第十話 凱旋と大団円
◇◇◇◇
「なあ」
流星竜を見送って、マリーが切り出した。
「前にあれに会ったんだよね?」
「ええ」
「卵を返したって?」
「色々と事情がありまして」
聞くマリーに、サラが正直に答えていく。
「まあ、あんたのことだから、しっかり考えてのことなんだろうけどさ。……はあ、これからどう立ち回ればいいのやら……」
マリーが頭を抱えた。
虚偽の報告に、竜という禁忌への接触である。
三人だけの問題なら隠蔽出来ても、見渡す限りの死屍累々は、国や町から消えたばかりの人間である。
もはや隠し通すことは叶わない。
「それについては考えがあります」
「え? 本当かい?」
サラの発言に、マリーが食いついた。
「すべて私にお任せください。悪いようにはしません」
「……私はもう疲れたよ。お嬢に任せた」
自信満々なサラに、マリーは全てを託した。
穏やかな風が吹いて、三人の髪を優しく揺らした。
「なあ」
風が止んだと同時に、マリーが口を開いた。
「何ですか?」
サラが聞く。
「卵を返したってことはさ、さっきの大立ち回りって、ひょっとして恩返しだったりするのかね?」
「どうでしょう……」
マリーの質問に、サラが言葉を濁す。
「おや? ちょっとびっくりだね。お嬢のことだから、『あれはきっと竜の恩返しです』とでも言うと思ったんだけど」
マリーが意外そうに言った。
「私はロマン主義者ではありません。あくまで学者……崩れですからね。どこまでも現実的に考える癖がついているのです。例えばそうですね――」
言葉を区切って、サラが続ける。
「たまたま、あの流星竜の向かう先に、我々が居合わせた――そういう線はどうでしょう?」
「でも、戦ってくれたじゃん」
「それも、単に目障りだっただけでは? 有象無象が騒いでいたら、蹴散らしたくもなるでしょう」
「あー、なるほど……」
サラの分析に、マリーが頷きかけた。
「いやいや、待ちなよ!」
考え直して、マリーが顔を上げる。
「竜鱗なんて、置き土産くれたじゃんか! これこそ恩返しじゃないのかい?」
マリーが指さすのは、鱗まみれのジーンである。
「都合よく解釈しすぎですよ。それこそ、たまたま痒くなって、掻き毟っただけでしょう」
「襲ってこなかったのは?」
「将軍たちと違って、こちらが敵意を見せなかったからです。流星竜は無用な戦いを好みません」
「くっ!」
サラにやり込められて、マリーが押し黙った。
「ですが……」
流星竜の去った方角を見つめて、サラがボソリと続けた。
「これらは全て、無味乾燥な考察です。個人的に言わせてもらうと、そういう事実であってほしいですね」
「……そうかい」
人間味のあるサラの台詞に、マリーが安堵する。
その時であった。
一頭の馬が、恐々と森から姿を現した。
「おや?」
「あれって……」
声を上げた二人の前に、馬が身を寄せてきた。「ブルル」と鳴く馬は、将軍の乗騎である。将軍を振り落としたおかげで、運よく一頭だけ生き延びていたのであった。
「ドウドウ。いやはや、いいところに来てくれました。帰りはこれに乗るとしましょう。ところで貴女、馬は乗れますか?」
馬を宥めながら、サラがマリーに聞いた。
「……私はド平民だよ。乗馬なんて貴族様の嗜み、あるわけないだろ」
嫌味を交えて、マリーが答える。
馬の維持には、途方もない金がかかる。農耕馬ならともかくとして、乗用の軍馬はその傾向が顕著であった。
そういう理由で、乗馬を学べるのは、貴族かそれに準ずる者でしかない。
もっとも、マリーが嫌味たらしく言ったのは、政争に巻き込まれたことへの腹いせである。
「では、手綱を取るのは、私かジーンですね。ジーンは自前の足がありますから、いつも通り走らせればいいでしょう。貴女は私の後ろにお乗りなさい」
マリーの嫌味に堪えることもなく、サラが続けた。
「へいへい……って、ちょっと!」
おざなりに答えている途中で、マリーが異変に気付いた。
