第二話 サラと悪癖(前編)
◇◇◇◇
一階のダイニングで、朝食を囲むサラとジーン。
「これ、美味しいですね」
スープを口に運んで、サラが言った。もはや全裸ではなく、白いブラウスを着て、藍色のスカートを履いている。
「そりゃどーも」
礼を言って、ジーンがオートミールを口に運ぶ。
食卓に並ぶのは、須らくジーンの料理である。
「貴方に、こんなに家事の才能があるとは思いませんでした。いやはや、びっくりです」
パンをかじるサラに、ジーンが顔をひきつらせる。
「びっくりしたのは、こっちだっつーの」
ジーンが続ける。
「お前が生活力がねーとは思わなかったよ」
言って、ジーンが牛乳をあおった。
「今までどうやって生きてたんだ?」
「そうですね……」
ジーンが聞いて、サラが手を休めた。
「実家にいた頃は、使用人たちに任せていました」
「ああ、そういえば、お前ってお嬢様だったな」
サラの言い分に、ジーンが納得した。
サラは貴族令嬢である。
位階としては最下位の男爵なものの、基本的には世間知らずのお嬢様であった。
生活力が無くとも、何ら不思議ではない。
「うん? でも、一人暮らしもしてただろ?」
湧いて出たジーンの疑問である。
ほんのひと昔前まで、サラは学士であった。
王都のアカデミーで魔物学を専攻する、将来を嘱望された逸材である。
当然、そこでは使用人などいない。
「そんなもの、寮生活に決まっているでしょう」
「いやいや、ハンターの時はどうしてたんだ?」
ジーンが重ねて聞く。
とある事件を起こして、サラはアカデミーを追放されていた。
そこで日銭を稼ぐため、魔物を狩るハンターに、身をやつしていたのである。
そんな折に、サラの弟子になったのが、当時路頭に迷っていたジーンであった。
魔物恐怖症の癖に、ハンターを志望したジーンもまた、名門騎士の跡取りである。
そんなジーンも、やはり事件を起こして、実家から放逐されていた。
辺境で出会った二人は、紆余曲折あって、町に巣食った問題を解決し、名誉挽回を果たしたのである。
ジーンに至っては、竜を倒したとして、大英雄に祭り上げられていた。
もっとも、それは厳密に言えば嘘であったが、真実を知る人間は限られている。
「毎日買い食いか、携行食です。洗濯物なんかは、まとめて業者にポイでした」
「……なるほど」
サラの無精をジーンが理解する。
「今更だけど……」
「はい?」
「お前、俺ん家に来て、正解だったかもなー」
「……」
「いや、お前、その生活のままじゃ、近いうちに死んでたと思うぞ」
「それは、私もそう思いますね。いやはや、持つべきものは優秀な弟子です」
ジーンの意見に同調して、サラが食事に戻ろうとした時である。
「それはそうと、お前、いつまでいるの?」
「えっと……」
ジーンの質問に、サラが口ごもる。
大英雄となったジーンは、一気に金持ちとなった。
竜退治で手に入れた鱗は、呆れるほど高く売れまくった。
名声にかこつけて人は群がり、ジーンは講演だの執筆だので、金に困ることは無くなっていた。
そんなジーンにさっそく集ったのは、他でもないサラである。
魔物の研究資料を溜め込むサラは、終ぞ住居を追い出されてしまったのである。
本や図鑑ならまだしも、一抱えもある骨や薬品漬けの内蔵まで集められたら、家主としてはたまったものではないので、当然の成り行きである。
そんなこんなで、サラが転がり込んできたのが、ジーンの館であった。
もっとも、悪癖は悪化の一途をたどり、サラにあてがわれた部屋はグチャグチャである。
こうして、本来の主であるジーンを余所に、干物女ぶりを全開にして、サラは館でふんぞり返っていたのであった。
「いつまでと言いますか、いつまでもと言いますか……」
「……おい」
「冗談ですよ」
凄むジーンに、サラは諸手を挙げた。
「今書いているレポートが終わり次第、ちゃんと出ていきますって」
サラの言うレポートとは、アカデミーに提出するためのものである。
復学は適わずとも、レポートの出来次第では学位を得る約束を、アカデミーに取り付けたサラであった。
「本当だろうな?」
「本当ですって。まったく、こんな美少女と一つ屋根の下で、何が不満なのだか……」
念を押すジーンに、まったく悪びれないサラである。
「……それはそうと、お前、今日何かあるんじゃなかったか?」
改まらないサラに、ジーンが話題を換えた。
「おっといけない」
慌てて、サラが朝食の残りを平らげる。
「頼んでいた標本が、今朝市場に届くのです」
言って、サラが「行ってきます」と食卓を後にした。
「……まだ増えるのかよ」
放ったらかしの食器を見て、ジーンがげんなりと項垂れた。
◇◇◇◇
季節は春。うららかな陽気に誘われて、生き物が活気づく時期である。
「くそっ! この汚れ、しつこいな」
朝も早くから、洗濯物に精を出すジーン。
洗濯板と桶を使い、ジーンは丹念に衣類を洗っていく。
だがしかし、そんな洗濯物は、ほとんどがサラの物であった。
「何だこれ? って、アイツの下着か!」
桶から摘まみ出されたのは、サラの下着である。
飾り気のない綿地のそれは、女物のパンツである。
ちなみに、胸を守るブラジャーをサラは持ち合わせていない。至極平べったい胸のサラには、必要のない物である。
「アイツには、恥じらいってもんがねーのかよ? 普通こういうのって、男にやらせるか?」
ブツクサ言ったジーンは、「いや、でもサラのことだしな」と納得して洗濯を続けた。
