第八話 激闘とその後(前編)
◇◇◇◇
人狼は身の丈百八十センチほどの、半人半獣の魔物である。
とは言っても、別段人間に化けたりはしない。
生まれた時からこの姿なのである。
鋭い牙と爪を持ち、徒党を組む人狼は、人間にとって非常に手強い。
家畜は殺すし、人食いにでもなろうものなら、壊滅的な被害が出てしまう。
手先が器用なせいで、簡単に住居に侵入してしまう故である。
救いがあるとすれば、知能が獣並みな点くらいである。
そんな危険な人狼も、ハンターにとっては垂涎の的であった。
人狼の毛皮は美しい。
光の加減で銀色に見えたり白色に見えたりと、グラデーションが魅力な高級品である。
毛の密度も高く、防寒具としての需要が大きい。
皮自体の強度も高く、鞣しただけでも、牛皮の革鎧を凌いでいた。
ただし、人狼は北の魔物である。
サラの町近辺では、見かけることはまずない。
…—―…――…――…
「こ、このっ……!」
『グルルル』
ジーンと人狼の格闘が続いていた。
密着しているせいで、ジーンは剣を抜けない。
「今助けます!」
加勢しようと、サラが弩で狙う。
だがしかし、ジーンと人狼が重なって、照準を付けにくい。
「ちっ!」
舌打ちをするサラであった。
それもそのはず、サラの手持ちは毒矢しかない。
武器屋で新品を注文し損ねた、飛竜の毒矢である。
これは初心者のナオミを伴うための、万が一の用心であった。
もっとも、人間に当たれば、掠るだけで致命傷になってしまう。
強力な武器が仇になった瞬間である。
「ナオミ! ジーンの援護を!」
サラが指示するも、ナオミは「あわわ……」と腰を抜かしている。
薙刀は地面に投げ出されたままである。
「くそっ!」
ナオミを見切って、サラが短剣を抜いた。
「ジーン! そのまま抑えて下さい!」
サラが腰だめに構えて、人狼に突っ込もうとした時――。
「手出しするんじゃねー!」
ジーンが押し止めた。
「え?」
サラがたたらを踏んだ。
「こいつは俺が殺る!」
ジーンは闘志むき出しであった。
「ですが――!」
「まあ、待てって」
焦るサラに、余裕を見せるジーン。
「中途半端でも、人の形をしていたら、俺の十八番だぜ。こういうヤツはな……」
言って、ジーンが右手で人狼の喉元を掴んだ。
「こうしてやるんだよ!」
ジーンが足に力を込めた。
◇◇◇◇
「うりゃーっ!」
左腕に喰い付かせたまま、ジーンが人狼を押した。
『ガアッ?』
ジーンに押し切られ、人狼は踏ん張りが効かない。
「どっせい!」
ジーンはそのまま、人狼を大木に叩きつけた。
幹が揺れて、木の葉が舞った。
「死ねーっ!」
大木に押し付けながら、ジーンが人狼の首を締め上げた。
ジーンの右腕が、筋肉で盛り上がる。
その一方で、苦しさに耐えかねた人狼である。
『ガガッ! ゲエッ!』
人狼の爪が、無茶苦茶に振り回された。
「くっ――!」
鎧の隙間を斬り付けられて、ジーンが呻いた。
もっとも、超が付くほどの至近距離である。
ジーンと同じく、人狼も間合いを殺されている。
付ける傷は、ことごとく浅い。
「ふんっ!」
負傷に構わず、一層力を込めるジーン。
ジーンの指先が、人狼の首に食い込んだ。
『カハッ……!』
人狼が白目を剥いた。
その身体から力が抜けて、腕がダランと垂れ下がる。
「ふぅ……」
ジーンが力を緩めた。
人狼がドサリと、地面に倒れ伏す。
もっとも、単に気絶しただけの人狼である。
「さてと……」
うつ伏せの人狼を見て、ジーンが剣を抜いた。
「止めだっ!」
言って、ジーンが人狼に剣を突き立てた。
剣先は肋骨の合間を縫って、ものの見事に心臓を破った。
『ガアッ――!』
一瞬だけビクンと動いて、人狼は息を引き取った。
血が溢れて、地面に広がっていく。
「よし!」
ガッツポーズをとるジーン。
「どうよ? この俺の戦いぶりは?」
「人狼を単身で仕留めたのは、確かに快挙ですが……」
自慢するジーンを褒めるも、サラの顔は暗い。
「うん? どうした? そんな顔して」
「ちょっとこっちへ来なさい」
首を傾げるジーンを、サラが手招きした。
「ちょっと怪我を見せなさい」
「これか? 大したことねーよ。ほんの掠り傷だって」
「そっちじゃなくて、こっちです!」
ジーンの籠手を、サラが外した。