「どうしました?」
鞍の点検を止めて、サラが顔を上げる。
「ジーンだよ! さっきから、ピクリともしていない!」
「え?」
マリーの指摘に、サラがジーンへ駆け寄った。
「ちょっと、ジーン! 大丈夫ですか?」
声をかけながら、サラがジーンを揺さぶった。
「……」
押し黙ったままのジーンである。
「ジーン……って、おっと!」
ジーンの足下を見て、サラが後退る。
「ど、どうしたんだい?」
不安そうに、マリーが聞く。
「気絶しています」
「はあっ?」
「ほら、ここをご覧なさい」
「……ああ、なるほど」
サラに促されて、マリーが納得した。
果たして、ジーンの足下には水溜りが広がっていた。水源はもちろん、ジーンの泌尿器である。
ついでに言えば、ジーンは完全に白目を剥いていた。
「……たぶん、流星竜が顔を近づけた時からでしょうね。あのクシャミ――原因はおそらく、尿漏れからきた異臭のせいだったのでしょう」
「あれだけ獅子奮迅の活躍をしたっていうのに、なんとも締まらない男だねぇ……」
サラの分析に、マリーが憐れみを交えた。
「さあ、それはそうと、さっさとジーンを叩き起こしますよ。ただでさえ、日が暮れたら危険な外界です。流星竜も行ってしまいましたし、血の臭いに釣られて、他の魔物が集まってきます」
「はいよ! ほれ、ジーン! とっとと起きな!」
「そうそう。竜鱗だけは忘れないように。あと、欲張って他の物に目を奪われてはいけません。竜鱗だけで、十分するくらい元が取れるのですから」
「分かってるって!」
サラの支持を受け、マリーが帰り支度を整えていく。
マリーのビンタで起きたジーンを連れて、一行は町への凱旋に成功した。
…――…――…――…
それからは怒涛の展開であった。
三人が竜鱗を持ち帰ったせいで、町を挙げての大騒ぎである。
本来ならば、近づくことすら憚られるのが竜である。
だがしかし、不意な遭遇であった上に、成果を出したのなら話は別である。何せ、盗賊騒ぎに乗じた出来事なので、これを非難する者は皆無であった。
特に持ち上げられたのはジーンである。
盗賊を蹴散らした挙句、流星竜をも追い払った英雄として、ジーンの評価は一変した。
「よっ! 竜殺し(ドラゴンスレイヤー)! 見直したぜ!」
「お前さんなら、いつかやってくれると思ってたぜ!」
「実を言うと、俺だけはお前を認めていたんだぞ!」
「キャーッ! ジーン、抱いてー!」
こんな調子で、すっかり掌を返した、町の若者たちであった。
一方で年配者である。
「ジーン、やったな! 鶏ガラなんかじゃなくて、こっちを持って行け!」
「代金はいらん。遠慮するな」
「好きなだけ持っていきなさいね」
町への流通が回復して、肉屋と野菜売りが、ジーンに新鮮な食べ物を差し入れるようになっていた。
こんな調子で、実力を隠していた謙虚者として、ジーンの評価は正に鰻上りである。
ちなみに、これらは全てサラの筋書きだったりする。
盗賊に関してはともかく、流星竜は勝手に現れて去って行ったので、過分に嘘が混じっていることは言うまでもない。
それでも、隠し切れない事はある。言わずもがな、ジーンを追ってきた将軍一行であった。
町を経由してしか外界に出られないせいで、将軍たちの存在は広く知れ渡っていたのである。
隠し立てのしようも無いので、ジーンは自らの出自と経緯を、全て明かすことにした。
これが、サラにとって追い風となったのである。
ジーンの正体が広まるに連れて、その内容は徐々に変わっていった。最初こそ事実そのままで伝わっていたものの、直にそれを疑う者が出たのである。
他ならない、マリーの店にたむろする三人組である。
「あんな強者が、タイミングよくこんな町へ来るかね?」
弓手の一言が引き金であった。
「言われてみれば、確かにそうだよなー。御大尽が簡単に跡取り息子を勘当するもんか」
