第二話 魔物とハンター(前編)
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何時の時代の、どこかも分からない場所の話である。
そこでは、新旧2つの生態系が鎬を削っていた。
1つは旧来の生態系である。人間を始めとして、牛や馬などといった一般的な動物がこれに該当した。
もう1つは新興の生態系である。竜や吸血鬼、それに人狼といった魔物たちが、こちらに分類される。
だがしかし、この新生態系、何時どのように生まれたのかは分かっていない。
ある者は異世界からの侵略を唱え、ある者は天が与えた神罰と答えた。
専門家ですら見解を得ない、奇々怪々な生物群――それが魔物である。
年代を経るごとに、魔物は旧生態系を脅かしつつあった。
ちなみに〝脅かす〟とは言っても、魔物が偏執的に、人間や動物を襲うわけではない。
存在自体が、ただそれだけで脅威なのである。
まず挙げられる点は、魔物の強さである。
その名に恥じず、一部を除いて魔物はとても強い。
もっとも、強いとは言っても、伝承のように魔術を使ったりはしない。
不自然な巨体は空を飛べないし、音速や光速を超えることもない。
魔物と言っても、物理法則には逆らえないのである。
では、どのように強いかと言えば、その物理法則の範疇で強靭なのであった。
総じて、魔物は体が大きい。
竜などに至っては、10メートルの体長はざらで、中には50メートルを超える物すら存在した。
例え人型の魔物でも、背丈は簡単に2メートルを超えてくる。
大きな質量は、それ自体が凶器である。
惜しみない怪力を発揮するかと思えば、生まれつき持つ飛び道具――例えば猛毒の瘴気をまき散らしたり、弾丸を撃ってくる魔物すら存在した。
強いと言えば、魔物は生命力からして強い。
まず滅多なことで、魔物は感染症に罹らない。
よしんば病原体が体に入っても、桁外れの体力から発症を免れ得る。
そして、この生命力が厄介であった。
病気を発症しないと言う事は、病原体の媒介者になることと同義である。
それ故に、魔物が原因の流行り病も珍しくはない。
極めつけは、個体の増え方である。
魔物は長命な上に、繁殖力も旺盛であった。
従来型の生物であれば、大型になればなるほど少産になる。
例えば、犬や猫ならば一度の出産でに4~5匹、牛や馬なら1頭だけである。
だがしかし、魔物の場合は違う。
竜などに至っては、個体が強力な癖に、この傾向が顕著であった。
これらの特徴から、魔物は旧生態系の天敵となっていた。
生存競争に強い上、減りにくいから当然である。
しかしながら、このハタ迷惑な魔物に、敢えて挑戦する者たちがいた。
我らが人類である。
旧来の動植物が圧倒される中、人類は魔物の世界に果敢に討って出た。
多大な犠牲者を出しながらも、人類は魔物について理解を深めていった。
第一に、具体的な耐久力である。
どんなに強力な魔物でも、決して無敵の存在ではない。
いくら頑丈とは言っても、急所を潰されると死ぬ点は、やはり生物であった。
第二に、知能についてである。
高い知能を持つ魔物は、実際のところ多くはない。
これは戦術次第で、人類が魔物に抗えることを意味していた。
最後に、魔物の有用性である。
危険に見える魔物でも、その肉体から資源を見出せた。
例えば、竜の鱗からは、鋼鉄よりも軽くて強い鎧が作れるし、人喰草の毒からは、強力な鎮痛剤を得ることが出来る。
魔物への理解が深まるにつれ、狩りを生業とする人間が現れた。
旧生態系の救世主――人は彼らをハンターと呼ぶ。
◇◇◇◇
そして再び、さっきの男女である。
「やっとここまで戻ったか……」
藪を掻き分けて、男が森を抜けた。
「ふう……。いやはや、全くこれっぽっちも、大したこと無かったな」
虚勢を張る男であった。
そんな男の眼前には、森を突っ切るように、一本の道が広がっていた。
「……益荒男が聞いて呆れますね」
男に続いて、女も森を抜けてきた。
「う、うるせーよ」
男が閉口したその時、太陽が二人を照らした。
「うおっ! 眩しっ!」
男が目を細めた。
大袈裟に驚く男の成りは、精悍な若者であった。
その背丈ときたら、並みの男より頭一つ以上も高い。
はち切れんばかりの筋肉をしていて、さながら歴戦の戦士である。
短く刈り込んだ髪は黒く、黄色の肌は健康的に日焼けして、瞳は茶色であった。
この地方では珍しい顔立ちであったが、顔の掘りは存外に深く、無骨な面構えは決して三枚目ではない。
中性的な顔立ちでこそないものの、人によれば十分格好いいと言う、そんな容姿であった。
「いい加減、明暗の変化にも慣れなさい」
