第二話 魔物とハンター(後編)
◇◇◇◇
「ああ、そういうことですか。大したことはありませんよ」
男の称賛を、謙遜で流す少女である。
「これには理由がありましてね……。ちょっと待って下さい」
言って、少女が魔猿に手を伸ばす。
少女はそのまま、魔猿の顔面を踏みつけて、刺さった太矢に手をかけた。
少女に踏まれて、魔猿の顔がグニャリと歪む。
「な、何を――」
「いいから……よいしょっと!」
男を黙らせて、少女が太矢を抜き取った。
抜いた拍子に返り血が少女にかかる。
「これをご覧なさい」
これみよがしに、少女が矢尻を突き出した。
「何だこれ?」
矢尻を見て、男が疑問符を浮かべる。
それもそのはず、矢尻は普通と違っている。
尖った先端がボタン状になっていて、四方に刃物が開く仕組みであった。
「狩猟用の特殊な矢尻です」
少女が説明を加えていく。
「獲物に刺さったら、体内で刃が開くカラクリになっているのです。これならば、例え急所を外しても、体組織をズタズタに引き裂けます。もし相手が人間なら、どこに当たっても失血死は免れませんね」
「……そんな物騒なのを俺に向けたのは、この際置いておくとしてだな――」
少女の自慢に、閉口する男でる。
「急所を外すも何も、きっちりと眉間に刺さってるじゃねーか……って、何だこれ?」
男が指摘して、魔猿の横に腰を屈めた。
果たして、そこには奇妙な物体が転がっている。
楕円形のそれは一抱えほどの大きさで、白地に緑の水玉模様をしていた。
「魔猿の落し物ですね。察するに、くすねて来たのでしょう」
「へー。何か綺麗だな」
「あ、ちょっと――」
「え?」
少女が止める間もなく、男が物体に触れた。
「触ってしまいましたね……」
少女が顔をしかめた。
「え? 何? これ危ない物? 触ったら死ぬ系?」
「いえいえ。別に触ったからと言って、毒ではありませんよ」
動揺する男に、少女が否定する。
「何だ……」
男が胸を撫で下ろした時である。
「まあ、さっき会った流星竜の卵だったりしますけどね」
「……は?」
ボソリと加える少女に、男が目を白黒させた。
◇◇◇◇
再び、森の中を進む二人である。
少女が先頭に立って、男が後に続いていた。
あちこちと周囲を調べる少女に対して、男は両手で流星竜の卵を抱えている。
「なあ、本当にやらなきゃ駄目?」
青い顔をして男が聞いた。
「駄目です」
少女が断言する。
「卵を親に返しに行くなんて、どうかしてるぜ……」
うなだれながら、男が卵に視線を落とした。
「その理由は、さっき言いましたが?」
立ち止まって、少女が男に向き直る。
「はいはい、分かりましたよ」
男が姿勢を正す。
「俺が臭いを付けたからでしょ」
「分かればよろしい。行きますよ」
男が言って、少女が先を進んだ。
「ちくしょう。今日は厄日だ……」
涙目になって、男が少女を追った。
…━━…━━…━━…
二人が森に戻った理由は、流星竜にある。
より具体的に言えば、男がその卵に触れたせいであった。
流星竜に限らず、竜は押し並べて知能が高い。さらに言えば、嗅覚も大変優れている。
竜にとっては、臭いから卵泥棒を見つけることなど容易い。
その上、なまじ頭が良いだけに、竜は報復の概念を持っていた。
過去にも卵を巡って、竜が集落を壊滅させた事件があった程である。
男の臭いが卵に移った以上、人間に疑いがかかっては、厄介なこと甚だしい。
もっとも、真犯人の死体が置きっ放しの状況である。
そのまま現場を放置しても、流星竜が真相を察することも考えられた。
しかしながら、ここに至っては、放置しても安全とは言い切れない。
流星竜が先に二人を見つけているからである。
一番安全で確実な方法は、流星竜に卵を返すことであった。
…━━…━━…━━…
「でもさあ……」
少女の背中を見ながら、男が口を開いた。
「さっきのあれが、親とは限らないんじゃねーの? もう一匹いるかもよ?」
「それはありません」
「何で?」
「この時期、流星竜の生息密度は酷く低くなるのです。加えて、さっきのあれは、明らかに何かを探していました。状況からして、あれの卵と断定していい」
男の疑問に少女が答えていく。
「なるほどなー」
「そもそも、さっきからこうやって、痕跡を辿っているではないですか」
感心する男に、少女が続けた。
「それってどういう意味? 後をつけることに、何か意味が?」
男が首を傾げる。
「言葉が足りませんでしたね。これは営巣の痕跡を追っているのです。そうすれば必然、貴方が懸念した別個体だとしても、親竜の方に行きつけるでしょう?」
「おおっ!」
