第三話 斡旋所と女主人(前編)
◇◇◇◇
森を突き抜けて、元の道に戻った2人である。
「ぜえぜえぜえ……。お、追いかけてこねーよな?」
少女の傍らで、男が両膝をついて喘いでいた。少女を抱えたまま、ここまで全力で走ってきたのである。
「まったく、いつも走っているというのに情けない」
呆れた顔で少女が言った。
「い、いくら俺でもな――」
呼吸を落ち着けて、男が抗議する。
「人を一人抱えて、森の起伏を全速力で越えるのは、流石に堪えるんだぜ……」
男が続けた。
「そういう意味ではありません。さっきも言いましたが、貴方のクソ体力は評価しています」
乱れた髪を直しながら、少女が男に向き直る。
「その小さい肝っ玉を言っているのですよ」
「うっ!」
少女の指摘に、男が言葉を詰まらせる。
「で、でもでも」
男は必死に言葉を選んでいた。
「俺みたいなヘタレじゃなくてもさ、並みのハンターだったら、あんな場に居合わせられないんじゃねーの」
男の言い訳はもっともであった。一般的に言って、竜の営巣地に足を踏み入れるなど、命知らずの所業でしかない。
「私は並みのハンターではありません」
「うっ!」
「それに師事すると決めた貴方も、並みのままでいてもらっては困るのです」
「ううっ……」
少女の反論に、男がやり込められていく。
「でもよ、あんな危ないこと――」
「これも、さっき言ったことですが……」
男が言いかけて、女が言葉を被せた。
「流星竜は、決して普通の魔物ではありません。この世で最も思慮深く、偉大な魔物とされています。言葉は分からなくとも、ちゃんと証拠を提示すれば、察するくらいの知能はあるのです」
「そんなこと言ってもよ……」
「危ないと言えば、さっきの貴方の行為が危ない」
「え?」
「いきなり走り出すとは何事ですか。いくら頭が良くて大人しい魔物でも、いきなり大袈裟な行動をすると、敵対行動とみなされますよ。まったく、あの流星竜が落ち着いていて助かりました。若い個体だと、どうなっていたことやら……」
「そ、そうなのか。すまなかった」
理路整然とした少女の講釈に、すっかりやり込められた男である。
「さてと、さっさと町に帰って一杯やりますか。流星竜が来たおかげで、今日は坊主を覚悟していたのですが、思いがけない臨時収入にありつけました」
道を歩きながら、少女が魔猿の首を振り回す。もうすっかり血が抜けていて、生首から滴る物は無い。
「そ、その首だけど、大丈夫なのか?」
少女の後ろを追いかけて、男が聞いた。
「何がですか?」
「いや、血だよ。血。さっきも、そいつの返り血浴びてただろ?」
聞き返す少女に、男が再び質問で返した。
概して、魔物の血液は用心して扱わねばならない。それ自体が毒であったり、病原体が存在していることが多いからである。
「ああ、そういうことですか」
男の意を察して、少女が答える。
「魔猿の血は無害です。生首を扱って厄介なことと言えば、たまにシラミが付くことくらいでしょう。まったく、腹立たしい」
「シラミのことか?」
「違います。血のことですよ」
「うん? どういうこと? 無害だったら別にいいんじゃねーの?」
少女の説明に、今ひとつ要領を得ない男であった。
「逆ですよ。毒や病原体なら、好事家に需要があるのです。用途は知った事ではありませんが」
「そ、そうか……。ハンターって凄いな」
即物的でマイペースな少女に、男が気圧される。
「もう時間が押しています。そろそろ行きますよ」
「また走るのか……」
日が稜線に沈みかけ、帰り道を急ぐ二人であった。
◇◇◇◇
その町は森のど真ん中に在った。
高い石の城壁に囲まれた町は、街道をあちこちに向けて伸ばしている。
この時代、こうして飛び地のように、魔物の領分に人間の町が点在していることがあった。
町の城壁には門が在って、今、年若い番兵が一人立っていた。鉄の兜と鎧を着た番兵は、手に長い歩兵槍を持っていた。
そしてこの番兵、さっきから行き交う人をチェックしているのである。
もっとも、今にも日が暮れそうなこの時分、ノコノコと出かける者はいない。門に集う人間は、もっぱら町の外からやって来た連中ばかりである。
何せ、外へ一歩踏み出せば、そこは魔物の闊歩する人外魔境である。
昼間ならともかくとして、夜ともなれば、森は魔物の独壇場になる。
そのせいで、百戦錬磨のハンターでも、夜半の狩りは避けることが多い。
いよいよ人もいなくなって、番兵が門を閉めようとした時――。
「待って下さい!」
呼び止める声がした。
番兵が手を止めると、道向こうから駆けてくる人間が2人。
1人は先程の少女で、もう1人も先程の男であった。
少し変わったところと言えば、男が少女を肩車して、走っている点である。
「お疲れ様です!」
少女に向かって、番兵が声を張り上げた。
番兵の顔ときたら喜色満面である。
「遅くまで御苦労さまです。それと、無理を言って申し訳ない」
少女が番兵を労った。
対する男は汗だくになって、「ゼーハー」と喘いでいる。
「いえいえ」
番兵は笑顔を崩さない。
「貴女様のためなら、この町の者は協力を惜しみません」
