第三話 ナオミと処遇(後編)
◇◇◇◇
こうして、ナオミのメイドとしての生活が始まった。
とは言っても、元が外界を転々とする漂泊の民なので、出来ることは限られていた。
ナオミは竈が使えない。となれば当然、料理が適わない。
皿洗いをさせれば割ってばかりで、不注意に物をよく蹴飛ばした。
大きい体は、やはり相応に力も強い。
サラは頻繁に転がされ、ジーンは出会い頭に、ナオミの胸に顔を埋めた。
ちなみに、今まで散々サラにやり込められてきたジーンである。意趣返しが出来たみたいで、ジーンが気を良くしたのは言うまでもない。
だがしかし、このナオミの不器用さには、ちゃんとした理由があった。
巨体と怪力も勿論であるが、最大の原因はそのプロポーションである。
ナオミは巨乳であった。しかも爆乳である。
並外れた長身を差っ引いても、ナオミの胸はとても大きい。
そのせいで、手元や足下に注意が届き辛いのである。
だからと言って、館の外部との渉外も、ナオミには困難であった。
初めての外の世界で、早々に虐待を受けたナオミである。
深刻な人間不信が、ナオミには付き纏っていた。
ナオミに言わせれば、「小さい人は怖いです」である。
そういう訳で、ナオミが心を開くのは、比較的同族に近い体格のジーンだけとなった。
ジーンが同伴しなければ、ナオミは買い物一つ行けない。
通行人に声をかけられようものなら、「キャッ」と言って、ジーンに飛びついてしまうのである。
さしもの益荒男も、殺気無しの不意打ちには弱い。
圧倒的体格差で、ジーンは何度も押しつぶされかけた。
こんな有様であれば、出来る仕事は、掃除や巻き割りといった単純作業くらいである。
…――…――…――…
ナオミが仕事を始めて、一週間が経った頃。
「人選は失敗だったのでしょうか」
床拭きに精を出すナオミを見て、サラが言った。
「いいや」
ジーンが首を横に振る。
「ですが、食器はほぼ全滅です」
サラの言うように、木で出来た物を除いて、もう食器は残っていない。
「それはお前、アレだ。陶器の扱いを知らねーんだよ」
「ああ、そういうことですか」
「食器はまた買えばいいだろ。何なら、全部木製にするのも手だ。どうしても合わないなら、皿洗いは禁止で」
「いやにナオミの肩を持ちますね」
ナオミを庇うジーンを、サラが訝しんだ。
「言っておきますが、アレはまだ十五歳ですよ。貴方、ロリコンだったのですか?」
茶化すサラに、「そんなんじゃねーよ」とジーンが返す。
「いや、ナオミを見ると思い出すんだよ」
「何をですか?」
「ほら、俺、最初の頃役立たずだったろ?」
「……なるほど。昔の自分に重ねていたのですね」
見習いハンターとして、サラに弟子入りしたジーンである。
魔物恐怖症であったジーンは、事あるごとに醜態を晒していた。
ジーンがナオミに自分の過去を見ても、何ら不思議ではない。
「ただ、勿体ねーよな」
「ええ」
ジーンが振って、サラが同意する。
「いいハンターになれるでしょうに」
「いいハンターになれるだろうに」
サラとジーンが、揃って言った。
…――…――…――…
館の裏庭である。
「せいっ! せいっ!」
威勢のいい掛け声とともに、ナオミがポンポン薪を割っていく。
それを二階から眺めていたのは、サラとジーンである。
「でも、それはさすがに……」
「だよなぁ……」
二人が言い渋るのには、もっともな理由があった。
実はこの二人、ナオミに素性を隠している。
そこで、適当に繕ったサラである。
ナオミの中では、サラは在野の学者で、ジーンはどこかの商会のアホボンということになっていた。
そもそもの話、ナオミが人買いに捕まった原因は、ハンターの使うトラバサミにあった。
