第九話 真相と謎(後編)
◇◇◇◇
「おっと……って、何だ、ナオミですか」
少しだけ驚いたサラである。
「す、すみません」
ナオミが頭を下げた。
大きい体をしていても、気配を消すことにおいて、ナオミは他の追随を許さない。
その点に関してはジーンはおろか、サラの上をいく技量であった。
外界育ちの所以である。
「ジーンさん、大丈夫なんでしょうか?」
ホウキを片手に、ナオミが聞いた。
「大丈夫でしょう」
言って、サラが続ける。
「噛み跡に牙は刺さっていませんでした。そもそも、あの人狼が媒介者かどうかすら不明です。アカデミーの統計では、有病率は五パーセントほどですしね。今は少々錯乱気味ですが、あんなのは地の性格でしょう。あれだけしつこく洗っていましたし、まず安心してよろしい」
「あの、そうではなくて……」
つらつらと述べるサラに、ナオミはたじたじである。
「うん? ああ、そういうことですか」
ナオミの反応に、サラが納得した。
ナオミが心配するのは、ジーンの内面である。
「ふむ、丁度いいですね」
「え?」
「ちょっとお話しましょう。リビングへ来なさい」
「あ、は、はい!」
ナオミを連れて、サラは階下へと向かった。
その時である。
「ビビディ・バビディ・ブー! オン・アビラ・ウンケン・ソワカー! テ〇マクマヤコン・テ〇マクマヤコン! ラ〇パス・ラ〇パス・ルルルルルー! うおーっ! 病魔よ消えされーっ!」
ジーンの呪文が館に木霊した。
そしてリビングである。
「どうぞ」
「し、失礼します」
サラに促され、ナオミが対面に座った。
「単刀直入に聞きます」
居丈高なサラの物言いに、ナオミが「ひっ」と身を竦ませる。
とは言っても、サラに悪気は無い。
元々高圧的なだけである。
「貴女、ジーンが好きですね?」
「えっ!」
サラの問いに、ナオミが顔を赤くする。
「その反応だけで結構です」
サラが納得した。
だがしかし、次の瞬間である。
「す、すみません!」
顔を青くして、ナオミが謝った。
「は? 何を謝るのです?」
サラが眉根を寄せた。
「あの、その……」
言い淀むナオミである。
「怒らないから言いなさい」
「はい。サラお嬢さま――主人に対して横恋慕をしてしまいました。申し訳ありません!」
「んんっ?」
ナオミの言い分に、サラが首を傾げた。
「横恋慕? 私の?」
「は、はい」
「つまり、私がジーンを好きだと?」
「え? 違うんですか?」
「違います。まったく、これっぽちも」
バッサリとサラが切って捨てた。
ちなみに、ナオミの雇い主は、あくまでジーンである。
その点を修正しないあたり、さすがのサラであった。
「とにかく、今は貴女の話です」
言って、サラが居住まいを正した。
◇◇◇◇
「結論から申しますと、私は干渉しません。どうぞお好きに」
「え?」
サラの言葉に、ナオミが目を丸くする。
「でも、立場が……」
「生まれのことですか?」
「はい」
ナオミの懸念は、ジーンの身分である。
ジーンは上級騎士の生まれで、対するナオミは辺境の、それも未確認部族であった。
いつの時代も、身分の差は障害となる。
「意外ですね」
サラが肩眉を上げた。
「貴女は……、いえ、貴女たちは王国にまつろわない一族でしょう? そんな社会的な事情を、どうして気にするのですか?」
「小さい時、村の大人たちから聞いたのですが――」
サラの疑問に、ナオミが答えていく。
「私たちの祖先は、魔物討伐の戦士団らしいのです」
「戦士団?」
「はい。なんでも、体が大きくて強い人たちを特別に集めたとか……。ここから北東へ、ずーっと行ったところから来たと聞いてます」
「……今の王国がある辺りではないですか。ああ、すみません。続けてください」
「分かりました。とにかく、ある日を境に故郷と連絡が取れなくなったみたいで……。それで仕方なく、森で生きることにしたと」
「なるほど」
ナオミの話に、興味津々なサラである。
「二百年ほど前と言えば、ちょうど王国建国期ですね。かつて一度だけ、人界に魔物が侵攻した時の……。その時に昔の国が滅亡して、今の王国が出来たはずです。おそらくですが、その時の大混乱で、貴女たちは取り残されたのでしょう。何せ、覚えている当事者が死んだのですから」
「そ、そうなんですか」
「今になって思えば、存外貴女たちの存在が、巨人の正体だったのでしょうね」
「それは私には何とも……」
「いえ、たぶん間違いないでしょう。大体その時期から、巨人伝説が広まり始めましたから」
恐縮するナオミを余所に、サラが故実に想いを馳せた。
およそ二百年前のこと。
魔物の波に飲まれて、ある国が滅び去った。
その魔物を駆逐した勢力が新たな国を興して、現在に至っている。