「でも、出自は〝ファルコナー〟で間違いないみたいだぜ?」
「うーん」
投槍使いと追跡者を交えて、三人組はこぞって、ジーンの正体を邪推し始めた。
「もしかして、勘当ってのいうのは建前で、本当は国王陛下の勅命を受けた、世直し人か何かじゃねーの?」
「それだ!」
「間違いねえな!」
三人組の行きついた結論であった。
要約するとこうである。勘当されたドラ息子とは仮の姿で、ジーンの正体は、地方の貴族を監視する密偵であった――という案配である。
このインパクトのある噂は町を駆け巡り、サラの継母と結託した代官を通じて男爵領にまで伝わった。
そうともなれば、サラの父――ブラッドフォード男爵の動きは早い。
自分の不品行が探られたと、すっかり勘違いした男爵である。
ジーンと懇ろなサラを恐れて、男爵は即座に後妻を押し込めてしまった。
表向きは闘病の末の弔事として、腹の赤ん坊ごと後妻が死を遂げたのは、それからすぐ後のことである。
正に血みどろの権謀術数に長けた、貴族の処世術であった。
もっとも、男爵の動きには、王都の反応も拍車をかけている。
やはりと言うか、勝手に軍を動かした将軍の責任は大きかった。王政府は将軍家――ワーナー家そのものを取り潰すことにしたのである。
余談ではあるが、盗賊の手引きをした代官は、サラに対する邪な考えをスッパリと捨てて、ちゃっかりと生き延びていたりする。
とにかく、経緯の是非はともかくとして、サラは大手を振って男爵家の跡取りに返り咲くことになった。
ジーンの正体にしても、王政府は沈黙を守ったので、世間的には竜殺しの大英雄である。
ジーンとサラ、二人の株は空前絶後のストップ高となっていた。
◇◇◇◇
盗賊騒ぎから、一月が経った頃である。
流星竜が去って、有象無象の魔物が帰ってきた森での出来事であった。
「ジーン! そっちに行きましたよ!」
どこからともなく、サラの声が木霊した。
「よし来た!」
大木を背にして、ジーンが剣を抜く。
すっかり食事に事欠かなくなったジーンである。その肉体は、以前に輪をかけてガチムチの筋肉ダルマになっていた。
『ガアアアッ!』
ジーンの左後ろから、一匹の魔物が踊り出た。
身の丈およそ二・五メートル。灰褐色の肌をした魔物――豚巨人である。
…――…――…――…
ちなみに豚巨人とは、人型の魔物である。名前の通り鼻は豚のように潰れていて、しゃくれた下顎から牙が飛び出しており、お世辞にも美形とは言えない魔物である。
文明レベルは押し並べて低く、衣服もコシミノしか纏っていない。石斧などの原始的な武器しか持たないが、外傷には桁外れに強い、それが豚巨人である。
積極的に人間を襲うことはもちろん、頬の皮が上質な革製品になることもあって、豚巨人退治は中堅ハンターを名乗るための登竜門になっている。
…――…――…――…
今、その豚巨人がジーンに気付かないまま、その場から走り去ろうとしていた。
豚巨人の背中には、太矢が二本刺さっている。
「ちょっと待てよ」
豚巨人の背中越しに、ジーンが声をかける。
『ガアッ?』
豚巨人が振り返り、ジーンを見つけた。
「そんなに急くなよ。ちょっとだけ、俺とも遊んでいってくれ」
不敵な笑みを浮かべて、ジーンが挑発する。
『ガーッ!』
目を血走らせて、豚巨人がジーンに飛びかかった。
右手に握った石斧を、豚巨人が横殴りに振り回す。
「よっと」
地面に伏せて、ジーンが石斧を避けた。
目標を失って、石斧が勢いよく大木に突き刺さる。
大木が大きく揺れて、木の葉を盛大に散らした。と同時に、石斧を引き抜けなくなった豚巨人である。
「そこだ!」
ジーンが言って、豚巨人の下顎に剣を突き入れる。
豚巨人の脳を貫いて、剣先が頭頂部から飛び出した。
断末魔も上げず、豚巨人はそのまま倒れ伏す。
「よいしょっと!」
オークの死体から、ジーンが剣を引き抜いた。返り血が顔にかかるが、ジーンはピクリとも動じない。