そういう訳で、ハンターとは名乗りにくいのである。
ましてや、それを勧めるなど、言語道断であった。
「しかし、筋がいいな」
ナオミの巻き割を見て、ジーンが零した。
「と言いますと?」
サラが聞く。
「薪割って、武芸に通じるものがあるんだよなー。足腰もしっかりする必要があるし、刃筋も通さなきゃだし……。多分だけど、ナオミには長柄武器の才能がある」
「いっそのこと、体格を活かして、強弓を持たせてみれば?」
「そいつは無理だな」
「それはまた、どうして?」
サラの疑問に、ジーンが続ける。
「いや、その、む、胸がな……」
言い淀むジーンを見て、「ああ、そういうことですか」と納得したサラである。
「い、いずれにしろだな」
仕切りなおすジーン。
「体格を活かすんだったら、デカい分的になるだけで、むしろ飛び道具は悪手だぜ。小さいヤツには適わない。長所――リーチを伸ばせる、長柄武器の方がずっといい」
「なるほど。武器の扱いに関しては、貴方の方がオーソリティーですからね」
ジーンの講釈に、サラが納得する。
「ですが一つ問題が――」
サラが続けた、その時であった。
『おーい! 誰かいないのかい? おーい!』
ドアベルをカラカラ鳴らして、訪問者がやって来た。
「人間恐怖症を何とかせねば」
サラが言って、窓から下を覗く。
果たして、ナオミはどこにもいなかった。仕事を放り出したばかりか、訪問者の応対もせず、雲隠れをかましていた。
◇◇◇◇
「へぇ、さすがは貴族さまのお屋敷だね」
嫌味たらしく言って、女が一人ゲストルームに通された。
女は白色のブラウスの上に黒いベストを羽織って、茶色のズボンを履いている。
褐色の肌と赤い髪、琥珀色の目をした女は、どちらかと言うと美人である。
女の醸し出すピリッとした雰囲気は、ぞんざいな言葉遣いを別にして、役人のようなそれであった。
…――…――…――…――…
この女、名前をマリーと言った。サラたちがしばしば世話になる、ハンター斡旋所の女主人である。自身も槍を持たせたら一級の、凄腕ハンターである。
のっぴきならない事情があって、マリーはサラたちに刺々しくなってしまった。サラとジーンのお家騒動に巻き込まれた挙句、あわや命を落としかけたのである。
そのせいで、今のマリーは大の貴族嫌いであった。
もっとも、生まれの良さを差し引いても、サラとジーンは町の名士である。
マリーような公性の強い人間は、半ば義務的にサラたちと付き合わざるをえない。
…――…――…――…――…
「いい加減、機嫌を直して下さいよ、マリー」
「うっさい、鬼畜!」
サラが歩み寄るも、マリーが切って捨てる。
「鬼畜とは心外な」
サラが眉をひそめた。
「どちらかと言うと、鬼畜はこの男です」
「え? 俺?」
突然サラに話を振られ、ジーンが泡を食う。
「おいおい、サラも大概分かってねーよなー」
言って、肩を竦めるジーン。
「俺ほど優しいナイスガイは、滅多にいないと思うぞ」
「優しい人間は、あんな簡単にポンポン人など殺しません」
「だから分かってねーんだよ」
サラに食って掛かり、ジーンが続けた。
「ほら、 俺は確かにもう騎士じゃあないが、武芸者には変わりねーだろ。そんな武芸者が、試合や戦いで人を死なせちまうのは、これはもう仕方がねーことなんだよ」
「そういうのを、巷では人殺しと言うのです」
「いい加減にしなっ!」
いつまでも続けそうなサラとジーンに、マリーが痺れを切らした。
「こっちは、あんたらの夫婦漫才を見に来たんじゃないんだよ!」
マリーの怒りに、「まあ、それはそうでしょうね」とサラが応じた。
この時、ジーンも「おい! 誰が夫婦だ」と抗議したが、こちらは黙殺されていた。
「それで、ご用向きは。随分と大仰な格好をされてますが?」