ちなみに、この時活躍した英雄こそが、ジーンの先祖――初代ファルコナーである。
「なるほど。貴女が境遇に関わらず、常識的な理由は分かりました」
サラが納得した。
たかだか二百年の隔絶では、文化的差異は微々である。
文字も言葉も通じるし、口伝の情報も概ね正しい。
「話が逸れましたね。それでジーンのことですが――」
話題を戻すサラである。
「ぶっちゃけ、どこがいいのですか?」
「えっと……。優しいところとか……」
「は?」
ナオミの告白に、サラが目を点にした。
「優しい? ジーンが?」
サラが記憶を辿った。
サラの中では、ジーンは厄介な弟子である。
魔物に尻込みする癖に、殺人は躊躇わない戦闘狂であった。
散々世話をしてやった恩に報いるかと思いきや、自分を厄介者扱いした挙句、日々口やかましい存在に過ぎない。
もっとも、後半はサラの主観である。
だがしかし、ナオミはそんなジーンを知らない。
ナオミにとってのジーンは、あくまで優しい恩人である。
「あー……。貴女にとっとは、そうかもしれませんね。ですが――」
今までを思い出したサラである。
「私から見たジーンは、臆病と暴力が同居した、珍妙な生き物ですね」
「臆病……ですか? 人狼をやっつけたのに?」
「……今でこそマシになりましたが、元々ジーンは魔物恐怖症だったのです」
「ええっ!」
納得いかないナオミに、サラが答えていく。
「貴女も今の不安定なジーンを見たでしょう? 私が見たところ、要するにアレは、未知の物に弱いのでしょう」
「……」
「そうかと言って、決して腕っぷしが劣る訳ではない。私の知る限りでは、対人戦に限れば、ジーンは間違いなく最強の戦士です」
「あんなに強いのに……」
「いえ、考え方が逆です。得てして、優れた人間というものは何かを代償にしている。ジーンの場合は、あのヘタレさがそれなのです」
「はぁ……」
「ジーンは難しいですよ」
黙っているナオミに、サラが続けた。
「アレの横に立つには、彼の弱い部分を補なえる――そういう人間でなければなりません」
「お嬢様でもダメなのですか?」
「……私は強くありませんよ。前にも言ったと思いますが、人狼の時も、私だけなら死んでます」
ナオミの問いに、サラが答えた。
サラの謙遜は的を射ていた。
ハンターの戦法は、基本的に遠距離からの先制である。
守勢にでも回ろうものならば、大半のハンターが脆さを露呈してしまう。
その点において、ジーンは確かに傑物と言えた。
もっとも、それもパニックにならなければの話である。
「おっと、時間を取らせましたね。もう仕事に戻ってもいいですよ。私も連日徹夜が続いておりますので、少し眠りたい」
「あ、はい。失礼します」
サラが促して、ナオミが一礼した。
ナオミはそのまま、リビングを後にする。
「……はて? 私は何が言いたかったのでしょう?」
ナオミを見送って、サラが呟いた。
「ま、どうでもいいですか。それにしても、少しは睡眠をとらないと……」
独り語ちて、サラがソファに横たわった。
すぐに寝息をかき始めるサラであった。
◇◇◇◇
さて、仕事に戻ったナオミである。
「強く、もっと強く……」
ブツブツ言いながら、ナオミが玄関先をホウキで掃いている。
そんなナオミが塵取りを手にした時である。
「おーい!」
訪問者が現れた。
「あれ? 一人かい?」
門扉の外にいたのは、マリーである。
「あ、先日ぶりです。えーっと……」
「マリーだよ。マリー」
「すみません! えっと、マリーさん。今日はどうされました?」
「お嬢に用があるんだけど、今いいかい?」
中を窺うように、マリーが首を伸ばす。
「申し訳ありません。お嬢様はただいまお休み中です」
「え? こんな明るいうちに?」
ナオミの返答に、マリーが顔を顰めた。
それもそのはず、今はまだ昼前である。
「ええ、なんでもレポートが忙しいらしく……」
「……お嬢らしいね。じゃあこれ、どうしようか?」
マリーの手には、例の依頼書があった。
「ジーンさんの依頼書ですね」
「ああ。一応お嬢にも伝えとこうと思ってね。弟子って言っても、ジーンとは別人だから、引き受けても問題ないし」
「へぇ……」
ナオミの目が怪しく光った。
「よろしければ、私がお嬢様に渡しておきますよ」
「そうかい。悪いね」
ナオミの申し出に、マリーが依頼書を渡した。
「それで、あの、斡旋所の仕組みについて、色々聞きたいのですが……」
ナオミがおずおずと切り出した。
「お、あんたもヤル気になったかい」
元々目をつけていただけあって、気分を良くしたマリーである。
「いいよ、教えたげる。例えばそうだね、依頼を引き受けるには――」
「……」
マリーの言葉に、ナオミが黙って聞き入っていた。




