第三話 某天才少女の回顧録
◇◇◇◇
「ふむ、やはり無理ですね」
レポートをまとめきれず、私はペンを投げ出した。
机上の紙ときたら、これまた驚くことに真っ白だ。
テーマは『魔物の種類間における抗争~その帰結における生態系の変容~』なのだが、如何せん乗り気になれない。
そもそもの話、フィールドワークに頻繁に赴く私でさえも、魔物の戦いなんてお目にかかれない(もし遭遇したらこっちが死ぬ)。
実のところ、レポート自体はどうにでもなったりする。文献を漁りまくって、先人の研究を切った貼ったすれば、一応形にはなるのだ。
ただ、これだと真実性に乏しくなるではないか。
やっぱり、実際の観察に基づく研究こそが、正しいと思えてならない。
色々ゴチャゴチャと言ったが、要するに私の強い好奇心が、モチベーションを妨げているってことだ。
一度何かに興味をそそられると、抑えの利かないのが私の性分なのだ。
まあ、どちらにしろ、筆が乗らないことに変わりはないが……。
「図書館にでも行きますか」
気分転換に、寮の部屋を出た時だった。
「おい! あっちで何か、すげーことやってるぞ!」
「行ってみよーぜ!」
学生たちが言って、集団で駆けて行く。
どいつもこいつも、私の足下にも及ばない有象無象だ。何人か見た顔もあったが、留年を重ねている放蕩者も多い。
「……ふふん」
気が付けば、私は一人でほくそ笑んでいた。一見気持ち悪く見えるが、自分の栄光を顧みれば、これは致し方ない。
何せこの私は、アカデミー史上最年少の入学者なのだ。ただ入学しただけに飽き足らず、学士課程を最短記録で終え、今となっては修士の後期課程と聞けば、誰もが天才と認めるだろう。
「まったく、アホ共の考えることは分かりませんね」
言いながらも、何故か学生たちの行き先が、気になって仕方がなかった。
「とは言え、たまには凡夫に合わるのも悪くありません」
自分に言い聞かせながら、私はイソイソと足を進めた。
…――…――…――…
その日の晩。
「凄かった……」
寝台に身を沈めながら、私はそれだけを言った。
アホ共に流されて私が見たものは、ズバリ戦士の野仕合だった。
この国では騎士や兵士といった戦士に、こういった腕試しが許されていた。
今日見たのは、騎士見習いと流れの武芸者のそれだった。
騎士見習いの方は、私もよく知っている。ジーン・ファルコナーと言って、王の御前で刃傷沙汰を起こした札付きの問題児だ。
何でも、王自らが立ち会った決闘の末らしいが、このジーンという騎士見習い、よりにもよって相手の首を刎ねてしまったらしい。
もっとも、無作法極まりないがで、処罰する根拠も乏しい。
それに、ジーンは衛兵隊隊長の後継ぎで、要するに名門の生まれだ。
そういう訳で、結局ジーンは無罪放免と決まった。
ただ、その報復とばかりに、ジーンには相手方からの刺客が送られているらしい。
今日の野仕合も、結局はその延長と聞く。
だが、そんな顛末はどうでもいい。
問題はジーンの見せたケタ外れな強さなのだ。
武芸者は馬に乗った騎兵だったが、ジーンは馬上の有利を寄せ付けなかった。
騎兵槍の一撃を紙一重で回避し、ジーンは騎兵の腕を細身の衛兵刀でスパッと切り落としたのだ(その後、意識を失った武芸者が馬ごと人混みに突っ込んで、てんやわんやの大騒ぎだったのだが、これは私の知ったことではない)。
とにかく、もうジーンの凄まじさときたら……。
私が思うに、あれは完全に人間を超えている。
鬼が戦うときは、きっとあんな感じなのだろう。
「鬼か……」
言って、私は寝台からムクリと起き上がった。
そのまま机に向かい、レポートにとりかかる。
そう、私は今日、鬼を見たのだ。予期もせず、魔物の戦いを目にしたのだ。
だとしたら、レポートのモチベーションも上がるというものだ。
気が付けば夜更けである。
羽ペンにインクをつけて、私はガリガリと紙に書き殴っていた。
◇◇◇◇
あれから、もう二年が経った。
「ちっ、今日はシケてやがりますね」
獲物を見失い、私は足下の石を蹴飛ばした。
私の今いる場所は、魔物の蔓延る辺境、しかも外界の森だった。
とは言っても、学者としてフィールドワークに来ているのではない。