付け加えた少女に、再び感心してみせる男であった。
「やっぱ、お前すげーな」
「……」
男が褒めるが、少女は黙ったままである。
実はこの時、少女の仏頂面が綻んでいたのであるが、生憎と少女は男に背中を向けていた。
「すげーついでに教えてくれよ。今思ったんだけど、あの魔猿って、卵を持ったまま人を襲うのか? わざわざ俺を巻き込む、危険極まりない射撃をする必要がどこに――」
「さて、先を急ぎますよ」
男の台詞の途中で、少女が仏頂面に戻った。
「ちょっ……ま、待ってくれよ!」
足早に進む少女を、男が慌てて追いかける。
◇◇◇◇
果たして、目的の場所は近くにあった。
さっきの道から、30分ほど森を進んだ地点である。
枝を折った箇所や、足跡を辿った先で二人が見たその場所は、開けた窪地であった。
木々が途切れたせいで、森の中にも関わらず、陽が差し込んで明るくなっている。
そんな窪地の中央では、件の流星竜が鎮座していた。
流星竜は、枝で作った巣を掻き抱くように、とぐろを巻いている。
そんな巣の中には卵が四個置いてあった。
そのいずれもが、男の持っている卵と同じ模様である。
「割とあっさり見つかりましたね」
窪地の上に身を伏せて、少女が言った。
「あ、相変わらず、なんちゅーデカさだ……」
男は少女の後ろで、青い顔をして縮こまっていた。
「で、どうやって、気付かれないよう返すんだ? 出かけたところに、忍び込むのか?」
男の言うように、流星竜は二人に気付いていない。少女が風下から近付いたせいである。
「は? 何を言っているのですか?」
仏頂面をさらに顰めて、少女が聞き返した。
「正面からお返しするに決まってます」
少女が答えた瞬間、男が「はいこれ」と、少女に卵を差し出した。
「ここからはお前の仕事だ。いや何、ちょっと急用を思い出したんだよ。洗濯物をたたまなきゃな」
「ごちゃごちゃ言わずに一緒に来なさい! 張本人の貴方がいないと、話にならないんですよ」
「ちょっ! 痛い痛い! 分かったって!」
及び腰の男を引っ張って、少女が流星竜の巣へと向かった。
「ほら、こうやって徐々に風上に向かって、ゆっくりとこちらの存在を気付かせるのです」
「お、おう」
「決して急に動いてはなりません。あくまで自然体で……そう、そういう感じです」
「わ、分かった」
少女が先導し、二人は位置を風上へと変えて行く。
いよいよ接近した二人に、流星竜が警戒を強めた。首をもたげ、二人の動向を注視している。
「ここここ、こっちを見てるぞ」
慄きながら男が言った。恐怖のあまり、男は全身をブルブルと震わせている。
「大丈夫です。それよりも、卵を落とさないように。それを割ると、もう言い訳が立ちません」
「分かってる」
少女の注意を受け、男が卵をしっかりと抱え直す。
「では、ここから降りますよ。さっきも言いましたが、卵の安全には気を付けて」
「おう」
少女の合図で、二人は窪地をズリズリと滑り降りて行く。
流星竜は、ジッと二人の様子を窺っていた。
そして、二人が窪地に降り立った時である。
男の持っている卵に気付いて、流星竜がズイッと立ち上がった。
「ひっ!」
「大丈夫です!」
叫びそうな男を、少女が強めに制した。
流星竜がドシドシと地響きを立てて、二人の側に近寄った。
もはや双方の位置は、目と鼻の先である。
流星竜が首を伸ばし、男の持つ卵の臭いをクンクンと嗅ぐ。
そして、やにわに流星竜が口を開いた時――。
「これを!」
少女が言って、袋から魔猿の首を取りだした。
流星竜が目を細めて、今度は魔猿に鼻を近づける。
卵と魔猿の臭いを交互に嗅いでいた流星竜であったが、五分くらい経つと、プイと二人に背を向けた。
そのまま巣へ戻った流星竜であるが、二人の方を向いて突っ立ったままである。
「卵を置けということですね……って、あれ?」
少女が促すも、男は完全に固まっていた。
「……はあ、分かりました。ここまで来たら、私がやってもいいでしょう」
男から卵をひったくり、少女が巣に向かって歩みを進めた。
「これでいいですか?」
巣に卵を置いて、少女が流星竜を見上げた。
少女に答えるよう、流星竜は再びとぐろを巻いて、身体を横たえた。
「やれやれ、取り敢えず、これで危難は去りました」
男の近くに戻って、少女が言った。
「に、逃げるぞ!」
緊張を解いたかと思うと、男がやにわに少女を抱え上げた。
「ちょ、ちょっと! 何するのです!」
少女の抗議を無視し、男が窪地を駆け上がっていく。
男はそのまま全速力で、元来た道を突っ走っていった。
そんな二人の背中を、流星竜は不思議そうな顔で、ジーッと眺めていた。