第四話 稽古と買物(前編)
◇◇◇◇
それから一週間後である。
「こうですか?」
「もうちょっと、こう背筋を立ててみな」
「は、はい」
「あとは腰を落として」
「……ど、どうでしょう?」
「うん、それでいい」
今、ジーンとナオミがいるのは、館の裏庭である。
半ば流されるままではあるが、ジーンに師事を請うたナオミである。
今、二人が勤しんでいるのは、長い棒を使った稽古であった。
握る手と構える足の前後を交互に入れ替えながら、ナオミが上から下に棒を振る。
「じゃあ、取り敢えず素振り百回なー」
「はいっ!」
「最初のうちは、ちょとくらい遅くなってもいいから、丁寧に振るようになー。結果的に、その方がよく斬れるんだし」
「はいっ!」
ジーンの指示を、ナオミは素直に受け入れる。
「よーし、いい返事だ」
ジーンが頷いた直後である。
「精が出ますね」
サラがひょっこり顔を出す。
「よお……って、どうしたんだその顔?」
サラを見て、ジーンが驚いた。
それもそのはず、サラは目の下に大きな隈を作っている。
「ちょっと、レポートが煮詰まっていましてね。完徹です」
あくびをしながら、サラが答えた。
「へぇ~……。何か大変そうだな」
「はい、まったくです」
ジーンが同情して、サラが目をこすった。
「それはそうと、ナオミの様子はどうですか?」
目を充血させて、サラが聞く。
「うん、やっぱり薙刀でいこうと思う」
ジーンが答えた。
「貴方から見て、才能は如何ほどで?」
「やっぱり、筋がいいな。何より、こっちの言うことを素直に聞く。こういう基本的な姿勢って、ものすごく重要だからなー」
「ほう……」
ジーンの言葉に、サラが目を光らせた。
「貴方がそんなことを言うとは、少し意外ですね」
「何でだよ?」
「いえ、脳筋な貴方のことですから、『ここはこう、ガーッといって、ゴーッとするんだ』とか、もっとアホみたいな感じかと」
「……嫌なことを思い出させるなよなー」
指摘するサラに、苦虫を噛み潰したようなジーンである。
「何か、心当たりでも」
「いや、実はな――」
サラの追及に、ジーンが過去を語った。
…――…――…――…
ジーンの実家は、近衛隊を率いる武門の家柄である。
城勤めの騎士は、重責の割に給金は低いことが多い。当然、ジーンの家も同じである。
こういった家は、副業で家計を賄うのが習いである。
ジーンの実家では、自宅で開く剣術道場がそれであった。
武芸の需要は、それなりに高い。
対魔物戦に特化したハンターはともかく、人界では人間同士のいざこざが絶えない。
騎士や兵といった職業戦士だけでなく、広く一般人にも必要な技能である。
それ自体が治安を悪化させて、永遠のマッチポンプであるとかの批判は別にして、道場のおかげでジーンの家は人並みには潤っていた。
だがしかし、ジーンがそれをぶち壊す。
この時点までは、後継ぎの階梯を、順調に上っていたジーンである。
そんなジーンがある日、父親の代わりに稽古代を務めることとなった。
破滅の始まりである。
サラが言ったように、ジーンは「ガーッといって、ゴーッとするんだ」と喚くばかりで、稽古は遅々として進まない。
埒があかなくなったジーンは、「お前ら順番にかかって来い!」と言って、片っ端から医者送りにしてしまった。
以上が、とある剣術道場店仕舞いのあらましである。
…――…――…――…
「で、反省して、今はこうなった訳」
語り終えたジーンである。
「……思ったのですが」
少し間を置いて、サラが続ける。
「貴方の失脚は、その時から始まっていたのでは?」
「……あ」
サラの指摘に、意表を突かれたジーン。
ナオミの「えいっ! えいっ!」という掛け声だけが響いて、時間だけが無常に流れた。
「ところで、何で薙刀って、切れ味がいいんだろうな?」
「ああ、それはですね――」
ジーンが話題を換えて、サラがそれに付き合った。
「角速度の違いですよ」
