第七話 初猟と負傷(前編)
◇◇◇◇
ラシードとの交渉を終えて、役場を後にした二人である。
目貫通りを歩くサラに、ジーンが続いていた。
「なーなー」
ジーンが切り出した。
「何ですか?」
サラが聞く。
「あれでよかったのか?」
「あれとは?」
「あのラシードってヤツとの取引だよ。もっと色々ふっかけても、良かったんじゃねーの?」
「後に尾を引く要求は悪手ですよ。あまり無茶をすると、こちらを恨みかねない」
「向こうに非があるのに?」
「その通りです。相手にもメリットがある――そういう落しどころが丁度いいのです」
サラの言い分に、ジーンが「ふーん」と納得した。
「それにしても、あのジルってヤツ、どういうつもりだったんだろうな?」
ジーンの懸念は、ジルの悪意である。
「今となっては、真実は闇の中ですが――」
サラが続けた。
「あの男が無関係だった可能性は、十分ありえますね」
「うん? どういうこと?」
ジーンが首を傾げた。
「出入管理記録ですよ。確かにジルは商人たちより先に町を出ていましたが、あまりにも時間に差がありすぎです。斥候だったのは事実かもしれませんが、仲間だったかは甚だ疑問ですね」
「ますます分からねーな……」
サラの言葉に、ジーンが頭を悩ませた。
「これから言う事は、全て私の妄想なのでオフレコに願いたいのですが――」
サラの勘繰りが続く。
「あれ、ラシードが目撃者にでっち上げたのですよ」
「えっ?」
「要するに強請りですよ。ゆ・す・り」
「おいおい。マジかよ……」
サラの推測もとい妄想に、ジーンは驚きを隠せない。
「てっきり、ジルが元凶かと思ってたぜ」
「まんまと向こうの思惑に嵌ってますね」
「……まったくだな。でもお前、やっぱ頭がいいだけはあるな! 全部こっちの主導になったじゃねーか」
「それも、ちょっと違います」
言って、サラが足を止めた。
「サトウキビの件ですが、多分あれ、向こうから持ちかける気だったのですよ」
「おいおい、そいつは変だろ」
サラの推測に、ジーンが指摘した。
「それともお前、言われてもいないのに、相手の要求を呑んだのか?」
「その通りです」
「一体何の得があるんだよ?」
「はぁ……。これだからアホは」
「……おいコラ」
サラが煽って、ジーンが青筋を浮かべる。
「何故盟主自ら赴いてきたのか、考えてください」
怒れるジーンを余所に、サラが続けた。
「これは政治なのですよ。私は男爵家の後継ぎですからね。後継者を見定めることが、本来の目的だったのでしょう。あの対談は、腹の探り合いだったのです」
「ほう……」
「ラシードにしても、こちらが意を汲んだことは承知のはずです。最初から着地点は決まっていたのです。そもそもの話、本当に私をやり込める気なら、ナオミの件を持ち出せば十分でしょう?」
「あ、そっか! あいつらが知らねーはずねーもんな」
「私も自分の博識ぶりを披露出来ました。あの反応からして、お眼鏡に適ったようで万々歳ですね」
「まあ、対談の意味は分かったけどよ……。何か今ひとつ面白くねーよな。結局相手の思惑通りじゃねーか」
「それも大丈夫です」
不平不満なジーンに、自信満々のサラである。
「私はキビ砂糖の専売しか許していません。アカデミーでは、ある種の大根からの製糖技術が研究中です。近いうちに実用化されるでしょうから、折を見て町に導入する予定です」
「……お前、鬼かよ」
「ちゃんと折を見ると言ったでしょう。南部商業者組合の懐具合を計りつつ、その南部商業者組合自体も含めて、この技術の使用を許すつもりです。誰も損はしません。これこそが正しい取引なのです」
「やっぱお前すげーわ……」
サラの深謀遠慮に、ジーンが舌を巻いた。
「それはそうと、私からも聞きたいことが」
サラが話題を変えた。
「例の『俺が守護するお嬢様が、こんなに鬼畜なわけはない!』についてなのですが――」
「よし、早く行こうぜ!」
サラを振り切って、ジーンが先を急いだ。
◇◇◇◇
場所は変わって、ハンター斡旋所である。
カウンターで堂々と、マリーが帳簿をつけていた。
普通なら人目を忍ぶ行為でも、客がいないと話は別である。
「はぁ……」
溜息をつくマリー。
それもそのはず、帳簿は完全に赤字であった。
…――…――…――…
赤字とは言ってもこの斡旋所、実は王国政府の出先機関である。
つまるところ役所であり、必然的にマリーも役人となる。
独立採算制を採っている理由は、封建制故の事情であった。
王国に帰依するとは言え、諸侯は決して従順ではない。
封土の自治権は極めて強い。
ハンター制度の統一を目論んでも、そこが貴族の所領である限り、必ず差し出口が挟まれてしまう。
相手が大貴族ともなれば、政府としても機嫌を伺う必要がある。
そこで編み出されたのが、斡旋所の特殊な位置づけであった。