「いくら頑丈でも、脳ミソをやられたら人間と同じか……」
剣から血を拭いながら、ジーンが独り語ちた、その時である。
「いやはや、張った罠を踏破された時は、肝を冷やしましたが――」
パチパチと手を叩きながら、サラが姿を現した。
「お見事です」
ジーンを称えるサラは、新調した弩を握っていた。
「おう! やってやったぜ!」
サラに答えて、ジーンが親指を立てた。
「どうだ? 俺も結構やるようになっただろ?」
「慢心するなら前言撤回です」
鼻高々なジーンを、サラがにべもなく受け流す。
「豚巨人は人型です。対人戦が得意な貴方と相性がいいのは、当たり前ですよ。これだけでは、魔物恐怖症が治ったかまでは分かりかねます」
「さいですか」
サラが続けて、ジーンが肩をガックリ落とす。
流星竜の一件以来、ジーンには少し変化が生じていた。外界に出ても、余裕を見せるようになったのである。
流星竜の威圧がショック療法になったというのが、サラの見立てである。
そういう訳で、辛辣な評価とは裏腹に、サラはジーンの魔物恐怖症が完治したと踏んでいたりする。
「そうそう。前にマリーと話していたのですが」
豚巨人の死体を弄りしながら、サラが言った。
ちなみに、今この場にマリーはいない。周囲がサラとジーンを持ち上げる一方で、マリーだけは、二人から距離を取るようになっていた。散々酷い目に遭わされたので、むしろ当然である。
「貴方、魔物恐怖症の癖に、どうして一人で盗賊退治なんかしていたのですか? ちゃんと斡旋所でハンター登録するなり、仲間を集めるなり、色々出来たでしょうに」
「ああ、そのことか……」
サラの疑問に、ジーンが顎をさすりながら答える。
「……知らなかったんだよ」
「は? 何をですか?」
「だーかーらー、自分が魔物恐怖症だって知らなかったの! てっきり雷鷲だけが苦手だと、思い込んでたんだよ」
「なるほど……って、いやいや、それがどうして〝盗賊狩り〟に繋がるんです?」
「無計画で王都を飛び出したもんだから、道に迷ったんだよ。気が付いたら、辺境とか外界をうろついていたって訳。それで魔物怖さに人を探したんだけど、出会うやつときたら、盗賊くらいしかいなかったからなー」
「……はぁ」
ジーンの破天荒な言い分に、絶句するサラである。
「それで貴方自身が、よく盗賊に落ちぶれませんでしたね」
「え? 何言ってんだ?」
サラの追及に、ジーンが首を傾げる。
「あんな連中に従った挙句、お零れを預かるなんて、面倒くさいじゃんか。一気に襲い掛かって全部巻き上げる! これが一番簡単で確実だろ?」
「……強者の特権ですね」
続けたジーンに、サラが呆れ返った。
「聞きたいことなら、俺にもあるぜ」
今度はジーンから切り出した。
「お前、全て計算づくだったの?」
「どういう意味ですか?」
「いや、なんやかんやで、俺たちの立場って持ち直したじゃんか。俺を引き抜いたこととか、例の盗賊退治とかも……。全部そのための仕込みだったのか?」
「……やっぱり、そう思いますかね」
ジーンの疑問に、サラが眉根を寄せた。
「結局のところ、私は魔物オタクでしかないのですよ」
「どういうこと?」
サラの答えに、ジーンは要領を得ない。
「貴方の言う計算高い女が、辺境へ飛ばされるヘマ、やらかすと思います?」
「……いーや、思わねーな」
サラの言い分に、ジーンが口元を緩めた。
「そういうことです。さあ、さっさとこのデカブツの首をチョンパして、マリーの店に戻りますよ。魔猿に比べて骨ですが、今度は貴方がやって御覧なさい」
「へいへい。それにしても、何で首じゃねーと換金できねーの? 耳とか鼻でいいじゃん」
「それは貴方、殺さずに済ませる横着者が出るからですよ」
「あっ! なるほどなー」
談笑まじりに、二人が豚巨人の解体にかかっていく――。
似たような二人の捲土重来劇は、こうして幕を下ろしたのであった。
了
これにて第一章の幕引きです。