「うん? どういうこと?」
「つまりですね……」
ジーンの疑問を受けて、サラが地面に絵を描く。
「同じ重さの物体が何かに当たるなら、より速い方が威力がある――ここまでは分かりますか?」
「うん」
「絵の薙刀を見てください。振り下ろす軌道を円弧に見立てますと、穂先に近い一点と、手元に近い一点の動いている時間は、どちらも同じです」
「そりゃそうだ」
「速度は距離から時間を割った値です。かかった時間が同じで、より長い距離を移動しているのは?」
「……穂先ってことか!」
サラの説明に、ジーンが「長年の疑問がやっと解けたぜ」と理解を示した。
「やっぱお前、頭いいよなー」
感心するジーンに「当然です」と胸を張るサラ。
「馬鹿にも説明できることが、賢者の条件です」
「やっぱお前、性格悪いよなー」
サラの蛇足に、ジーンが閉口した。
◇◇◇◇
少しふらつきながら、ナオミがジーンの方へやって来た。
「お、終わりました」
見事、百回の素振りを完遂したナオミである。
「うん。じゃあ、今日はもう終わりで」
「え?」
ジーンの言葉に、ナオミがキョトンとする。
「あ、あの」
「どうした?」
遠慮がちなナオミに、首を傾げるジーン。
「私、まだまだ大丈夫です!」
言ったものの、上気した顔の並みであった。
「駄目です」
「駄目だ」
サラとジーンが揃って言った。
「……どうぞ」
サラがジーンに譲る。
「休養もまた稽古だ。自分が限界と思ったら、もう少しだけ続けてみる。反対に、まだいけると思ったら、さっぱりと打ち切る。これ、上達の秘訣だぜ」
ジーンのアドバイスに、横にいるサラが「おや?」と目を剥いた。
「わ、分かりました」
あっさりと折れるナオミ。
「うんうん。分かったら、汗を拭いてきな。せっかくの可愛い顔が台無しだぜ」
「は、はいっ!」
ジーンが言って、ナオミが顔を赤らめながら駆け出した。
「若干女タラシっぽいのは、この際置いておくとして――」
ナオミの背中を見て、サラが切り出す。
「教育者としての資質は、貴方の方があるのかもしれません」
「そりゃどうも」
サラが褒めて、ジーンがぞんざいに返した。
「ナオミの稽古を見てて、思ったんだけど……」
「はい?」
「お前はクロスボウ以外に、何か心得はあるのか?」
「ええ。片手剣術に、少しばかりの覚えが」
「あれ? そうなの?」
「ご披露しましたけど?」
サラの告白に、ジーンは「うーん」と腕組みをしてと考えた。
「それいつよ?」
「ほら、前に捕まった時です」
ジーンが聞いて、サラが答える。
「……ああっ! あの時か!」
しばらくして、合点のいったジーン。
…――…――…――…
お家騒動の折、サラは刺客に捕まった。
ジーンが颯爽と助けに入った丁度その時、サラは自力で脱出したのである。
その際に、サラは短剣で、刺客を一人見事倒している。
…――…――…――…
「もっとも、腕は十人並みですよ」
サラが謙遜した。
「何だったら、今からでも稽古するか? 稽古台くらい務めてやるぜ?」
ジーンが持ちかける。
「貴方を倒せる絵が、どうしても描けません。殺るならクロスボウでズドンです」
「……どこまでも、勝利に貪欲なのね」
勝ち負けに拘るサラに、呆れ返るジーン。
「と言うのは、半分冗談として――」
「半分は本気なんだな」と突っ込むジーンを無視して、サラが続けた。
「今から買い物に行きたいのですよ。荷物持ちをお願いできますか?」
「はいはい」
サラの要求を、ジーンはあっさりと飲んだ。ちなみに、この人の良さが、ジーンが体よくこき使われる理由である。
「あっ!」
突然、ジーンが顔を上げた。
「お前ひょっとして!」
ジーンが詰め寄るも、サラは涼しい顔である。
「さっきナオミの稽古を止めたのって……」
「はい?」
「俺に荷物持ちをさせるためかよ!」
「違います」
ジーンの推測を、サラは否定した。
「何だ……」
ジーンが引き下がった、その時である。