要するに、完全に独立採算制を採らせて、税金を領主に収めるのである。
その代わりに、運営方針には口を出させない仕組みとなっていた。
ちなみに責任者は、一般の商店と同じく代々世襲である。
つまるところ、貴族や騎士を別として、マリーは珍しい世襲の役人であった。
だがしかし、この事実はあまり知られていない。
一応は役所の斡旋所は、領主と平民の間で板挟みである。
そのせいで、自ら事実を喧伝しないことも原因であるが、副業にコソコソと酒場を併設していることも、また理由であった。
役人である以上、基本的に副業は禁止である。
…――…――…――…
「それにしても」
ペンを置いて、マリーが目線を上げた。
「一体、何がどうなってるんだい……」
愚痴るマリーの眼前は、閑古鳥の鳴いた店内であった。
魔物激減の余波が元凶である。
理由は全く不明であるが、一般人にとってはむしろ有難い。
だがしかし、そのせいでハンターは上がったりであった。
斡旋所に関しても、同じことである。
「変なことが起きる、前触れじゃなきゃいいんだけど――」
マリーが独り語ちた、その時であった。
「お邪魔します」
「よっ!」
サラとジーンがやって来た。
「うわっ、出た!」
露骨に顔を歪めるマリー。
「『出た!』はねーだろ」
ジーンが閉口する。
「ふんっ! アンタらの荒事に付き合わされた私の身になって……」
マリーは喋りながら、徐々に声のトーンを落としていった。
「何で血の匂いがするのさ?」
「ああ、そうですか」
「仕方ねーよなー」
引き攣るマリーに、馬耳東風のサラとジーン。
「ま、まさか……。あんたら、あのラシードを――!」
慄くマリーに、サラが「違います」と返した。
「実はですね――」
事のあらましを、サラが語っていった。
◇◇◇◇
「ふーん……」
サラの説明をマリーが聞き終えた。
とは言っても、サラの人買いの経緯や、ジーンの影働きについては伏せている。
政治的取引に関しては、言わずもがなである。
「なるほどね」
納得しながら、マリーが棚の小瓶に手を伸ばす。
「おいおい、何だそれは?」
ジーンが聞いた。
「何って、塩さね」
マリーが答える。
「塩?」
首を傾げるジーン。
「そうだよ」
言って、マリーが続けた。
「またぞろ性懲りもなく人死を出したのかい! わざわざそんなことを知らせに来たのか、この疫病神夫婦! 塩撒いてくれる!」
「私たちが殺した訳ではありません」
「夫婦じゃねーよ!」
塩を握るマリーに、サラとジーンが反論する。
「うっさい!」
マリーが振りかぶった瞬間である。
「今日は仕事で来たのですよ」
「え?」
サラの言葉が、マリーを止めた。
「……ちっ、仕方ないね」
背に腹は代えられず、マリーが手を下ろす。
「とは言っても、今出せるのは、こんなのだけだよ」
マリーが差し出したのは、人探しの依頼書であった。
外界で行方不明になった、ハンターの捜索願である。
対象者は、いつぞやの酒場でジーンを馬鹿にした、あの三人組である。
「行方不明になったのは、三日前ですか……」
捜索願を読むサラであるが、その顔は渋い。
外界での寝泊まりは、半ば自殺行為である。
「可能性はあるよ」
マリーが言った。
「魔物が減ってるって、前にも話しただろう? 単に道に迷ってるのなら、間に合うかもしれない」
「分かりました。引き受けましょう」
あっさり引き受けたサラである。
「いいのかい? こんな単純な仕事で?」
マリーが聞いた。
「問題ありません」
きっぱりとサラが答えた。
「実を言うと、家のナオミがハンターを志望しているのです。肩慣らしをさせたいのですよ。魔物が減っているのなら、むしろ丁度いい」
「へえっ! あんたにしては、奇特なこった!」
「それにもう一つ。着手金を返せないのは当然として、最悪死体や遺品でも構わないと依頼にありますしね」
「……そっちが本音だろ」
抜け目のないサラに、マリーが呆れた。
「それはそうと――」
話題を変えるマリー。
「それにしても、一太刀で斬り伏せたって、ラシードのヤツも大概だね」
マリーが感慨深げに言った。
「私には、抜く手も見えませんでした」
「俺には見えてたけど、見事な腕だったよなー。あれは相当修練を積んでるぞ」
サラとジーンが続けた。
「……私が言いたいのは、そういうことじゃないんだけどね」
言うまでも無く、マリーの指摘はラシードの善性である。
「じゃあ、さっそく明日にでも出かけましょう。今日中にも、ナオミの鎧が届く予定ですし」
「あ、それなら一つ頼まれおくれよ」
「何をですか?」
「前にも言っただろう? そのメイドさんに会わせて欲しいんだ。ついでにハンター登録をしてやるからさ」
「……分かりました。家まで来てください」
「りょーかい!」
こうして、マリーを連れて、サラとジーンは家路に着いたのである。




