。
「いや、その恰好さ。ここに来る時は、いつも鎧姿だろ? わざわざ着替えてきたのかい?」
マリーの指摘である。
サラの服装は普段着――白いブラウスに藍色のスカートであった。
「着替えるもへったくれも、今日はオフですよ? まあ、オフの時にここへ来るのは珍しいですが」
「んん?」
サラの返事に、マリーが首を傾げた。
「おかしいね。あんたさっき『まだ終わっていない』とか言ってなかったっけ?」
「ええ。アカデミーへ送るレポートですよね。まだまだ仕上がりには程遠い」
「え? でも、さっきナオミの嬢ちゃんが、受付を終えて出て行ったよ? あんたら三人で行ったんじゃ……?」
「ナオミが? 何の依頼ですか?」
「ほら、ジーンの出したやつ……って、嬢ちゃんからは聞いていないのかい?」
「初耳です。そもそも、個人的興味はありますが、今は余裕がありません」
二人の間に、重い沈黙が流れた。
「まさか一人で!」
「あのバカ娘!」
マリーとサラが、同時に理解した。
一人で猟に出たナオミである。
「どおりで注目を集める訳だ。ナオミはいつ出ました?」
「受付に来たのは、二時間ちょっと前」
「今から追いかければ、ギリギリ間に合いますね」
言って、サラが立ち上がる。
もっとも、装備を取りに戻る暇は無い。
「ちょっと、そこの貴方!」
通りすがりのハンターを、サラが呼び止めた。
「え? 俺?」
タジタジのハンターは、サラと同じ(クロスボウ)使いである。
「ちょっと、それ貸しなさい」
サラが弩を引っ手繰る。
「ちょ、ちょっと! 何するんだ!」
ハンターが抗議した。
「会話は聞こえたでしょう? 緊急事態です。協力なさい」
「勘弁してくれよ。新調したばかりで、まだローンが残ってるんだ」
「壊しはしませんよ。おおっ! これ、巻き上げ機を使うタイプですね。これなら、私のより数段強力でしょう」
「話聞いてる?」
「うっさいですね。太矢も寄こしなさい! ほらこれ上げます」
渋るハンターに、サラが食べ差しの肉を渡した。
「これでレンタル料です。では失礼!」
言って、サラが斡旋所を飛び出した。
「肉って、ほとんど骨じゃねーか……」
そんなサラの背中を、ハンターが恨めしそうに見つめていた。