ソファにふんぞり返り、家主然とするサラである。言うまでもなく、家主はジーンの方で、サラは居候である。
「あんたらみたいな町の権力者と会うには、それなりの体裁ってもんがいるんだよ」
言って、マリーがサラの対面に座った。
「結論から言う」
切り出すマリー。
「一週間くらい前からなんだけどね。急に魔物の数が減り始めたんだ」
「ほう」
「何か心当たりはないのかい?」
「あると言えば、ありますね……」
サラは至極あっさりと、ナオミとの邂逅を語った。
もっとも、人買いのくだりはボカシた上である。
「あー……、ここ最近巷で評判の、ノッポのメイドのことか」
マリーが腕組みして、天上を見上げた。
「なあなあ」
「ダメです」
「まだ何も言ってないだろ?」
マリーが全部言う前に、サラが断った。
「どうせナオミに会わせろとか、そんなところでしょう?」
「何で分かったんだい?」
サラの推測に、マリーが目を丸くした。
「彼女は魔物に仲間を殺されて、心を痛めています。興味本位で会わせることはできません」
「……分かったよ」
サラに気圧されて、マリーが引き下がる。
「ま、また落ち着いたら、会わせておくれよ」
マリーが言って、席を外した。
◇◇◇◇
「で、本当のところはどうなんだ?」
マリーを外まで見送って、ジーンが聞いた。
「何がですか?」
聞き返すサラ。
「魔物が減った理由だよ。お前の見解では、世界蛇ってやつの仕業なんだろ?」
ジーンが答える。
「さあ?」
他人事のサラである。
「『さあ?』ってお前な……」
「私は神様ではありません。いくら何でも、データが無さすぎです」
「そういうもんか?」
「そういうもんです」
サラの言い分に、ジーンは「うーん?」と唸って、今一つ納得できないでいた。
「何か俺、大事なこと見落としてる気がするんだよな」
「気のせいでしょう」
ジーンをサラがあしらった、その時である。
「す、すみません」
蚊の鳴くような、ナオミの声がした。
「ん? ここから聞こえたような?」
声を辿って、ジーンがクローゼットを開けた。
果たして、そこにはナオミがぎっしりと詰まっていた。
「あの、その、動けなくなっちゃって……」
隠れたはいいものの、自分で出れなくなったナオミである。
ジーンに引っ張られ、ナオミがクローゼットから這い出した。
「あっ!」
足を取られて、ナオミが姿勢を崩す。
「おっと!」
ジーンがナオミを受け止めた。
「おいおい、大丈夫かよ」
「あ、ありがとうございます」
ジーンに支えられ、ナオミがヨロヨロと立ち上がる。
「ナオミ、ちょっといいですか?」
「ひっ!」
サラに詰め寄られ、ナオミが怯んだ。
総じて背の低い人間が怖いナオミであるが、サラはその中でも別格であった。
さもありなん、実際に一番物騒であるから、その感覚は至極正しい。
「貴女、聞いていました?」
「は、はいぃ……」
サラが聞いて、ナオミが消え入りそうな声で答える。
「それで、どうします?」
「え?」
「ハンターになるか、ならないかです」
「えっと……」
「貴女を間接的に傷付けたハンターです。あえて強制はしません」
「……」
サラが言うも、ナオミは選べない。
「まあまあ」
ジーンが割って入る。
「ハンターになるかは置いておいてだな、取り敢えず戦い方だけでも、知っておいたらどうだ? 俺らと一緒に居たら、どうしても荒事に巻き込まれやすいしなー」
「ジーンさんが教えてくれるのですか?」
「と言うか、弩以外の武器は、俺しか教えられない」
「……わ、分かりました」
ジーンに言われて、ナオミの心は決まった。
「よろしくお願いします。ジーンさん」
こうして、ナオミはジーンに師事を請うこととなった。