果たして、左手は内出血で真っ青である。
「あー……、大丈夫だって。折れてねーよ」
マジマジと傷を診るサラに、ジーンが言った。
「牙は……、届いていませんね」
腕の様子に、サラが胸を撫で下ろす。
地虫の革鎧は、見事に人狼の牙を防いでいた。
「ですが、一応消毒を――」
言って、サラが皮水筒を取り出した。
サラはそのまま、ジーンの左手を洗った。
「何だそれ?」
液体から漂う臭いに、ジーンが興味を示す。
「蒸留酒ですよ」
「え? 勿体ない!」
「馬鹿を言うんじゃありません!」
ジーンを嗜めるサラである。
「消毒用の蒸留酒です。ハンパない度数ですよ。一気に飲もうものなら、私でさえ少しは酔うくらいの……」
自分を引き合いに出すサラは、それこそハンパないウワバミである。
「わ、分かったよ……」
すごすごと引き下がるジーン。
「でも、今日はどうしたんだ? いつになく気遣ってくれるじゃねーか」
聞くジーンの顔は、少し照れている。
「ここで本人に言う事ではないのかもしれませんが――」
サラが続ける。
「全部の個体がそうではありませんが、人狼は病気を媒介するのです」
「え?」
「噛まれて感染る病気です」
「……病気ってどんな?」
説明するサラに、ジーンが聞いた。
「……最初は風邪のような症状が出ますね。時期に精神錯乱を起こし、全身の筋肉が麻痺して呼吸困難を引き起こします」
「それで?」
「死にます」
「おいっ!」
淡々と言うサラに対して、青ざめるジーンである。
「治療法は?」
「ありません。患ってしまったが最後、百パーセント死にます」
「どーすんだよ! 俺はまだ死にたくねーぞ!」
「ですから、さっき消毒したでしょう。接触してもすぐ洗えば、感染を免れますから――」
「ちょっとそれ貸せ!」
ジーンが水筒を引っ手繰った。
「うおぉぉぉっ!」
傷口という傷口に、酒をジャバジャバと浴びせるジーンである。
「あくまで噛まれることで感染るから、爪からの切り傷は大丈夫ですよ……って、聞いていませんね」
呆れるサラを余所に、ジーンが体中を洗いまくっていた。
◇◇◇◇
「さてと、立てますか?」
へたり込んだナオミに向かって、サラが手を差し出した。
「あ、ありがとうございます」
礼を言って、ナオミが立ち上がった。
もっとも、身長差がありすぎるので、引き起こされたかと言えば微妙である。
「あの、すみませんでした!」
ナオミが頭を下げた。
「いきなり何ですか?」
サラが聞く。
「さっきまったく動けなくて……」
ナオミが謝るのは、人狼との戦いである。
サラの指示にも関わらず、腰を抜かしたナオミであった。
「ああ、そのことですか」
サラが察した。
「むしろ、謝るのはこちらですよ」
「え?」
サラの返事に、ナオミが顔を上げた。
「初日から無理をさせ過ぎました。あんなの動けなくて当然です」
「でも――」
「まあ、聞きなさい」
ナオミを押し止めて、サラが続ける。
「人狼は生易しい魔物ではありません。ベテランハンターでも、群れであれば避けますし、単独行動の個体がいても、正面から挑むのは自殺行為です。あれを倒すには、先制をかけるしか無いのですよ。今回みたいに、向こうから奇襲をかけられたら、まず助かりません。はっきり言って、ジーンがいなければ私でも危なかった」
せっかく褒めるサラを余所に、「ああ、神様。どうか感染っていませんよーに!」と祈っているジーンであった。
あちこちに浴びせまくったせいで、酒精の臭いがプンと周囲に立ち込めている。
「そんな訳で、貴女が気に病む必要はありません」
「……はい」
サラの慰めに、ナオミが納得した時である。
「あれ?」
ジーンが祈りを止めた。
「どうしました?」
「何か聞こえねーか?」
「……ジーン、病気を恐怖するあまりに、ついに幻聴まで……。大丈夫です。いいカウンセラーを知っていますから」
「そんなんじゃねーよ!」
憐憫を向けるサラに、ジーンが怒った。
「あの~」
遠慮がちに、ナオミが片手を挙げた。
「私にも聞こえました」
おずおずと言うナオミである。
「本当ですか? どれどれ……」
目を瞑って、サラが耳を澄ます。
「ああ、確かに聞こえますね」
サラが目を開けた。
「おーい! 誰かいるのか?」
果たして、遠くから聞こえるのは、男の呼び声であった。