そもそもの話、サラは超が付くほどのベテランハンターである。
ついでに言えば、度を越した魔物オタクでもある。
調査と称しては糞に手を突っ込み、吸血ビルだらけの沼に潜伏して、魔物に接近するサラである。
そんなサラに人並みの感性を求めるなど、チャンチャラおかしいのであった。
もっとも、生来のお嬢様育ちで、何かにつけて人任せにする癖も、それに拍車をかけている。
対するジーンである。
ジーンの家は騎士の家系である。しかも、王の近衛隊を統括する由緒ある家柄である。
ある意味では、田舎男爵のサラの家よりも格式高いこの家は、少々特殊であった。
領地を持たない騎士なのである。
これは、『近衛隊隊長たる戦士は、常に王のそばに侍る必要があるから』等といった、もっともらしい理由付けのせいであるが、平たく言えば因習である。
こういう騎士は、城からの給金だけで全てを賄わねばならず、必然的に貧乏であった。
そういう訳で、自立しているという意味では、ジーンの感性は庶民に近い。
なまじ戦いの修練を積むこともあって、生半可な庶民よりも地に足がついていると言えた。
さて、そんなジーンが、ようやく洗濯を終えようとしていた。
手作業でギュッと水を絞り、庭の端から端に吊るした洗濯紐に、衣類を掛けていく。
「これでよし」
言って、ジーンが腰に手をやった。
「こんなことなら、見栄を張るんじゃなかったかもな……」
腰をトントンと叩きながら、ジーンが独り語ちる。
…――…――…――…
突然手に入った大金に、舞い上がったジーンである。
浮浪者のごとく居座っていた馬小屋を始めとして、周辺の土地を全て買い取り、ジーンは分不相応な豪邸を建てていた。
およそ二百坪の半分以上を占める二階建ての館は、一人の手では維持できない。
当然、使用人を雇おうとしたジーンであるが、それを阻むのは自分の立てた武勇伝である。
以前、ジーンは大量に人を殺している。
これらは全て、刺客を返り討ちにした体なので、別段責められるものではないが、肝心なのはその人数である。
得てして、噂というものは、広まるにつれ中身が肥大する。
ジーンが気が付くと、一人で千人もの軍隊を相手取り、全て撫で斬りにした形になっていた。
実際には、ジーンが倒した敵は二十人から三十人といったところであるが、進んで最強伝説に近づこうとする者などいない。
そういう経緯で、ジーンは家事雑事の一切を一人でこなす羽目になった。
実のところ、サラを迎えた時に期待を抱いたジーンであったりするが、その結果は言わずもがなである。
…――…――…――…
「さてと……」
ジーンが人心地着こうとした時である。
ガラガラと、車輪を転がす音がした。
「帰って来たか」
ジーンが顔を上げる。
大八車を引いたサラが、意気揚々と館に帰って来た。
◇◇◇◇
「で、これがお前の欲しかったヤツ?」
大八車の荷物を見て、ジーンが言った。
「いいえ」
サラが首を横に振る。
「はあっ? じゃあこれ何よ?」
詰め寄るジーンに、サラが「まあまあ、落ち着いて」と言って、額の汗を拭う。
「私が欲しかったのは、牛頭鬼の剥製だったのですが……」
「でも無かったんだろ?」
「ええ、その通りですね」
「……ひょっとして、代替品?」
「ご名答」
「ちなみに、買わないという選択肢は?」
「ありません」
サラの物欲に、ジーンが「はぁ」と呆れ返る。
「そんな金あるんだったら、家賃でも入れろよなー」
「ちなみに中身はですね」
ジーンがぼやくも、サラはスルーする。
「驚くなかれ。巨人の子供のミイラです!」
「巨人ねぇ……」
はしゃぐサラを余所に、ジーンがマジマジと荷物を見つめる。
果たして、荷物は大きな木箱であった。
それこそ、人一人が余裕で入れるくらいの、棺桶のような木箱である。
長身のジーンが入っても、頭二つ分は残りそうな、超特大の棺桶である。
「巨人って、竜並みにでかいんじゃなかったっけ?」
「ですから、子供だと言ったでしょう」
ジーンの指摘を、サラが受け流す。
「とは言え、私も信じてはいません」
「うん? どういうこと?」
いきなり宗旨替えしたサラに、ジーンが首を傾げた。
「巨人は実在しない魔物なのですよ。人の体格ですと、竜並みは無理がありすぎです。相似拡大すれば、必ず自重で潰れてしまう」
「じゃあ、これは?」
「おそらく、どこかの詐欺師が作った偽物でしょう。動物や魔物の死体をつなぎ合わせ作った、ある種の模型です」
「お前は金を出して、ゴミを買ったのか………」
サラの言い草に、いよいよ不機嫌になるジーン。
「何を言いますか!」
突如怒り出すさらに、ジーンが「うっ」と怯んだ。
「こういう代物は、学術上価値があるのです。まず、一つ。詐欺師の手口を学べて、惑わされる学者が減ります」
「……ほう」
「もう一つは、自身の持っている知識の再確認ですね。どこに何のどの部位の骨を使っているか――そういうのを理解して、頭を鍛えるのですよ」
「……なるほど」
サラの講釈に、ジーンが納得した。
「負けたよ。好きにしな」
ジーンが折れた、その時である。
――棺桶がガタッと揺れた。
ジーンが飛び退り、サラが目を剥いた。
「おい! あぶねーぞ」
棺桶に近づくサラを、ジーンが押し止める。
「大丈夫ですよ」
棺桶に耳を当てて、サラが言った。
「ジーン、バールを持ってきてください。それと、私の弩も。ちゃっちゃと、ここで片付けましょう」
サラの指示に、ジーンが「マジかよ」と天を仰ぎ見た。