「正確には、ナオミも含めてです」
サラが言って、ジーンが足を滑らせた。
◇◇◇◇
往来を進むサラ一行である。
先頭にサラが立って、ナオミとジーンが順に続いていた。
しかしこの三人、目立つこと甚だしい。
化粧で隈を隠したサラは、もう立派な淑女であった。半袖の襟飾りの付いた白いブラウスを着て、下は茶色い皮の長ズボンに、短いスカートを合わせている。長い髪をツーサイドで分け、ヒールの高めなブーツを履くサラは、お洒落に決め込んでいた。
一方でジーンである。こちらは麻のシャツに長ズボン、そして使い古した革靴と、その辺に掃いて捨てる程いる冴えない格好である。ただし、千切った袖から露出する筋肉はただ事ではない。
ナオミはいつものメイド服であるが、こちらは人目を忍んでローブを纏っている。
そもそも、飛びぬけたナオミを別にしても、ジーンですら大男である。それを小柄なサラが率いており、まるで巨人を従える小鬼であった。
小鬼と違うのは、それが伊達な美少女である点である。
…――…――…――…
ちなみに、巨人は架空として、小鬼はしっかりと実在である。
主に洞窟に住む小鬼は、人の半分ほどの背丈をした醜い小人然の魔物である。
通行人から物をかっぱらって生活する、それが小鬼である。
肉体は脆弱な小鬼であるが、その絶大な繁殖力と、数に飽かせた連携は凄まじい。
知能も割と高いので、しばしばベテランハンターも足をすくわれた。
とは言え、単体では素人でも殺せる上、特に利用価値もないので、基本的には捨て置かれる存在である。
…――…――…――…
「ほらアレ」
「キャッ、怖い」
通りすがりの乙女たちが、サラたちを見て目を逸らす。
「ママー。あの人たち――」
「しっ! 見ちゃいけません!」
指さす子供を、母親がたしなめた。
「オラオラ! そこ除けや……」
威勢のいいチンピラが足を止める。
「す、すいませんでしたーっ!」
詫びながら、チンピラが駆けていく。
だがしかし、サラとジーンは動じない。
「今日も有象無象が湧いて出ますね」
「だなー」
どこ吹く風の、サラとジーン。
その一方で、ナオミである。
「ひっ! す、すみません……」
通行人の反応に、ナオミは一々委縮していた。
ただし、これはナオミの自意識過剰である。
人間は得てして、悪目立ちが目に入りやすい。
サラとジーンは町の名士である。しかも英雄とくれば、ほとんどが肯定的な人ばかりであった。
二人の顔を知らない者だけが、大袈裟なのである。
ナオミにしても、少し注意して見れば、そんなことは理解できたはずである。サラ一行を知っている上で敢えて無視する者か、羨望の眼差しを向ける者ばかりであった。
もっとも、前者はともかくとして、後者は悪目立ちに入ってしまう。
とは言え、本当にナオミのプライドを傷つける者もいた。
――動物である。
『ワン! ワン!』
ナオミを見て、犬が吠えかかる。
『フシューッ!』
毛を逆立てているのは猫である。
そんな動物たちを追い払うのは、サラの役目であった。
動物が反応する度に、サラは殺気を出して追い払っていた。
何せ人間以外の血であれば、たっぷりと浴びているサラである。
そんなサラの出す殺気はもう圧倒的で、動物たちは逃げの一手であった。
そんな事情を、露ほども知らないナオミである。自分に驚いたものと、一人で思い込んでいたのであった。
「か、悲しいなぁ……」
ナオミが縮こまって、地面を見ながら歩いていた時であった。
「着きましたよ」
「え?」
サラの声に、ナオミが顔を上げた。
果たして、そこにある店は武器屋であった。普通の女の子なら、一生無縁の店である。
「何をしているのですか? さっさと来ないと閉めますよ」
店の扉を開けながら、サラが言った。
ジーンはとっくにその場にいない。
「ま、待ってください!」
大きい胸に不安をいっぱい詰め込みながら、ナオミはサラに続いた。