理解の不足したアホ共のせいで、私はアカデミーを追われてしまったのだ。
こうして、私は父の領有する、クソド田舎な飛び地に送られていた。
父曰く、療養のための措置らしいが、本当のところは継母の言いなりだったのだろう。
貴族の跡目争いは熾烈だ。
若い女に執心な父はどうにでもなるが、継母は中々に手強い。
さもありなん、使用人から男爵夫人に成り上がったくらいだから、手練手管で当たり前だ。
「何とかしませんと……」
言って、私は木々の切れ目から空を見上げた。
継母の心積もりは分かっている。
遠からず生まれてくる自分の子に、跡目を継がせる気なのだ。
そうなれば、私はお払い箱だ。
刺客が送られてくるのも、時間の問題だろう。
「取り敢えず、目の前の問題を片付けなければ」
言いながら、私は手元に目をやった。
果たして、手に持っているのは、愛用の弩である。
私としても、黙って殺される程大人しくはない。
そういう訳で、取り敢えずの食い扶持を稼ぐため、ハンターへ転身したのだ。
元々天才の私だ。ハンターごときの頂点に立つのは、とても簡単だった。
こうやって名士に収まっておけば、継母の猛攻をある程度は防げるだろう。
ただ、この後の策が無いのが難点だが……。
「今日は切り上げますか」
いくらハンターとしても天才の私でも、獲物の獲れない日くらいはある。
先ほど太陽を見た限りでは、そろそろ潮時だろう。
『盗賊狩り』に減らされた悪党も、まだ残っているかもしれない。
長居は禁物だ。
そうして、私が森から出ようとした、その時だった。
「み、水を……」
蚊の鳴くような声で、何者かが呼んでいる。
ふと近くの草むらを見れば、人の腕が飛び出しているではないか――。
◇◇◇◇
果たして、倒れていたのは若い大男だった。
「いや~、助かったよ」
礼を言いながら、私の水筒をガブ飲みする大男である。
ただ、私はこの大男に、ちょっと見覚えがあった。
「貴方、ひょっとして――」
「うん?」
「ファルコナー家の御曹司では?」
「そだよ。前に会ったっけか?」
いやはや、正に晴天の霹靂だった。
昔より痩せて無精髭だらけだが、確かにジーン・ファルコナーその人ではないか。
だがしかし、問題は外界にいる理由だ。
「ここで何を? 貴方の実家、王都の名門でしょう?」
「いや、実はな――」
ジーンが語るところによれば、あの野仕合騒ぎが続いて、終ぞ王都に住めなくなったらしい。
勘当されて彷徨った挙句、ここまでやって来たのだとか。
しかし驚きなのは、このジーンこそが『盗賊狩り』の正体ということだ。
さもありなん、あの腕前なら当然かもしれないが……。
「お嬢ちゃんは――」
「サラです。サラ・ブラッドフォード」
「ん? サラ? サラ・ブラッドフォードって……。ああ! 世間を騒がせた学者さんか! でも、こんなところで何を?」
「貴方と似たようなものですよ。私も実は――」
シンパシーを感じたのか、気が付いたら、私はジーンに身の上を語っていた。
「へー。それで若い身空でハンターか。大変だったな」
同情するジーンを見て、私の中で悪魔が囁いた。
ツイている。
私はものすごくツイている。
ここに来て、最強の鬼札が自ら飛び込んできてくれた。
何せ、ジーンの強さは折り紙付きだ。
「貴方、行くところがなければ、私と一緒に来ませんか?」
「おおっ! そいつは有難い! いやー、もうあちこち怖えーもんだらけで、どうしようかと思ってたんだわ」
少し誘ってみれば、ノリノリのジーンだった。
後になって思えば、ジーンの台詞には、確かに示唆するものがあった。
だがしかし、私が気付かなくても仕方がない。
最強の戦士が怯える物など、誰が想像できるというのだ。
「じゃあ、早速ハンター斡旋所へ行きましょう!」
「へ? ハンター? なんで?」
「これから行動を共にするのです。貴方もハンターになってもらわないと」
「い、いやぁ、そいつはちょっと……」
「何を遠慮しているのですか? 善は急げです。行きますよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
こうして、ジーンを引き連れて、私は意気揚々と町へ戻ったのだった――。
了