女が言って、男の横に並んだ。
同じく目を細める女であるが、その所作は落ち着いたものである。
無骨な男と対照的に、こちらは繊細な少女であった。
透き通るような白い肌の少女は、長い金髪を短く結い上げている。
瞳の色は青く、この地方によく見られる顔立ちであった。
背丈こそ並みの女より低いが、顔立ちは抜群に整っている。
通りを歩けば誰もが振り返る、正に絶世の美少女であった。
そんな超絶美少女ではあるが、終始仏頂面を決め込んで、纏う雰囲気はどこか剣呑である。
ちなみに胸は小さい。
「常に先を見据えて、心を構えておくのです。これはハンターの基本ですよ」
「……肝に銘じておきます」
女もとい少女の忠告に、男が殊勝に応じた。
この凸凹コンビ、会話の通りハンターである。
お互いの見た目とは裏腹に、少女が師匠で男が弟子であった。
もっとも、男の馴れ馴れしい口調からは、関係を読み解くことは難しい。
「まだ陽は高いですが、今日はこの辺で切り上げましょう」
「何で? 俺はまだまだいけるぞ?」
少女の申し出に、男が首を傾げる。
「ハァ……。貴方のクソ体力は認めますが――」
呆れつつ少女が続ける。
「もう少し、知恵を付けた方がいい」
「な、何だよ?」
少女の言い草に、男が閉口する。
「流星竜がいるのですよ。貴方に仕留められる弱い魔物なんて、みんな逃げ去っています」
「あっ……。なるほどな」
理路整然とした少女に、男が納得した。
「よっしゃ! それじゃあ、今日のところは帰るか!」
男が言って、道を歩き出した時である。
「動かないで!」
少女が叫んで、弩を構えた。
「な、何だ?」
男が立ち止まったタイミングである。
太矢がビュンと唸りを上げて、男の首を掠めていった。
◇◇◇◇
「お、お前! いきなり何すんだ!」
自分の首元を押さえつつ、男が少女に詰め寄った。
「落ち着きなさい」
男に襟首を掴まれながら、少女が穏やかに言った。
「一体――」
男が言いかけた時、太矢が飛んで行った先で、何かが倒れる音がした。
「何だ?」
男が後ろを振り返る。
男の視線の先、道の端にある茂みの向こうで、大きな生物が倒れていた。
人間に似た毛むくじゃらの生物は、眉間に矢を受けて白目を剥いている。
「あ、あれは?」
「魔猿ですね」
男の問いに、少女がサラッと答えた。
…━━…━━…━━…
魔猿とは、その名の通り猿の形をした魔物である。
人間より若干大きめの体格で、四足歩行をするこの魔猿は害獣であった。
悪知恵が働く上、手先も器用なので、人畜に害をなす筆頭である。
家畜や農作物はもちろんのこと、時には人間そのものを喰い殺す存在である。
その上に、魔猿を仕留めたとしても、利用方法は特になかったりする。肉は硬くて不味く、皮はどのように加工しても強い臭いを放ってしまう。
これらの事実が、人々の魔猿嫌いに拍車をかけていた。
もっとも、常に賞金がかかっているので、ハンターにとっては金の成る木である。
…━━…━━…━━…
「い、いつの間に!」
男が目を剥いた。
「理由は分かりましたか?」
「ああ、すまなかった。危ないとこだった」
少女が聞いて、男が頭を下げた。
「いいのですよ。……ですが、いい加減に、下ろしてもらえると嬉しい」
言いながらも、少女の顔が青くなっていく。
激昂した男が、胸倉を掴んで持ち上げたせいである。
襟で首を締められて、少女の呼吸はままならない。
もっとも、命の危険の割に、少女は仏頂面を崩してはいない。
「うおっ! マジですまん!」
男が慌てて、少女を地面に下ろした。
「ケホッ! いえ、貴方が怒るのも理解できますから。こちらも、いきなり撃って申し訳ない」
「本当にすまん!」
少女が許しても、男はしつこく謝った。
「……取り敢えず、まずは獲物の確認です」
少女が話を打ち切って、魔猿に足を向けた。
「ああ、分かった」
顔を上げて、男が少女に続いた。
「……それにしても、見事だな」
魔猿の死体を見て、感慨深げな男である。
「そうですか? 魔猿としては、ごくごく平均的なサイズの個体ですよ」
少女が首を傾げる。
「そうじゃなくて! お前の腕を褒めてるの!」
声を張り上げて、男が魔猿の額を指さした。
…━━…━━…━━…
少女の一撃で、絶命した魔猿である。
元来、弓矢による狩猟というものは難しい。
矢の破壊力は、あくまで貫通力に依存するからである。
したがって、弓矢で獲物を仕留める場合は、毒矢を使うか、さもなければ急所を的確に捉えねばならない。
威力の高い弩でも、それは変わらない。相手が魔物とあっては、尚更である。
今回の成果は、少女の並々ならない技量を意味していた――。