「……それはどうも」
尊敬の視線を送る番兵に、少女がぞんざいに礼を言った。
実はこの時、少女の表情に陰りがあったが、仏頂面のせいで誰にも気づかれなかった。
「それで、今日の獲物ですが――」
少女が言って、魔猿の首が入った袋を取り出した時である。
「いえいえ。それには及びません。どうぞお通りを」
番兵が言葉を被せた。
「……いえ、規則は規則です。検疫はしっかりやっていだだかないと。私だけ特別扱いでは、町の皆に示しがつきません」
「こ、これは失礼しました! 大変ご立派な心がけと存じます。それでは、さっそく中身を拝見……」
少女に促され、番兵が袋の中を確認する。
「はい、確かに。今回の獲物は魔猿ですか。それしにても、眉間に一発で決めるとは……。相変わらず素晴らしい腕前ですね。感服いたしました」
「褒めても何も出ませんよ」
「ハハハ。いえいえ、本当のことを言ったまでです」
少女と番兵の談笑に、一区切りが付いた時である。
「あのー……」
男が遠慮がちに言った。
「そろそろ降りてもらってもいいか?」
頭上の少女に男が聞いた。今の今まで、少女を肩車したままの男である。
「ああ、これは失礼」
少女が断って、男の肩から「よっ」っと飛び降りた。
重装備にも関わらず、綺麗な着地である。
「では、私はこれで」
「どうぞどうぞ」
門を通過する少女を、番兵が笑顔で見送った。
「じゃあ俺も……」
「あんたは駄目」
少女に続く男を、番兵がグイッと引き止めた。
「な、何でさ?」
「何でも何も、あんた、まだ検査終わってないだろ? ほら、とっととこっちへ来な」
「酷い! 男女差別だ! 女尊男卑だ! ギャーッ!」
「うるさい!」
喚く男を一喝して、番兵が詰所へと引き摺っていく。
「門の近くで待ってますからね!」
連れ込まれる男に向かって、少女が声をかけていた。
◇◇◇◇
それからしばらくして、町の往来を行く2人である。
もうとっぷりと日が暮れていた。石畳の歩道には屋台が立ち並び、町はすっかり夜の喧騒を醸し出していた。
「あー、しんどい……」
「お疲れ様です」
男が愚痴って、少女がそれを労った。
男の検疫もとい取り調べは、実に一時間にも及んだのである。
「毎度のことだけど、あの番兵ひでーよな」
「そうですね」
「帰ってくる度に、やれ今日は何があっただの、お前と俺との関係がどーなのとか。もう訳の分からないことばかり聞いてくるんだぜ。とっとと、持ち物検査だけで済ませてくれりゃあいいものをさ」
「……念のため聞きますが、あの事は喋ってませんね?」
男がブー垂れる途中で、少女が思わせぶりに聞いた。
…━━…━━…━━…
少女の言う「あの事」とは、流星竜との邂逅である。
その強大さのせいで、竜との接触は基本的に禁忌となっている。
例外があるとすれば、公の機関が出す討伐依頼くらいであった。
発見すれば即報告が原則で、触れることはもちろん、攻撃など言語道断である。
…━━…━━…━━…
「大丈夫だって」
少女の意を汲んで、男が胸を張る。
「その辺は適当にごまかしておいた。魔猿に出会って俺が腰抜かしたところを、お前に助けられたんだって……」
「どうしました?」
言いながらトーンを落とす男に、少女が理由を尋ねた。
「いや、我ながら情けないなーって……」
「今言った事は、事実ではないでしょう?」
「でも、ヘッポコなのは大して変わらねーじゃんか」
「そうでしょうか?」
「そりゃそうだよ」
少女の慰めも、男には通じない。
「その証拠にさ、さっきから、周りの視線と声が痛いんだよなー」
男が言って、両耳を抑えた。
男の言うように、町に入ってからずっと、衆目を集める2人である。
少女に対する視線は、多くは羨望に見えた。
だがしかし、対する男への視線は辛辣であった。
「おいおい見ろよ。あの木偶の坊」
「何であんな新参者が、あの方と一緒にいるんだ?」
「またヘマしたんでしょう?」
「いくらゴツくても、見かけ倒しじゃ嫌よね」
「ハンターなんて辞めたらいいのに」
以上が、男に対する通行人の陰口である。
もっとも、その大半が若者である。
そんな有象無象の通行人を、少女がグルリと見渡した。
バツが悪そうに、通行人が一様に押し黙る。
「視線はともかくとして、その地獄耳も便利そうで厄介ですね。聞こえない私は幸いです」
感慨深げに少女が言った。
「ですが――」
少女が男を見上げて続ける。
「貴方は、貴方が思っているほど、ヘタレでもヘッポコでもありませんよ」
「お世辞はいいよ」
少女の親切を、男が無下にする。
「お世辞ではありません」
少女が食い下がった。
「貴方がいるお陰で、私は随分と助かっているのです。今日にしたって、馬鹿みたいに足の早い貴方がいたから、ギリギリ刻限まで外に居られたのですよ」
「え? エヘヘ。そ、そうかな?」
少女の言葉に、男が破願する。
「さ、話はここまで。目的地に着きましたよ」
話を打ち切って、少女が近くの建物のドアを開けた。
「ん? 足が早いからって、それって馬と同じじゃね? おーい! どういう意味だ?」
首を傾げながら、男が少女を追った。